まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

アラジン(ニイガタ電子、2号機)

2014-05-15 18:58:05 | パチスロ2号機

1989年(平成元年)、ニイガタ電子から登場した2-2号機「アラジン」

 

シングルボーナスの集中役「アラジンチャンス」(アラチャン)搭載。爆裂「A-C」タイプとして、当時のホールを席巻した、大ヒット機種である。レトロ台ファンなら、まず知らない人はいないほどに有名な台だ。アラチャン時の平均獲得枚数は900枚程度だが(ビッグパンクのケースを含むと1200枚強)、ツボにはまれば一撃数千枚も決して夢ではなかった。もちろん、低設定の逆噴射で爆死する事も…。

 
全設定共通「1/412」と低確率のビッグ。その割には、ビッグのみの連チャンでドル箱を満タンにする機会も多かった。アラジン独特のボーナスの「波」か、単なるヒキか、それとも裏〇ノだったのか…。

 

払出表

・7揃い…15枚+ビッグボーナス
・BAR揃い…15枚+レギュラーボーナス
・ラクダ、月星…10枚+シングルボーナス(ミニボーナス)
・プラム、3連チェリー(共通フラグ)…8枚
・2連チェリー…中段5枚、他ライン7枚
・単チェリー…中段2枚、カド4枚

 

 

※「月星」が小役に成り下がった日
後継4号機「アラジンマスター」(1995年、サミー)においては、「月星」がシングルボーナス図柄から、単なる小役(右リールのみREGの一部)に「格下げ」となった。初代アラジンはもちろん、2代目「アラジンII」(サミー3-1号機)でも重要なシングル図柄だった月星。さらに、ニイガタ電子幻の3-2号機「アラジンゴールド」(3-1号機「リノ」の検定取消し及び新機種販売停止でお蔵入り)においても、やはり月星はラクダ同様にシングル図柄のままであった。

平成初期に「スター」扱いだった(シャレではない)月星の不遇の日々は、まさにアラマスに端を発する。「俺は昔、ラクダと肩を並べていたんだ!」という月星の叫びが聞こえてくるようだ(笑)。

 

 

ボーナス確率

・ビッグボーナス:1/412(全設定共通)

・レギュラーボーナス:1/352(全設定共通)

・シングルボーナス:通常時=1/60、アラチャン時=1/6(全設定共通)

・アラジンチャンス(シングルボーナスの集中)
設定1:1/6554
設定2:1/4369
設定3:1/3121
設定4:1/2048
設定5:1/1024
設定6:1/655

・アラチャンパンク確率:1/762(全設定共通)
⇒その他、アラチャンはビッグでもパンク(レグならば継続)

※登場からしばらくの間は、上記と異なるボーナス確率の解析値が広く出回った。その後、「再解析」により修正されたのが、上記数値である。

(参考:修正前のボーナス確率データ)
・ビッグ:1/409.6(全設定共通)
・レギュラー:1/350(全設定共通)
・アラジンチャンス
設定1…1/5958 設定2…1/4096 設定3…1/2979
設定4…1/1986 設定5…1/1008 設定6…1/649
・アラチャンパンク:1/753(全設定共通)
(シングル確率は同じ)

 

★小役確率(通常時)
・プラム、3連チェリー(同フラグ)…1/9.2
・2連チェリー…1/201
・単チェリー…1/201

★小役確率(BR成立後)
・プラム、3連チェリー(同フラグ)…1/9.2
・2連チェリー…1/201
・単チェリー…1/2(通常時より大幅アップ) ※正確には「49.895%」なので「約1/2」となる。

★小役確率(アラチャン中)
・プラム、3連チェリー(同フラグ)…1/15(通常時より小幅ダウン)
・2連チェリー…1/201
・単チェリー…1/2(通常時より大幅アップ)

※左にチェリーが2か所しかなく、適当押しだと単チェリーをこぼしやすい。アラチャン時の獲得枚数をアップさせる為にも、左リールのチェリー目押しは必須だった。8枚役は取りこぼさない。なお、シングルは左に「月星」が出た時は引き込み100%だが、左が「ラクダ」の場合は中・右リールにラクダを取りこぼすポイントが1か所づつある(但し、シングルフラグは次ゲームに持ち越す)。 


★現役時の主な実戦ホール

・小田急線・読売ランド前駅「パチンコランド」(現存)
⇒当時の地元店。当時、パチンコメインのシマにスロットシマが2シマだけあった。 アラジンの背中にビッグパルサー(山佐2-2号機)。ドル箱はハネモノ用の小箱(700枚入)を使っていた。ビッパルは小箱1,2箱でも普通だったが、アラジンの好調時だと小箱では追いつかない。で、小箱が4つくらい貯まると、大箱にジャラジャラっとコインを移して足元にドンと置く。この瞬間が実に気持ち良かった。ただ、ハマリ始めると底なしなので、「大箱を持っている時、下皿+小箱1箱飲まれたら逃げ」が、自分なりのルールだった。また、夕方からバイトの入っていた日、この店でようやく引いたアラチャンを消化中、ついにバイトに行く時間となってしまい、隣のオッサンに泣く泣く台を譲った事もある。「この台アラチャン入ってるけど、良かったら打ちませんか?」こんな太っ腹なセリフを発したのは、後にも先にもこの時だけ。ただ、バイトをすっぽかしてアラチャンの方を選ぶ度胸は、当時の私になかった…。

 

・高田馬場駅「コスモ」(現存)
⇒ここは立地が良く、客付は概ね良好だった。当時は1Fがデジパチ、2Fがハネモノ・権利物で、スロは地下フロアにあった(地下は時間帯によって客付が極端に変わった)。確か、最初の頃は地下フロア全体がアラジンだったと記憶する。その後、ムサシやワイルドキャッツなどが入り、アラジンの台数も減った。当時は「8枚交換」だったので、アラチャンのロング継続などで4000枚越えしても、換金すると意外に少なくて、複雑な心境になったのを思い出す。

※「コスモ」といえば、池袋西口にあった「コスモ」にもアラジンが入っていた。田山さん詣でに初めて訪れた91年に設置を確認。池袋西口というと、「キング」もアラジンを置いていた。

 

・新宿駅西口「パチンコジャンボ」(現存)
⇒繁華街の大型店。当時、スロは地下フロア(ハネモノやデジパチもあったが)にあり、アラジンが1シマ、その背中がスーパーバニーガール1シマだった。1シマといっても、縦長でかなりの台数がズラッと並んでいた。少し離れた所に、ユニバのシマ(センチュリ―21、リバティベルIII)もあった。夕方以降になると、会社帰りのサラリーマンで満席となり、空き台探しにも苦労した。運よく勝つと、特殊景品の香水(大1200円、小600円)をカウンターで受け取り、道路向かいの「しょんべん横丁」にある換金所に直行。そのまま店にとって返し、「第2回戦」に挑んだりした。

 

・新宿・歌舞伎町「日拓3号店」(閉店、跡地には「エスパスタワー」が完成)
⇒海鮮割烹「勇駒」などが居並ぶ、狭い路地で営業していたホール。スロは地下フロアにあり、当時は本機の他、コンチIやセブンボンバーが並んでいた。初心者の頃にはリスキーダックもあった。後に「5連アポロン」が導入された時、アジア系ハイエナとハマリ台の後釜を争った)。換金所が怪しい場所にあって、店近くの10円ゲーム店脇の小さな階段を下りた、地下2階の薄暗い空間が換金所になっていた。

 

・新宿駅東南口「パチスロ・グリンピース」(現存)
⇒スロは「1店舗=1~3機種」が当たり前の当時にあって、「パチスロのデパート」※の看板を店頭に掲げる程、機種ラインナップは豊富だった。初代コンチ、コンチIII、ビッグバン、デートライン銀河II、スーバニ、スーパーセブン、アニマル、スープラなどをフロア別に設置(初心者の頃は1.5号機のファイアーバード7Uやトロピカーナ7Xもあった)。

この店では、コンチ、スーバニと共に「アラジンII」が名物となっていたが、それ以前には初代アラジンを置いていたのだ。新宿グリンピのアラジンは「白パネル」(通称ホワイトアラジン)で、店内のマイクパフォーマンスでも、「ハイ!ホワイトアラジンコーナーから、〇〇番台にお着きのお客様、ビッグボーナススタート、おめでとうございます!」などと煽り、白パネルである事をさかんに強調していた。

この時期、グリンピの換金所は現在とは違い、「台北飯店」(閉店)などが並ぶ怪しげな路地にあったので、夜遅くの換金は少し怖かった(パチスロ「てんとう虫」の換金所も同じ場所だった)。その後、路地再開発の本格化を契機に、現在の場所へと変わった(路地跡地には、「フラッグス」というファッションビルが建った)。


(新宿グリンピにあった白パネル=通称「ホワイトアラジン」。筐体全体が白い分、ストロボフラッシュのインパクトは弱めに感じられた。この白パネルは、「ビッグの連チャン性が強い〇モノ」とたびたび言われたが、ROMの中身は確認していないので、単なる「噂」としておこう。いや、確かに連チャンしてたんだけどね…。

※「パチスロデパート」なる表記を使った店は、当時他にもあった。首都圏でパチスロ専門店を展開していた「TOA」(トーア)だ。「パチスロデパートTOA151」(池袋東口)、「パチスロデパートTOA87」(神楽坂)などが挙げられる。他にも、学芸大学、蒲田、小岩、高円寺、西葛西、千葉、大口(横浜)などにチェーン店があった。

 

(その他、向ヶ丘遊園・南口「プラザ」、登戸「ハトヤ」、高田馬場「日拓ビッグプレイ」でもアラジンを打った。だが、プラザのリバティベルIV(5G連Ver、青パネルが物珍しく通った)、ハトヤのリバティベルIII(セット打法「21世紀世界全滅打法」の現場を目撃)、ビッグプレイのアニマルには思い出こそあるものの、これらの店でアラジンで大勝ち、大負けした記憶はない。

★追記(2014.5.17)
当時のアラジン実戦ホールに書き忘れがあったので追記(最近、物忘れが…)。

・小田急線・下北沢駅南口「パチスロ・グリンピース」(閉店)
ここは、主に「スーパーバニーガール」を実戦した店だが、初代アラジンを打つこともあった。 もちろん、新宿グリンピースの系列店だったが、新宿と同じく、白パネルのアラジン(ホワイトアラジン)を並べていた(1F)。あまり勝った記憶はないが、今はなき思い出のホールなので、当時の実戦店として入れない訳には行かない。ここに追記させて頂く。

・小田急線・経堂駅前「ニューワールド」(閉店、跡地は「GAIA経堂」)
前回記事で触れたばかりなのに、もう忘れるとは…。まぁ、このホールでは、その程度の打ち込み具合だったという事だろう。コチラはオーソドックスな黒パネルを設置。 


★「音」と「光」の記憶

見た目の存在感以上に、音や光のインパクトが強かった本機。開発者のセンスが随所に感じられた。

「ペポ、ペポ、ペポ」というベット音、「プールルルン」というリールスタート音、「クンクンクンクン…」という甲高いウェイト音、ポン・ポン・ポンと小気味のよいストップ音、小役払出しの「ポロロロ」音、ビッグ中の「ピッポッパッポッ」、シングルが揃った時のアラビア風サウンド、バケやジャックゲーム中の「デッテッテッテッ、デッテッテッテッテ」と、個性的なサウンドが満載だった。その多くが、後継機種にも「移植」されている。

また、「光」という面では、露骨に台がビカビカ光る演出こそないが、地味に心に響くものが多かった。特に、上パネル中央の星形部分が、ビッグやバケ、シングル時に、カメラのストロボのように「パッパッパッ」と小さく点滅するのが格好良かった。また、ビッグ時に赤く点灯する、リール右横の「BIG CHANCE」表示にも味があった。

そうそう、アラチャン時には、頭上の呼出ランプが点滅や点灯を開始して、アラチャン突入を示唆する店が多かった。ランプがゆっくり点滅する店、早めに点滅する店、ビカビカと光る店など様々な個性があった。パトカーのような赤いパトランプが、グルグルと回る店もあった。ただ、今どきの機種のように、台自体が「ただ今、アラチャン中ですよ」とお知らせする機能は、全く付いていなかった(単チェとシングルで判断するしかない)。

この当時は、アラチャンフラグの信号が呼出ランプに送られるのではなく、最初に「単チェリー」を引いて、その後短いゲーム数で「シングルボーナス」を引くと、ランプが自動反応するように設定されていた。なので、自力で1/201の単チェを引いた後、数ゲームして自力で1/60のシングルを引けば、アラチャンでもないのに呼出ランプが反応してしまったのだ。ハマリ時に、この「ガセ点滅」が始まると結構イラッとさせられた。当然、その後は単チェもシングルも落ちないので、ランプも消えてしまう。

 

★下パネル

夕日をバックに、砂漠をゆったりと進む旅人とラクダが、何とも情緒たっぷり。「ALADDIN」のデザイン文字にも味がある。パネルをよく見ると、怪しげなアラビア文字が、ニョロニョロと白字で書かれている。これは、「アッサラーム、アレイコム」というアラブの言葉で、「貴方が平和でありますように」という、アラビア独特の挨拶である(アラジンIIにも引き継がれた)。

 

★BARハズシ攻略

(1)BRボーナス成立中に「等倍返し」がある(単チェリー確率が1/2にアップ)、(2)ボーナス成立中でもアラチャン抽選を行う(通常確率で抽選)、(3)ボーナス成立中の8枚役確率は「1/9.2」だが、アラチャンに当選すると「1/15」にダウンする、の3点を根拠として、レギュラー成立中にBARをひたすら外し続けて、コイン持ちの良い状態でアラチャン当選を狙う攻略が流行したことがある。

やり方はそれ程難しくなく、単チェリーが数回出現したら、7もシングルも揃わない事を確認する。BARフラグ確認後、左リールに2個あるチェリーの何れかを毎ゲーム狙う。左に単チェリー(2枚or4枚)が出たら、中リールでBARを外す。中リールにはBARが1個しかないので、目押しは楽だ。そのまましばらくプレイを続けて、BAR成立中のアラチャン当選を狙う。

ボーナス成立中は、1/2で単チェリーが落ちる為、通常時よりもコイン持ちが圧倒的に良い。この状態で、投資を抑えてアラチャンを当てようというのが、攻略の狙いである。

ただ、この攻略では「アラチャン当選を知らせる告知がない」事が、最大の欠点だった。レギュラー成立中、いつアラチャンに入ったのか、気づくすべがなかったのだ。もちろん、REG成立中にシングルボーナスが揃う事もない。一応、アラチャン当選により、8枚役(プラムor3連チェリー)の確率がダウンするが、「1/9.2」から「1/15」に下がる程度で、ゲーム数を稼がないと判別は困難であった。また、せっかくアラチャンに当っても、そのまま気づかずにBARハズシを続けていると、アラチャンが「パンク」する危険もあったので、いたずらにゲーム数を稼ぐのもうまくなかった。

(なお、BAR成立中に8枚役のフラグが立った時、BARを引き込める位置で中リールを止めると、8枚役よりもBARを優先するリール制御が働くので、8枚役を取れなくなってしまう。但し、正確にBARハズシ攻略を行っている限り、この心配はなかった。)

ともかくも、「投資を抑えてアラチャン狙い」を主眼に置いたBARハズシは、実際やってみると効果が今一つで、なんとなく「眉唾モノ」という印象さえあった。ただ、自分はBARハズシで2回アラチャンに入った経験があるので、完全否定する立場ではない。REGハズシからREG消化後、続けざまにシングルや単チェが落ちた時の感動は、なかなかのものがあった。自分の場合、BARハズシで30ゲームほど連続で8枚役が出ないと、「もしや…」と思ってBARを揃えていた。もちろん、単に「1/9.2」が引けなかっただけの時も、しょっちゅうだったが…。もう少し、効率的な方法があったかもしれない。

 

 

★原爆セット

 1990年11月半ば、有名攻略誌「HのP術」の誌上にて、アラジン「原爆セット打法」なるものが突如として発表された(ずいぶん不謹慎なネーミングだが…)。クレジット調整など特定の手順を踏むと、ビッグボーナスが自在に掛けられるというもので、誌面でも「たった3回のセットで7が自由自在、これが今世紀最大の究極の必勝術だ」などと煽っていた。その一方で、「読者の方々がこの攻略法に魂を奪われ、心得違いをしないことをひたすら祈るばかりだ」とも書いている。一体、同誌はセットを推奨したかったのか、したくなかったのか、どちらだったのだろう(笑)。

この記事発表は、他の攻略誌やそれを読んだファン、ホールやメーカーなど各所で大きな話題となった。だが、誌上で紹介した原爆セット打法が、全台ではなく「特定の台のみ」可能だった事が問題視された。

当時の資料によれば、記事発表後、被害を受けたホールからの連絡でサミー担当者が現地に行くと、店に設置されたアラジンのうち、数台にセットを狙える台があり、これらの台は日電協の封印が切られており、正規ROMの代わりに市販のワンタイムロムが入っていたという。

いわゆる「不正基板」(改造基板)が、いつの間にか仕込まれていた訳だ。違法ROMが仕込まれていた事について、ホール側は「まったく思い当たる節がない」という事で、どうやら第三者がホール側に気付かれず、この「改造ROM」を仕込んだ可能性が高いようだ。(ホールの「知らなかった」発言が、果たして真実かどうかは知らないが…)。

他の攻略誌の反応も様々だったが、この「P術」記事に対して特に厳しい反応を示したのが、主力誌の1つ「攻略M」だった。原爆セット打法をP術が公開したことに対する批判記事を、急遽掲載したほどだ。、「ごく限られたほんの一部の台、それも正規のマシンではなく、違法(改造基板)の台にしか使えないのである。」「これはもはや、攻略法ではない!ただいたずらに打ち手や業界を混乱に陥れる情報でしかない。」などと痛烈に揶揄している。

まぁ、この時期は、いわゆる「セット打法」というものが、おおっぴらにされる事などほとんどなかったので、攻略M誌の強い反応もやむなしであろう。ただ、その1,2年後には、攻略M誌や必勝G誌といった「主力どころ」が、「特定台にしか通用しないセット打法」ネタを、たびたび掲載するようになったのも事実だ。当時の大人気台「アラジン」の改造基板セットは、衝撃度があまり高く拒否反応も大きかったが、それをあえて誌上ですっぱ抜いた「P術」は、ネタづくりという意味では「先見の明」があったのではないか、とさえ思う。

 



8 コメント

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アラジン (neco)
2014-05-15 19:59:36
はじめまして。
サイフに5万は入れてないと安心できないヤツでした。
10万つっこんで12万帰ってきたことあります。
モーニングから3000枚出て全飲まれしたことあります。
パニック入ったのにSIN3回でパンクしたことあります。
パニック入って速攻7パンしたことは数しれず。
この台は喜びも悲しみもあじわいました。
伝説の名機ですね。
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Unknown (たろへい)
2014-05-15 21:10:48
BAR外し、少しだけ挑戦しました。
残念ながら僕はアラチャン引いた事ないですよ。
設定1をムキになって外したらきっと地獄をみるのでしょうな(>_<)


ビジュアルやサウンドそしてゲーム性ととても新鮮な感覚、しかも完成度まで高かったので当時の集中機種の代表作みたいな存在だったと思います。


捻くれた見方をすれば、復活前のニイガタ電子で攻略されなかった唯一の機種でもありますね(^_^;)
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コメント (白夜男)
2014-05-15 22:21:15
白ニョロ文字の謎が やっと解けました。あースッキリした!
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Unknown (えむ)
2014-05-15 22:28:52
あまり打ち込みはしませんでしたが上野東京会館の思い出を2つ
最初は20時頃引いたアラアチャンが閉店まで続いたこと・・・何枚出たか忘れたが時間1000枚は出てなかった気がする
そのうち全台モーニング入れたりしたのでちょくちょく行ったが1時間持つ台がほぼなかった(こういうのがあるからスロはしばらく気が向いた時にちょっと打つ位に)
隣に座ったおじさんの台だけボーナス入ってなかったこともあったな
しかし1シマあって1台もアラチャン入らないのもおかしいよなぁ
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Unknown (ゴルゴ)
2014-05-16 06:34:48
BARハズシ、絶大な効果があったんですがねwww

いやいや、まあ直接集中を入れるというよりは、全体のゲーム数のうち、いくらかをコイン持ちのいい状態で消化する、という感じですかね。

BARの後の1ゲーム目に単チェでもスカの自力単チェなんてのもありましたし、きっとハズシ中に集中に入ってもハズシ中にパンクなんてのもあったんでしょうね(笑)
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Unknown (ローマ)
2014-05-17 14:17:27
地元のホールのアラジンは頭上にパトライトでアラチャンのお知らせでしたね
あれって種なし単チェリー後数プレーでシングルボーナスが揃うとパトライトが回るんですよね
うざいったらありゃしなかったかもw
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Unknown ()
2014-05-19 10:46:07
あの頃シングルの集中でパトランプが点灯するのが不思議で仕方なかったのですが、ちゃんと出現役の履歴を把握してたんですねぇ・・当時からそんな機能があったとは知りませんでした。

個人的には集中メインのA-Cタイプは好みでなく、あまり打ったこと無いですが、都内の行きつけの店で時々打って単チェリからボーナスという経験だけはあります。

当時パチンコばかり打ってましたが、パチスロも、打ち込めば面白かったんでしょうねぇ・・
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一番熱かった台 (JAC)
2015-04-14 11:10:59
初めて打ったスロットがアラジン
1000円でいきなりBAR?とおもいきや
アラチャンでした。ビギナーズラックです。
1000円が6万円になってしまって
もう連日夢中になって打ちましたが
2日で全部返金した(笑)
BIGが来ると少し残念に思った
特別な台でしたね。
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