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(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ジェネシス(ユニバーサル・パチコン)

2011-10-04 11:24:01 | 現金機デジパチ

※本機は「パチコン」のカテゴリーに属するが、便宜上「現金機デジパチ」のカテに入れた。



かつて、パチスロメーカーのユニバーサルが送り込んだ機種の一つに「ジェネシス」というパチコンが存在した。



(ユニバーサル「ジェネシス」…パチコン第2弾・1992年)

 

パチンコではなく、パチ「コン」である。


6段階の設定機能が付いたパチスロのようなマシンで、しかし外見は「デジパチ」そのものだった。


ジェネシスの兄貴分に当たる「ギガ」が登場したのは1991年(平成3年)。後続機のジェネシスは、翌年の1992年に登場した。

(パチコンの※「実質」第一弾「GIGA」…瑞穂制作所・1991年)

※「GIGA」以前にも、「パチコン」というカテゴリーに属する台は、数機種だが存在した(エーアイ「ビクトリー7」など)。


通常のデジパチは、台毎のデジタル回転数に差をつけるために、始動チャッカーの命釘(ヘソ釘)を調整する必要があった。しかしジェネシスにはそういう命釘は一切存在せず、どの台を打ってもチャッカーへの入賞率はほぼ同一だった。


その代わりに、始動チャッカーには「電チュー」が装備されていた。機械内部では常にデジタルの回転数を管理しており、デジタルの回りが悪いときには電チューが頻繁に開放して、チャッカーへの入賞をサポートする「お助け機能」が付いていたのだ。当然、回りが良い状態の時は電チューは閉じたままである。


そのため、外部から台の良し悪しを判別することはほぼ不可能だった。開放台と回収台の調整は、もっぱら6段階の設定によって管理されていたから、釘の調整具合で優良台を見抜くプロにとっては、あまり(というか全く)有難くない台だったことは、言うまでもないだろう。パチスロと同じく、大当り回数が多い台を狙うというのが、唯一の攻略要素であった。


まぁしかし、一般のパチンコファンでもプロと同様に勝つチャンスがある「平等」な台だった点において、この機種の存在意義はあったのではないか。


このジェネシス、前作のギガとの違いで言えば、まず大当たり確率がすべての設定において甘くなった点が挙げられる。最低設定の1でも1/290、設定6では1/200と良心的なスペックであった。大当たり時の出玉が2300発の時代だったから、今となっては非常に甘い数字のように見えてくる。

GENESIS・・・1/200、1/207、1/214、1/227、1/260、1/290(設定6→1の順)

GIGA・・・1/222、1/247、1/283、1/320、1/357、1/390(上に同じ)

※GIGAの低設定域は、今考えるとヒド過ぎる数字だと思う…。



また、本機では「7」と「BAR」で当たった場合に、次回大当りまでの「確率変動機能」(小デジタル)が付いていた。大当り絵柄は7つなので、確変突入確率は7分の2となる。



前作のギガでは、通常時にいきなり電チューの開放確率が格段にアップする「チューリップパニック」と呼ばれる機能が付いていた。まぁ、今でいえば突確みたいなものか…ちょっと違うか。打ち出しおよそ1万6000発に1回という、非常に突入確率は低かった(これが狙い撃ちできる攻略法があったような・・・)。


ジェネシスではチューリップパニックはなくなったが、その代わりに「7」or「BAR」の絵柄で当たった場合に「チューリップラッシュ」という集中役に突入し、次回の当りまで出玉が減らないようになっていたのだ。まぁ、こちらは単なる時短である。メインデジタルの大当り確率はそのままだったので、次の大当りまで時間を要する場合もあった。

 

閉店間際に確変で当たってしまった場合など、次の当りを取りきれずに閉店、なんて悲劇も当時は起こっていた。優良店ならば2回分の出玉を保証してくれたが、ボッタ店では・・・。


あらためて振り返ってみると、このジェネシスという台、なかなか魅力的なスペックではないかと思えてくる。しかし、この台が稼働していた1991~92年といえば、パチスロでは裏物の連チャン3号機全盛時代、パチンコでも多くの保留玉連チャン機や数珠連チャン機が台頭していた頃であり、よほどの特徴がなければノーマル台に客が寄り付くことはなかった。


そうした例にもれず、このジェネシスも都内・神奈川でボチボチ導入されていた記憶があるが、新台の頃はともかく、通常営業で客付きが良かったという印象はあまりない。やはり、前作のギガが比較的辛い台だったというイメージが残っていたせいか、食わず嫌いで打たなかったファンも多かったと思われる。


しかし、個人的にはリーチ時の独特なドラムの機械的な回転音や、パチスロメーカーらしい絵柄のカッコ良さなどが結構好みで、店で設置を見かけたらとりあえず座ることが多かった。記憶に残っているのは、新宿の「N拓本店」(現・エスPス本店)の1Fや、向ヶ丘遊園の「ギンザホール」など。しかし、この台で大勝ちしたとか連チャンしたとかいう経験はほとんどなかったので、次第に打つ機会も少なくなっていった。


一説によると、このジェネシスには当時正規の基板ではない「裏物」が存在したといわれる。まぁパチスロが裏化の一途をたどっていった時代であるから、中身がパチスロであるジェネシスにも、その可能性は十分あっただろう。いったいどのような出方をしたのか、非常に気になるところではある。セット打法などもあったのだろうか…。