SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

紙入

2007-01-30 23:56:28 | 
鶏とやにつく 候となりました

我が家の梅の花もちらほらとほころび始めました。冷たい冷気の中で咲く小さな花はけなげで大好きです。梅は桜に魁げて咲く花の兄ですが年々桜よりろうたけた梅のよさが分かってくるようになりました。








この紙入は母の物ですが私が頂きました。私は姉妹が多いのですが他の姉妹より長く父母の元で甘えていましたので徳をしたようです。
今になると早く嫁いだ姉達には申しわけない気がしています。

これは小ぶりで鏡などもなくて今で言うティシュケースでしょう。
白地に赤い縁が綺麗ですが縁は1㍉ほどでこの細工が作る上でのネックとなっています。
玉縁と同じ作りなのですが、この細さが美しいけれど難しいのです。
これが作りたくてお細工物の古書も買いましたのでいつかきっと筥迫と一緒に出来たらいいと思っています。

(筥迫、印籠、扇子の写真は丁度一年ほど前、里へ寄った折に写させてもらったものです。どなたのお家にもきっといい物がおありでしょうし、昔の母の物でも購入した物を載せるのは如何かとずっと躊躇っていたものです。SAKURAはふるきよき・うつくしきものを知って頂き、それらを出来るだけ手作りしたいと思っています。) 


庭の梅

2007-01-27 22:50:43 | 
色つぼむ梅の木の間の夕月夜春の光を見せそむるかな









ちょうど一輪咲き初めた梅の木の間に覗いた九夜月です。
望遠でブレましたがだんだん大きくなる夕暮れのお月さま、まさにお歌の通リではありませんか。式子内親王さまもこんなお月さまをご覧になったのではないでしょうか?


扇子

2007-01-25 23:43:15 | 
水沢あつく堅し 候となりました

夜空に星が綺麗です。明るい星はシリウスでしょうか? そう言えば昨年は戌年、大犬座のシリウスはもっと注目されてもよかったような~年男ならぬ年星?でしたのに~







今月は母シリーズになりました。これも母の婚礼の折に持った扇子だと思います。
金が今でもまばゆいほどです。これにも長い紐で花結びがされています。房が付くとぐっと華やいで、格も高くなるように思います。
扇は古くは かわほり、桧扇 先の開いた中啓 もう少し狭い 雪洞 などから舞扇。お能の扇は少し大きめです。
日本舞踊の扇も二枚扇のように曲芸風に扱う物は錘を重くして扱いいいように工夫されています。あとはお茶の扇子や儀式用のもの。
お扇子一本おくだけで結界にもなって、さまざまな用途に使える日本の扇は和の文化にはなくてはならない一品ですね。



左官

2007-01-23 23:16:27 | 
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ






こちらはまだ大寒の最中ですがコメントを下さるさくらさんから梅の画像が添付されてきました。南の国はもう春がそこまで来ているのですね。TVでも大宰府の「飛梅」がセンター試験の日に一輪だけほころんだニュースを見ました。春は日本の南端にまで来ていると思うとこの寒さも乗り越えられそうです。皆さん風邪など引かないようにしましょうね。さくらさん綺麗な画像ありがとうございました。

ところで先日左官屋さんが入りました。
こて絵やうだつの話をしていましたら職人さんが手を止めて「左官は唯一官を貰っている仕事」と誇らしげでした。 左官屋さんのさかん
長官(カミ)・次官(スケ)・判官(ジョウ)・主典(サカン)の官からきているようですよ。昔学校で覚えたでしょ、あの律令制の官位です。
左官屋さんは「左官は皆左から塗るから左官」と言っていましたが~
我が家の出入りの大工さんは何でもこなす便利な人ですが「左官屋だけは出来ない」そうで、技術的にも難しいプライドのある仕事のようです。
土蔵など何年もかけて厚くするそうで、耐火に優れているのもこの為です。「うだつが上がる」のうだつも土蔵同様資力がなくては出来ないもので、職人さんにとっても高度の技が必要らしいです。 
左官屋さんが官の字を許された職業だと分かったので、つい皆様にもお伝えしたくなりました。mail



印籠

2007-01-20 10:05:08 | 
大寒となり蕗のとう花咲く候となりました

暖冬とはいえ、さすがに大寒、昨日今日の寒さは厳しいようです。









母の物が続いて恐縮ですが、この印籠も母の為に祖父が誂えたもののようで、女性用に出来ています。漆黒では強いので優しく溜塗りになっています。 表と裏の写真です。
この印籠は時々帯に飾りとして身につけていました。実用すると根付けの意味合いもよくわかります。 兄の守り袋の巾着なども帯に下げたような記憶がうる覚えにあります。 母はしまっておくだけでなく実際に身に付けさせてくれたところが偉いと思います。






印籠は今のピルケースと使われていましたが印籠蓋と呼ばれる蓋はきっと中身の保存にも適していたのでしょう。