カレーによる町おこしは「よこすか海軍カレー」をはじめ、いろいろ試みられて来ましたが、失敗例も多いそうです。そのなかで、レトルトの発売や、横須賀のカレーフェスティバルへ招待されるなど、確実な実績を残しているのが、「白樺派のカレー」です。白樺派の重鎮、柳宗悦の妻、柳兼子が振る舞った味噌入りカレーがもとになっています。
カレーによる町おこしは「よこすか海軍カレー」をはじめ、いろいろ試みられて来ましたが、失敗例も多いそうです。そのなかで、レトルトの発売や、横須賀のカレーフェスティバルへ招待されるなど、確実な実績を残しているのが、「白樺派のカレー」です。白樺派の重鎮、柳宗悦の妻、柳兼子が振る舞った味噌入りカレーがもとになっています。
12月3日、「千葉いま」の第4回学習研究会が実施されました。「白樺派のカレー普及会」の吉澤淳一さんにいらしていただきました。市民の方も多くいらして、学生、教員とともにお話を伺いました。今では我孫子の名物となり、お土産として人気を博している白樺派のカレーですが、市民の力で90年前のカレーを再現し、ここまで育てたご苦労を知ることができました。パワーポイントやニュース映像、多くの資料を使って、大変分かりやすく、興味深いお話でした。
昭和39年建立。場所は、村上七百余神社の前。八千代に最初に梨の栽培を導入し、先行する松戸・市川の梨栽培を研究して、よい梨を作り出し(阿蘇梨・昭和13年)、八千代の梨栽培の基礎を固めた宮崎、宮崎規矩治両氏の功績をたたえる碑。両氏の名前を当時の友納武人千葉県知事が書いている。
宮崎
宮崎規矩治 千葉県知事 友納武人
氏は共に阿蘇梨先植の大先覚者であり、その歴史は遠く、東京オリンピックの年をもって、五十年に正当する。両氏は大正初期旧制中学校を卒業、当時農家は米麦養蚕一辺倒の旧態依然たるものであったがつとにこれが体質改善を唱え、清新な感覚と情熱を捧げて総ゆる困難辛苦にも堪え、両友相携えて地味に適した果樹梨苗を、安行・佐倉両地より初めて移植することに成功。以来研究に研究を重ねた結果、終に今日の東京市場を独占するがごとき名産“阿蘇梨”の礎石を築いたのである。この間氏等は梨の育成を生涯の友と為し、品質の改善と後進の指導に全力を傾注。一切の名誉職にも就かず地区住民果樹栽培のためには、慈愛と謙虚さをもって、知れる限りの秘宝を傅援するに惜しみなく、創園当初僅か二戸の栽植戸数より栽培面積七十八ヘクタールの今日に至るまで、よく愛情一路に生き抜き地区梨業者発展に寄与した功績まことに偉大である。ここに梨齢五十年を迎えるに当り梨業組合百二十戸の名の下に、両翁の高徳を讃え頌徳碑を建立、もって鴻思の万分の一にも報いんとするものである。
10月4日にやちよ蕎麦の会で、蕎麦の花を見て蕎麦を食べる会が行なわれました。10時からということで、少し前に行ったところ、すでに沢山の方が集まってお蕎麦を食べていました。のどかな田園風景の中で食べる八千代産のお蕎麦は美味。蕎麦の花は少し盛りを過ぎたということでしたが、一面の白い花は霞をひいたようでした。