NPO法人さなぎ達ブログ

横浜市寿地区や近隣地域を中心に社会的生きづらさを抱えている人々を対象としながら活動を行っているNPO法人です。

寿町で見えるもの、見えないもの

2012年08月29日 | ふらここ
 先日、あるところで、横浜のイメージや歴史を
テーマにしたシンポジウムがあった。
 会場からの質問や感想を受けるコーナーで
一人の若い女性が立って言った。

「このあいだ、寿町というところへ人に案内
されて行きました。ものすごいショックでした。
 ああいうところを見たのは初めてですが、
この素敵な横浜に、あんな無気力で希望のない
場所があるなんて、とても悲しくなって……」

 彼女は大学院生で、横浜の人ではない。
 ある教授に横浜を案内してもらったのだが、
その際、「こういうところも見ておいたほうが
いいでしょう」と寿に連れて行かれたらしい。

 それはお気の毒に……と思ったが、私はちょっと
複雑な気持ちにもなった。
 たしかに寿町は、人間の弱さが寄り集まっている場所だ。
 けどその弱さは、決してここにいる人達特有のものではない。
 横浜の華やかな場所……みなとみらいにも関内にも
山下町にも、高級住宅街の山手にだって、寿町の人と
同じくらい弱い人、悪い人、駄目な人はいる。
 いっぱいいると思う。
 でもいまは運良く、そうした面を出さずにいられたり、
うまく隠していられたりするだけだ。
 明るい通りを歩き、おしゃれな店に入り、立派な
服を着ていれば、どんなに人間として卑劣で残酷であろうと
「まともな人」に見えるだろう。

 この世に、根っからの悪人、根っからの善人など
そうそういるものではないと私は思っている。
 生まれ育った環境、その時の状況で、人は
思いがけない「自分」と出逢う。
 真面目な息子、父親だったはずの人が、戦地では
あたりまえのように女をレイプしたりするのだ。

 寿町にいる人は、たしかにいろんな事情で追い詰められ
ドヤ街と呼ばれるところで暮らすようになった。
 が、やさしさや教養や前向きな心がまったくない人
ばかりかといえば、そんなことはない。
 なにも悪いことなどしていないのに、発達障害などで
社会に受け入れてもらえなかった人も大勢いる。
 なのに寿町にいるというだけで、「駄目な人」
「そばに寄ると危ない人」に見られてしまう。
「無気力で希望がない」というレッテルを貼られ、
時には差別の対象にもなる。

 数年前、古くからある「ドヤ」に泊まったことがある。
 帳場のおばさんに「ホテル代、先払いですよね?」
と尋ねると、凄い眼で睨まれ、蔑みの口調で言われた。
「あたりまでしょ。あんた、金も払わないで泊まる気?」
 世間から脱落し、ドヤに流れてきた女だと思われたのだ。
 ところが、外出して戻ってくると、おばさんは
別人のように愛想の良い顔になっていた。
 留守の間に、この宿泊を世話してくれた人が来て、
おばさんに、聞こえの良い私の肩書きを告げたのだ。
 世間とはそんなものだ。

 寿町を見てショックを受けた女性は少しも悪くない。
 普通に育ってきた人として、当然の反応だろう。
 でもあえて言うなら、人種や住む場所や肩書きだけで
人を十把一絡げにしてほしくない。
 寿町の人も、ひとりひとり、違う人生、違う考え方を
持っている。人間として、いい面も悪い面も持っている。
 あなたや私と同じ。
 この町を見る時、そのことをまず思い浮かべて欲しい。

 寿のお地蔵さん。

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