3日ほど留守をしていましたので、今日は来客が続きました。
都合5組の方々がそれぞれの思いを持ち来山されました。
それぞれに来山の目的は違います。
ある覚悟を告げるために来山された方は、これから病との闘いが始まります。
先々代の住職は晩年顔面神経痛を患いながらも、原爆で亡くなられた方々の供養のため、般若心経の写経をしていました。
写経といっても紙にではなく、小さな石を左手に持ち、右手の筆でお経の一文字を書いていた際に来山された檀家様が「和尚さん、顔がびりびりと震えているのに、何故筆をとって書くのですか」と訊かれた時に先々代は「病気を受け入れること、病気と友達になることが大事なことである。何故なら、いくら病気を嫌がっても病気が体から出ていくことはない。だったら、仲良くすれば良い。」と答えたのを思い出します。
医学の進歩は正に日進月歩ですが、いまだに治療法が解明されない病気が多々あります。
今日来山された方は正にこれから病とどううまく付き合っていくかが、ある面では病の進行を遅くすることにもつながります。
「受容」することはご本人は勿論ですが、家族等のご本人に直接的にかかわりのある方々にも言えることです。
言葉でいうことは簡単ですが、日常生活ではついつい色々な思いが積り、厳しい言葉や態度につながります。
「看る」と言う字は「手」と「目」が一体化した文字です。
「看護る」ことは医療従事者ではない私たちが出来る行為です。
道元禅師のお示しに「愛語」というとても大事な実践があります。
お釈迦様のお示しに「応病与薬」という病に応じて薬を与えるとこう言葉があります。
正にこのこの薬は「愛語」、つまりは愛情をもった言葉であり、とても大事な布施行の一つです。合掌