Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(11)

2019年08月04日 | 社会学/社会批評
検証:高層建築物やショッピング・センターがない、交通信号機さえない(11)

「高層建築物やショッピング・センターみたいなものはまったくない。
スターバックスもマクドナルドもない。パーキング・メーターもないし、交通信号さえない。」
(文藝春秋刊、単行本P153)


ルアンパバーンの街並み

 ルアンパバーンの「景観保護条例」が出来てから、ルアンパバーンでは高層建築物は立てられなくなった。
高層建築物がないのではなく、景観保護の観点から建築が認められていないのです。
だから観光局の並びにある、条例制定前に建てられたホテル「インディゴ・ハウス」の4階建てが一番高い建築物です。
街全体が世界遺産として大切に保護されているのです。


ルアンパバーンの高層建築物、ホテル「インディゴハウス」

 村上様が言われているような、西欧白人主義的なショッピング・センターは無いかもしれないが、
村上様がご宿泊されていた「アマンタカホテル」の近くに、
アジア的なショッピングセンター、ダラートダーラー(Dala Market)があり、
ナンプ噴水より南西に少し行った所にダラートポーシー(Phosy Market)があり、
日用品を含め、ありとあらゆるモノが販売されている。
自分たちの生活習慣を守ることが、ラオス人の心のよりどころであり、誇りなのです。

スターバックスがない、マクドナルドがない、「ないからどうした」と言うのか。
さして上質でもないコーヒー豆を使い、さして美味しくもないスターバックスのコーヒーを飲みたいのか?
何の肉を使っているか分からないような、不味いマクドナルドのハンバーガが食べたいのか?
悪しき資本主義の象徴的な「スターバックス」も「マクドナルド」もないが、
街の至る所にカフェーがあり、美味しいコーヒーを飲み、フレンチパンを食べる事が出来る。



JOMOカフエー

JOMOカフエーの店内空間


フレンチべーカリー&カフエー「ル・バントン」

観光局の向かいにある、旧・モン市場の周辺で新鮮な生フルーツシェイクが飲め、サンドイッチが食べられるし
カフェメコンフイッシュなど、ハンバーガを提供するレストランもある。


旧・モン市場前の生フルーツシェイク&サンドイッチ屋台。

「交通信号さえない」と、「ないことを、さげすむ」ように書かれているが、
徐行運転で、ゆっくりと運転するので交通事故の話は聞いたことがない。
(一度バイクが転倒する場面にでくわしたが)
ベトナムのハノイでは「信号機のない横断歩道より、信号機のある横断歩道の方が危険だ」と言われ、
日本では「信号機があろうと、なかろうと危険だ!」連日のように自動車事故が起き、人の命が失われている。
あおり運転が社会問題となっている。
信号機がなくとも、交通事故がない、ルアンパバーンは理想的な社会ではないか。

村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(10)

2019年08月02日 | 社会学/社会批評
検証:僧侶の日傘(10)

「僧侶の多くは強い日差しを避けるために傘をさしているのだが、傘は残念ながらごく普通の黒いこうもり雨傘であることが多い。
・・・(省略)・・・僧衣に合わせてオレンジ色の素敵な傘を・・・(省略)・・・作ってあげるべきではないのだろうか。
そうすれば色彩の統一感がいっそう際立ちルアンパバーンの風景は今にも増して印象的なものになるに違いない
そして僧侶としての彼らのアイデンティティもより揺らぎないものになるのではないか
ヤクルト・スワローズの熱心なフアンが緑色の傘を携えて勇んで神宮球場に行くみたいに。」
(文藝春秋刊、単行本P153)


雨の日の托鉢、残念ながら傘は「黒」とは限らない








 僧侶の衣服はファッションではない。朝の托鉢はファッション・ショーでもない。
僧侶の日傘が黒であれオレンジ色であれ、宗教における信仰とは何の関係もない。
袈裟と日傘を同色にすれば色彩の統一感が際立ち、「ルアンパバーンの風景は今にも増して印象的なものになるに違いない。」
「僧侶としての彼らのアイデンティティはより揺るぎないものになる」と本当にお考えでしょうか?
 日傘と袈裟が同色の方がルアンパバーンに似合っていると思われるなら、
セレブ御用達の「アマンタカホテル」にお泊りのようで、お金はあり余るほどお持ちでしょうから、
NPOなどの団体にして、「誰かが」と言うのではなく、村上様ご自身がルアンパバーンのすべてのお坊さんに
同色の日傘を「喜捨」されるのが良いかと思います。
 「ヤクルト・スワローズの熱心なフアンが緑色の傘を携えて勇んで神宮球場に行くみたいに」にいたつては
全く托鉢と関連性がなく、テレビを賑わす吉本興業のドタバタ以上に、可笑しくて、笑うしかありません。

(むらかみはるき、だいセンセーがウソ、デタラメをかいても、「本当なのか?」とおもってしまうコトがコワイ
「傘は残念ながら普通の黒いこうもり雨傘が多い」とセンセーがおかきになられると、そうかとおもってしまう。
じっさいにかくにんしたがカサの色は、イエロー系がおおかったが、イロイロないろがあり、バラエティーに富んでいる。
ショッキングピンクはなかったが。もちろん、ムラカミセンセーがおっしゃっている、くろのアマガサもすこしはあった。)



村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(9)

2019年08月01日 | 社会学/社会批評
検証:托鉢(9)


僧侶に喜捨する人

「仏教信仰の盛んなラオスの中にあってもルアンプラバンはとりわけ信仰心の篤い街だ。」
(文藝春秋刊、単行本P154)

「・・・そんな儀式を毎日欠かさず続けるのはけっこう手間だと思うんだけど
ルアンプラバンではそれが日々の営みの一部となっている。」
(文藝春秋刊、単行本P156)


僧侶から喜捨を受ける子どもたち




 村上様は「托鉢」と「喜捨」の意味が充分に御理解されていないようですネ。
ルアンパバーンの托鉢行では僧侶に喜捨をする人たちと、僧侶から喜捨を受ける人達が道端に座っています。
僧侶に喜捨されたモノ、特に食べ物は自分が食べる分を除き、再び一般市民に喜捨されます。
 托鉢は一般市民から僧侶へ、僧侶から一般市民へと「循環」によって成り立っています。
この循環によって、貧しい人々も食うに困らないのです。
村上様でも、よく観察していただければわかると思いますが、ラオスにはマニラのような「スラム街」は存在しないし、
ハノイやバンコクで、よく見かける「物乞い」を見かける事はありません。

 ルアンパバーンだけがとりわけ信仰心が篤いわけではありません。
ラオスの人々のすべてが篤い信仰心を持っているのです。
ただルアンパバーンでは托鉢が観光として成り立っているだけです。
ラオスの他の街でも同じように托鉢は「行」として行われています。

「・・・そんな儀式を・・・」と言われますが、自分の富を自分より貧しい人に分け与える、
この日々の営みによって、庶民、とりわけ貧困な人々の生活が支えられているのです。


外国人観光客にカオニャンを売るオバちゃん(ピンクのプラレンゲは3月には見かけなかつた)


ムアンクアでの雨の日の托鉢、残念ながら雨傘は黒ではない




村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(8)

2019年08月01日 | 社会学/社会批評
検証:保護領(8)

「・・・(ラオスは半世紀のあいだフランスの「保護領」になっていた)、・・・」
(文藝春秋刊、単行本P161)

 ラオスはフランスの「保護領」になっていたと書かれていますが、正しくは「植民地」です。
軽い「オヤジ・ギャグ」のノリでテキトーにデタラメな事を書くのではなく、
少なくともインドシナ半島の国々が抱えてきた歴史を学習した上でエッセイを書くべきです。
 フランスは、他の白人植民地主義国と同様に、ラオスやベトナムと言ったアジアの植民地では
一切のインフラ整備は行っていないし、「保護」など一切していません。
フランスと言う狡猾な国がどのようにラオスに取り入り、ラオス人を支配し、ラオス人を奴隷化して行ったのか!
ラオスでのフランスの植民地支配がどれほど過酷なものであったのか理解すべきです。
ラオスでフランスが行ったのは、「略奪」と「搾取」だけです。


ラオス国立博物館(ビエンチャン)展示資料(現在、閉鎖中)

首枷をされ、足を縛られた状態で働かされるラオス人


後ろ手に縛られムチで打たれるラオス人


強制労働に従事させられるラオス人


後ろ手に縛られた僧侶たち


井戸に投げ込まれる子ども