一生に一度ぐらいは・・と、思っていた海外旅行
23年前に、懸賞によるご招待があって三人で・・昨年は、退職金を使って二人で行くことが出来た。
行き先は、誰もが思いもしなかっただろう「フランス」・・・真実を知っている人以外のみんなは、ただ上京しただけ・・・って思っていたはず。
23年前はデジョンや、ボーヌにパリからスイス行きのTJV(?)に乗っていき、宿泊先はデジョンのシャトーの貸し切りとパリ市内の昔ながらの一つ星ホテルを二部屋使用・・・有名な女優さんのお墓が近くにあるホテルだったと思った。
23年前に、懸賞によるご招待があって三人で・・昨年は、退職金を使って二人で行くことが出来た。
行き先は、誰もが思いもしなかっただろう「フランス」・・・真実を知っている人以外のみんなは、ただ上京しただけ・・・って思っていたはず。
23年前はデジョンや、ボーヌにパリからスイス行きのTJV(?)に乗っていき、宿泊先はデジョンのシャトーの貸し切りとパリ市内の昔ながらの一つ星ホテルを二部屋使用・・・有名な女優さんのお墓が近くにあるホテルだったと思った。
昨年の旅行は、朝早く出発する大型バスに乗り合わせで、モン・サン・ミッシェルに行き、残りの日々はパリ市内で・・・大学を卒業する同行者が急に一日早く戻ることになったこともあって、上乗せ負担をすることになってしまったんだけれどもね。
モン・サン・ミッシェルにいるときに、警察で、元同僚がナイフをフリまわす事件があり、みんなの携帯電話などがあっちでもこっちでも騒がしい事になったんで、ちょっとだけ心配したんだけれども、翌日に行った市内は、駅の封鎖も解けていて、軍隊や警察関係者の見回りがタックさんあちらこちらに出ているだけで平日状態をとり戻しているような・・・でも、バラ窓が見られたあの火事現場は柵越しに遠くから見ただけ・・近寄れず、市役所の隣にあったような監獄にも協会にも行って・・キリスト教にかかわる亡くなった方が多くいたところを多く見て回ったら、身体がどんどん重くなっていき・・・あれって何だったんだろう、ただの疲れなのかな??
最後の「ポツンと一人暮らし」では、オペラ座付近にあるホテルの一番近くにある普通のスーパーマーケットに行き、大粒のブドウを二房と水とジュースを買ってきて部屋で最後の晩餐をして、帰国前の日は、朝、ホテルの食堂で、医療関係の女性三人がいらっしゃるテーブルに「独りだったら、ここに来ない?」と誘われて、いろんなお話を聞きました。食後、おなかが落ち着いたら、歩いて凱旋門に行ったのはいいんだけれども、迷子っぽくなって、ただただ歩き、ロータリーの外側をぐるぐると回って、地下鉄の入り口をようやく見つけて帰ってきただけ・・・ホテルのトイレを借り、帰国してからは両替できなくなるレベルの小銭をホテルのフロント係の若者に、お年玉用ののし袋に入れて渡したら不思議そうにただただ見ているだけ・・だったから、カウンターのうえに中身をじゃらじゃらと出して「チップ」といったら、笑顔が返ってきた・・ような気がした。
空港直行の予約タクシーの到着…これが予約時刻よりもあまりにも早く着いちゃってて・・慌てて出たのはいいんだけれども、一切のトラブルなしでスムーズに空港に・・だから、空港についてからの一人っきりの時間(二時間ぐらい?)の長いこと長いこと。それが一番疲れた><
23年前でも、スーツケースは一番小さな機内持ち込み用のちいさい布製のモノ一個と、幼稚園バッグのような合成皮革のバッグ・・・荷物は少なく!!下着の着換えぐらいしか持って行かないし、帰国時のおみやげは、航空会社のお土産パックで行く前に注文してあったからね。服装は、しわにならない合繊の濃紺のズボンにいただき物のスニーカー、おさがりの荒く織ったスエードのジャケット姿で行ったけれど、パンプスとニット生地のタイトスカートをも丸めて持って行ったから、レストランに行く日は、其れに着替えて間に合った。
昨年も、そのお下がりのジャケット姿に、布の頭陀袋をバッグINバッグにしただけで、しゃれたものは一切持って行かなかったんだけれども、小さくたためるリバーシブルパーカーを持って行ったから、モン・サン・ミッシェルでも、寒くなかった。ただ、パンプスが、以前行ったときよりも小さいものだったから、すました格好の日の前半で靴擦れが起きて、ラコステの白いスニーカーを購入して、それをレストランに入る寸前までの数時間だけ履かないといけない羽目になり、その余計な出費が、約一万円><
まぁ、戻ってきてから、欧風の形の足を持つ友人に、お土産替わりにあげることになったから、無駄にはならなかったからよかったんだけどもね。
23年前は、ホテルについた最初から、ホテルを出発す最後まで、ガイド的な方が親戚のおばさんのような方がついてくださったから「メルシー・ボークー、エクセゼモア」という言葉しか使わなくってよかったから、フランス語を耳にしないうちに帰ってきてしまった。
23年前のディジョン・・・帰宅してから知ったのだけれども、ホスピス・ド・ボーヌにもスムーズに入れたし、市役所で握手をした女の人は、市長さんだったらしいし、ちゃんとしたレストランで、半分量のコース料理もいただいて、ハガキを出しに立ち寄っていただいた郵便局は、歴史的な広場がある中央郵便局で、ディジョンの方々の誇りである「パリ市内の原型」となったといわれる市内の案内や、修道院のフクロウなのかミミズクなのか・・ずいぶんすり減っていたけれども・・とにかく、いろんなところに連れて行ってくださって、感激して帰ってきたから、もう一度行っておきたかったんだ。
フランスに住んでいらっしゃる方にとっては、日常の住まいがあるところ・・なんでしょうけれども、飛行機に乗ることだって、一生に一度あるのか…って思っていた田舎人だから・・・え?ことば??日本語だってまともじゃないのに英語やフランス語での会話なんてできるわけないじゃぁ有りませんか。よくいってきたよね・・・そうだよね
それにしても、飲み物とか、観光地値段でしょうけれども、ペットボトル一本の水で4~5ユーロ・・げげげ・・・だよね。
一人で行ったんだったら、ホテルの食事だけで、上手いこと乗り切ったんだろうけれども、一緒の若い子のために、一応食べるところをもうけなければならないから・・大変だったわぁ。
二日間フリーの権利を持っていたんだから、ルーブルだけじゃなく、もっと、あっちこっちを廻りたかったなぁ。色んな美術館に行った方のブログを見させていただいたり、凱旋門や塔にの乗った方の体験記をここで見せていただくことができるから、もう、どこにもいくことはないんだろうから・・・とにかく、みなさんが書いてくださる旅行記を見せていただいて、それで満足しようと…