まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ホールインワン(山佐・3-2号機)

2011-09-19 05:48:53 | パチスロ3号機

私と山佐系との出会いは、1990年春、新宿・歌舞伎町の小さなパチスロ専門店「ニュープリンス」にさかのぼる。ガラガラのホールにヒッソリと並んでいた1.5号機「パルサーXXΣ」をおっかなびっくり触ったのが、私の山佐デビューということになる。まぁ厳密には、パルサーの販売は日活興業=NETであるが、開発・製造は山佐が担っていたのだから問題ないだろう。



(日活・パルサーXX2…「Σ」とは、いまだ再会できず。)


その後、東京・西早稲田のパチ屋「みよし」(現・MIYOSHI344)に置いてあった2号機「アストロライナー」と「ビッグパルサー」、そして3号機の「スーパープラネット」に立て続けにハマり、山佐お得意の豊富なリーチ目を日々堪能していた。


そんな折、1991年(平成3年)同社から満を持して登場したのが、このホールインワン(3-2号機)である。従来の大量リーチ目はそのまま引継ぎ、同社初の「シングルボーナス役」を採用。さらにそのシングルの集中役「バーディーラッシュ」が最大の特徴となっていた。


山佐「ホールインワン」(3-2号機)…1991年(平成3年)2月導入開始※

(ネット情報で「1991年11月登場」とあるが、これは間違い)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/084ee9ff5f239473deb439149328d6dc

 

オレンジ&ブルーのゴルフボール絵柄が揃うとシングルボーナスで、スープラでお馴染みのBGM「♪諸人こぞりて~」の甲高い音が鳴り響いた。ビッグボーナス時も同じBGMが流れたので、シマの向こう側からこの曲が聞こえてくると「シングル?それともビッグ?」と、その後の音の行方にいつも耳を傾けたものだ。


この機種最大の特徴である集中役「バーディラッシュ」に突入すれば、通常の10倍の確率でシングルがそろい続けるため、集中搭載機の名に恥じない一撃の爆発力も秘めていた。ただし低設定域では絶望的な突入率だったので、運悪く座ればほぼ勝つことは不可能だった。


この機種がアストロライナーとの入れ替えで「みよし」に初めて導入された頃は、雑誌の事前情報などで「集中一発でドカンと爆発」というイメージがあったので、かなり期待をしていた。しかし実際に打ってみると、せっかく入った集中の出玉がことごとく「ショボイ」のである。


同時期に活躍していた初代アラジンの「アラチャン」や、コンチネンタル3の「セブンラッシュ」に見られたようなロング集中はなかなか見られず、なにか拍子抜けする思いであった。まぁ、当時のこの店の設定状況が芳しくなかったことも原因だとは思うが・・・。


また、アラジンやコンチⅢには集中のサインとなる「単チェリー」「ラッシュ目」などが存在したのだが、このホールインワンには集中突入を表示するリーチ目や表示ランプなどは一切なく、シングルの揃い具合で体感的に判断するしかなかった。


店によっては、ある一定のゲーム数でシングルが4,5回揃うと頭上の呼び出しランプが点滅を開始するように設定していた所もあったが、自力でシングルを当てた場合にも点滅してしまうため、不確実極まりないものであった。

酷いところではシングルが揃う度にランプがチカチカ、なんて店もあったので、これではもはや集中役のサインとは呼べなかった。0枚役でもいいから、なにか継続を示す出目でもあれば、もう少し人気が出たかもしれない・・・(スペック的に無理だったか?)。


先述の「みよし」では、ほとんど大爆裂の経験がなかったが、他店ではドル箱を積み上げた経験もある。高田馬場の「東陽会館」(現・TOYO104)でホールインワンの新装を打ったときに、朝イチで座った台が運良くラッシュ→ボーナスを繰り返して終日で4000枚以上の爆発を見せたことも、今では良い思い出だ。東陽のパチスロコーナーのドル箱は、確かパチンコで使うようなデカいタイプだったような気がするが、イマイチハッキリ覚えていない…。




また、地下鉄・麹町駅そばのスロット専門店(名前は失念、おそらく現在は閉店)で偶然コイツを発見した時は、たった一度引いたラッシュが全然終わらずに、レギュラーを何度か挟んで最後7パン&ビッグの自力連チャンという理想の展開で、ワンチャンス3000枚くらい出た記憶もある。


このように高設定台に座ればちゃんと噴いてくれることもあったのだが、如何せん設置店が非常に少なかった印象が強い。当時ホームだった新宿・歌舞伎町界隈において、この台を置いていた店を思い出すことが出来ない。やはりスープラの人気が圧倒的に高かったので、こちらは「マイナー台」のレッテルを貼られてしまったのだろう。


余談だが、この台のパネルのゴルファーは山佐のある「お偉いさん」をモデルにした、という逸話がある。非常に綺麗なフォームなのだが、残念ながら実機の人気は「ナイスショット」とは行かなかったようだ・・・。