背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

巨匠内田吐夢の「飢餓海峡」

2005年11月03日 06時04分43秒 | 日本映画
 「飢餓海峡」は水上勉の小説も内田吐夢監督の映画もどちらも好きだ。私の場合、小説を先に読んだ。高校1年の頃で、むさぼるように読んだ覚えがある。映画はビデオを借りて見た。ずっと後になってだ。初めて見たとき、その迫力に圧倒された。が、見終わって少し後悔した。なんでこんな凄い映画を映画館で見なかったんだろう、映画館で見ればもっと感動できたのに、と。何の映画のときだったかは忘れてしまったが、東映の映画館で「飢餓海峡」の予告編を見ていたのだ。しかし、今思うと、「飢餓海峡」は昭和40年1月に封切られた映画で、東京オリンピックの翌年早々だから、私はまだ小学6年の子供だった。封切りで見てもそんなに感動したかどうか……。そう思うことにして、自分を慰めている。
 映画を見てからまた小説を読んだ。それからまたビデオを見た。映画では、爪が重要なモチーフになっていた。そして非常に印象的だった。が、小説には爪の話など書かれていない。そうか、これは内田吐夢の創作だったのかと気づき、感心したものだ。つまり、映画の中では、青森の娼婦(左幸子)が一夜の客(三国連太郎)の爪を切ってやる場面がある。この男、戦後の引揚者で、北海道で強盗殺人を犯し、海を渡って逃げてきたのだ。男は女の身の上を憐れみ、大金をやる。女はその爪を後生大事にとっておく。大恩人様などと言って爪を拝んだりする場面もあったりして、女の一念みたいなものが、男の爪に込められて、実に鮮やかな描写だった。
 「飢餓海峡」は、戦後の混乱期から高度成長期までの日本人の生き様を象徴的に描いた大作だった。どさくさまぎれに強盗殺人を犯し内地に帰って大金持ちの著名人になった男と、青森の片田舎から上京して売春業を続ける貧しい女が、戦後十数年経って再会する。その間ずっと純な気持ちを持ち続けた女、そして女の思いを頭から疑って保身のために女を葬り去る男。結局、遺品の爪が証拠物件になって、男の犯罪は暴かれることになる。経済繁栄を遂げたこの国に暮らしている日本人の多くは、過去の罪をひた隠し成金になってぬくぬくと生きてきたこの主人公の男と大して変わりはない、と私には思えてならなかった。金と地位のためには人間の大切な気持ちを踏みにじる、人間的に成り下がった現代の日本人を内田吐夢は描きたかったのではあるまいか。
 最後にこの映画には、ベテランの元刑事(伴淳三郎)と若手刑事(高倉健)が登場する。この二人の対比も暗示的で、見事に描かれていることを付け加えておく。特に伴淳三郎は心に滲みる名演だった。