まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

演歌道I(三共、ハネモノ)

2014-09-07 00:14:18 | ハネモノ


1990年(平成2年)に三共から登場した旧要件ハネモノ「演歌道I」
(「えんかみち」と読む)


★賞球…オール13
★最高8ラウンド継続
★ハネ開閉時間…オトシ0.4秒、ヘソ0.6秒×2
★大当り中は、演歌師の腹の前(扇子の間)に玉を1個貯留
★当時の実戦店…新宿歌舞伎町・コマ劇前「オデヲン」、向ヶ丘遊園駅北口「ニューギンザ」など

★兄弟機…演歌道III(賞球…7&13)


(同年登場の「演歌道III」。賞球7&13、始動チャッカーは7個戻し。その分、「I」より釘を甘く調整できた。大当り中の貯留は、「I」より多い「2個貯留」(前後に2個)タイプ。始動チャッカー音や大当りBGMも異なる。※)

※1991年発売の音楽CD「ザ・パチンコ・ミュージック・フロム・三共II」の「演歌メドレー」に、「I」及び「III」の大当りサウンドが収録されている。
「I」はコテコテのマイナー演歌調で、「III」の方は明るめのメロディに仕上がっている。
個人的には、当時の思い入れもあって、「I」のメロディの方が好み。





「1990年」(平成2年)は、まさに私がパチンコを打ち始めたスタートの年。ハネモノ「エンタープライズ」でパチンコ初挑戦を果たした私にとって、三共から同年に出た旧要件ハネモノは、どれも記憶に「刺さる」機種ばかり。本機も、そんな思い入れあるハネモノの1つだ。

※1990年に三共から登場した、主な旧要件ハネモノ
エンタープライズI、スウィングI、スナイパーI、パワーフォークI、うちのポチI(II)、道路工事I、ダンシングヒーローI(II)、汽車ぽっぽII、演歌道I(III)、タコヤキSP(DX)、レオパードI(II)、アークタンクI、ナイトドラゴンVII 
など






悩みなど全く感じさせない、コミカルな表情。髪型はビシッと「七・三分け」。和服スタイルに「日本一」のタスキ。両手にはカラフルな扇子…。

一風変わった「昭和の演歌歌手」を匂わせる、個性的な役物キャラクターは、「演歌師」「ミスター演歌師」などと呼ばれた。

Vゾーン両脇には「咲かせてみせます、演歌の花を」のキャッチフレーズ。盤面(メラ)には、富士山、白波、提灯などのイラスト。始動チャッカーに描かれた「将棋の駒」。これでもか、と言わんばかりの「和風テイスト」満載な作り。

継続回数を「得点」、入賞個数を「曲数」と、演歌に絡めて表示していたのも面白い。

一方で、盤面左上の「演歌道」ロゴの上に、「JAPAN SOUL MUSIC」と英語表記され、盤面右に描かれた「マイクを持った男性の歌手」も、何となく日本人離れした表情に見える。

まぁ、こういったアンバランスさも、当時のハネモノ特有の「香ばしくもチープな雰囲気」を、ジワジワと醸し出していた。

※兄弟機「演歌道III」の場合、役物キャラの顔は全く同じだが、着物の色や扇子の柄が異なる。当時の資料によれば、両者は同一人物ではなく、「演歌兄弟」という設定らしい(兄弟機なので当然か)。


(演歌道「III」のヤクモノ。着物のカラーが「I」よりもやや緑っぽく、扇子の柄も「日の丸」。)

★★(追記)2014.9.7
「III」の役物画像を見直した所、人形の左後方に、「三共太郎」と書かれたような赤い「のぼり」(看板)がある事に気付いた。文字が不鮮明でハッキリしないが、これが「III」のキャラの本名(芸名)」の可能性もある。弟分である「III」のキャラの名前が「太郎」(いかにも長男っぽい)というのは、ちょっと不自然な気もするが…。

実は、先ほど紹介した「当時の資料」とは、例の「ザ・パチンコ・ミュージック・フロム・三共II」に添付された「ライナーノート」の事である。当時の三共開発本部の音楽担当・F氏が執筆したもので、この中でF氏は、「ユニーク演歌師、三共演歌兄弟が日本の心をじっくり歌います」という風に記している。即ち、両キャラ自体が兄弟である事を「示唆」している。

まぁ、読みようによっては、役物キャラそのものは同一人物で(この場合、両キャラ共に「三共太郎」という事になる)、単に「I」と「III」の両機種が兄弟機だと述べているだけのようにも取れる。

しかし、当時の開発に携わった社員の方が、「演歌兄弟」とライナーノートに明記している以上は、両キャラを同一人物ではなく、「兄弟」と考えた方が妥当と思われる。

では、「I」のキャラの名前は…と問われると、コチラは全く情報がない(役物キャラの背後には、「孝行之瀧」(「養老乃瀧」のもじりと思われる)や「ちょっと一杯」などの看板が見える)。
なお、両キャラの同一性、関係性、名前などについては、今後も調査を続ける。
(追記、ここまで)





さて、通常時のゲーム性に目を移すと、「マイク」をかたどった左右のハネに拾われた玉が、下段ステージ手前中央のVゾーンに入れば、大当りとなる。

演歌師の立つ手前側には、透明なプラスチックの「上段ステージ」がある。上段ステージは、中央手前にステージ状の小さな「出っ張り」があり、中央奥には玉1個分ほどの「くぼみ」がある。

だが、全体的に上段ステージは前後の幅が狭く、しかも、左右のハネより一段奥まった位置にある。

その為、通常時は上段ステージに乗りにくい構造になっており、ハネに拾われた玉は、ダイレクトで下段に落ちる事が大半。ただ、勢いよくハネに拾われたりすると、上段ステージ中央にある「出っ張り」に跳ねて、ランダムに落下する事もある。

次に、下段ステージ中央には、演歌師の足元から手前Vゾーンにかけて、小さく盛り上がった「一本道」のレール(段差)がある(このレールは「花道ガイド」とも呼ばれた)。

奥から手前に真っ直ぐ伸びた中央のレールは、主に大当り中、貯留玉をV穴に導く役割を果たした。一方で、通常時はV入賞をアシストしたり、逆に妨害したりした。

下段に落ちた玉がこのレールに乗っかれば、V入賞の大きなチャンスとなる。しかし、レールの段差に乗る事すら出来ず、V両脇のハズレ穴に流れるケースが圧倒的に多かった。

ただ、下段ステージのレールに乗らずとも、ハネに拾われた玉が直接Vに飛び込んだり、勢いよく左右の壁にぶつかってから、中央に戻ってVに入るなど、V入賞には幾つものパターンがあった。また、台ごとのV入賞率にも、大きな差があった。



首尾よく大当りすると、今まで役物の奥にいた演歌師が、手前に移動する。

こうなると、上段ステージと演歌師の隙間がグッと縮まり、中央奥の「くぼみ」と演歌師の腹の間に、玉を1個貯留するようになる。
(⇒兄弟機「演歌道III」の方は、この部分に「2個貯留」が可能だった

この貯留状態が、ちょうど演歌師の持つ左右の扇子が、玉を挟み込むように見えた。



(大当り中、演歌師がカラクリ人形よろしく、首を左右に振る様子もコミカルだった)



また、大当りになると、役物手前で下がったままだった(隠れていた)白い左右の「バー」が、規則的に「上下運動」(水平⇒垂直の開閉動作)を開始する。

この左右バーの動きが、あたかも役物内を「第二のハネ」が開閉する感じで、「通常のハネ2枚プラス役物内のハネ2枚」で、「4枚ハネ(ダブルウィング)」と表現されたりもした。

左右バーが上昇して水平になると、上段ステージの手前(ガラス側)にあった隙間(空間)がピッタリと埋まる。

つまり、左右のバーが周期的に上段ステージの役割を果たすようになる。ステージの前後の幅が手前に広がり、通常時にハネから直接下段ステージに落ちていた玉でも、容易に上段ステージへ乗るようになるのだ。これも、大当り中に貯留しやすくする「カラクリ」の1つだった。

加えて、演歌師が持つ左右の扇子も、大当り中「外⇒内」と振り子の要領でカクカク動く為、上段ステージに乗った玉が、中央奥の貯留スペースに寄せられ易くなる。

さらに、大当り中は、演歌師の右足(打ち手から見ると左側の足)も動く。貯留されずに左サイドから足元に落下した玉でも、動いた足に弾かれて方向を変え、V穴に向かう事があった(左足にはこの動きがなく、常に固定された状態)。


ハズレ玉8カウント、或いはハネ16回開閉後、演歌師が再び後方に下がり、同時に貯留も解除される。

上段ステージ中央奥に貯留された1個の玉は、そのまま下段奥の足元に落下後、中央のレールを伝って手前のV穴に向かう。まさに「必殺の1個貯留」という感じで、貯留玉は高確率でV入賞⇒継続となった。

この際、後続の玉が解除玉に当って「玉突き」パンクするのを防ぐ為、ハズレ8個目の玉が役物に入賞したら、即「止め打ち」するのが有効とされた。
まぁ、後続の玉が、レールの「段差」を乗り越えて玉突きするケースは多くなかったが、貯留があるのにパンクするとショックがデカかったので、止め打ちは「精神的安定」という面でも有効といえた。

V継続率はまあまあ良かったが、台によっては期待を裏切る「即パン台」というのもあった。本機は、貯留があれば継続がたやすい反面、ハネ周辺の釘調整や台のクセ、或いはストローク次第で、貯留そのものが困難なケースも少なからずあったからだ。

特に、ハネ周辺の釘による影響は大きく、左のハネから役物に飛び込む際に、玉の勢いが強すぎると上段で右サイドに偏り易くなる。逆に、玉の勢いが弱すぎると左に偏るので、中央に貯留されずにジリジリさせられることも…。ただ、実際には、そこまで釘を見て打った記憶もなく、、毎度早めにパンクするクセ悪台に弄ばれた。



それにしても、玉の「アナログ」で「予想外」な動きに一喜一憂しつつ、手元の小銭を玉貸機にチビチビと入れながら、盤面を凝視して玉を弾いていた当時が、懐かしく思い出される。
ハネモノ、デジパチ、一発台(一発型のアレパチ含む)、権利物、電役、遊べるチューリップ台…と打ち手の選択肢も多く、財布の具合に応じた勝負が出来た。たった数百円の元手が、ン万円となって帰って来る事もあった。夕方のハネモノ打止台開放、午前中や夜9時以降のデジパチ無制限サービス。夕方6時の「鉄板」ともいえる新装開店。情報が少ないからこその、新台に対するワクワク感。各店ごとに設置ラインナップの「個性」もあり、パチ屋のハシゴが猛烈に楽しかった時代。
「打ち始めの年」という個人的なひいき目もあろうが、「1990年」という旧要件末期は、短いながらも、パチンコという遊技の「完成期」ではなかったか。あの時代に、都内・神奈川のパチ屋を、連日のように「漂流」した事は、実に貴重な体験だったと思う。