8月15日が近づくと太平洋戦争を巡る話題や特集が、新聞やテレビ報道などでも多くなってきます。関西テレビの夕方ニュースを見ていたら、見慣れた千里寺の風景が映りましたので、慌ててその特集をビデオに撮りました。
千里寺で寺の歴史を纏めようと古い資料を探していたところ、倉庫に戦時中に門徒(浄土真宗本願寺派)の人達に配られた「寺報」が大量に保存されているのが発見され、詳しく調査すると戦争賛美の内容が綴られたものでした。現在の武田達城住職の祖父にあたり、後に浄土真宗の教団の重職(宗務総長)も務められた先々代の達誓住職が、戦時中に地域の門徒に対して発行したものでした。
そこには太平洋戦争を聖戦と位置づけ、仏教では本来禁じられている殺生さえも、場合によれば“降魔(ごうま)の剣”として許されると教えられています。軍国主義的な思想統制と国家存続的な危機感の中にあって、それは一住職の考えというよりも、当時の仏教界や宗派の主流の思想だったと想われます。
武田達城住職は他の僧侶達とともに勉強会を開き、そのようなことになってしまった時代背景や宗教的な問題を掘り起こし、現代に共通する意味を見つけ出そうとされています。
・千里寺の戦時資料 (後半)
千里寺で寺の歴史を纏めようと古い資料を探していたところ、倉庫に戦時中に門徒(浄土真宗本願寺派)の人達に配られた「寺報」が大量に保存されているのが発見され、詳しく調査すると戦争賛美の内容が綴られたものでした。現在の武田達城住職の祖父にあたり、後に浄土真宗の教団の重職(宗務総長)も務められた先々代の達誓住職が、戦時中に地域の門徒に対して発行したものでした。
そこには太平洋戦争を聖戦と位置づけ、仏教では本来禁じられている殺生さえも、場合によれば“降魔(ごうま)の剣”として許されると教えられています。軍国主義的な思想統制と国家存続的な危機感の中にあって、それは一住職の考えというよりも、当時の仏教界や宗派の主流の思想だったと想われます。
武田達城住職は他の僧侶達とともに勉強会を開き、そのようなことになってしまった時代背景や宗教的な問題を掘り起こし、現代に共通する意味を見つけ出そうとされています。
・千里寺の戦時資料 (後半)
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