千里山の街が開かれたのは、今から80数年前の大正時代のことになりますが、それ以前にも千里(ちさと)村と呼ばれていた時代などへと、記録を遡ることができます。
平成2年11月に発行された『千里山70年のあゆみ』を読むと、その辺りの千里山の情景がありありと甦ってきます。「刊行に当たって」という巻頭の言葉にもあるように、この本は人々の記憶から遠ざかりつつある、先人の苦労やまちづくりの思いを継承し、未来のまちづくりへの決意を新たにすることを僕らに問いかけてきます。
15年ほど前にこの本の編集に中心的に携わり、千里山周辺の歴史にも詳しい川崎縣一さんに、この本のWEB版への同意をお願いすべくお会いしたのは、千里山.NETを公開した正月開けの頃でした。カフェ・ド・ゴーシュに立ち寄られているという情報をママさんより貰って、そそくさと出掛けました。川崎さんはその人懐かしい笑顔で迎えて下さいまして、WEB化の件を快諾して下さいました。
広告企画・製作的な業界でご活躍されていたということで、有る意味では大先輩筋になるのかも知れません。色々とお話している中で、微笑みながらも眼光鋭く「いったい何を企んでいるの?」と問われたのには、思わずドキッとしました。確かにいっぱい“企んでいる自分”がいるのです。
川崎縣一さんは「大きな古時計」の訳詞者である保富康午さんとは千二小学校の同級生で、そのことでも色々とお話をお聞きしたい方でもあります。
ところで、最近小耳に挟んだのですが、川崎さんは近々『千里山70年のあゆみ~現在まで』というような続編を“どうも企んでいるらしい”ですので、とても楽しみにしています。
※『千里山70年のあゆみ』WEB版は、千里山.NETの「歴史・文化」×「街の歴史」ページからリンクしています。
平成2年11月に発行された『千里山70年のあゆみ』を読むと、その辺りの千里山の情景がありありと甦ってきます。「刊行に当たって」という巻頭の言葉にもあるように、この本は人々の記憶から遠ざかりつつある、先人の苦労やまちづくりの思いを継承し、未来のまちづくりへの決意を新たにすることを僕らに問いかけてきます。
15年ほど前にこの本の編集に中心的に携わり、千里山周辺の歴史にも詳しい川崎縣一さんに、この本のWEB版への同意をお願いすべくお会いしたのは、千里山.NETを公開した正月開けの頃でした。カフェ・ド・ゴーシュに立ち寄られているという情報をママさんより貰って、そそくさと出掛けました。川崎さんはその人懐かしい笑顔で迎えて下さいまして、WEB化の件を快諾して下さいました。
広告企画・製作的な業界でご活躍されていたということで、有る意味では大先輩筋になるのかも知れません。色々とお話している中で、微笑みながらも眼光鋭く「いったい何を企んでいるの?」と問われたのには、思わずドキッとしました。確かにいっぱい“企んでいる自分”がいるのです。
川崎縣一さんは「大きな古時計」の訳詞者である保富康午さんとは千二小学校の同級生で、そのことでも色々とお話をお聞きしたい方でもあります。
ところで、最近小耳に挟んだのですが、川崎さんは近々『千里山70年のあゆみ~現在まで』というような続編を“どうも企んでいるらしい”ですので、とても楽しみにしています。
※『千里山70年のあゆみ』WEB版は、千里山.NETの「歴史・文化」×「街の歴史」ページからリンクしています。