Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(9)

2019年08月01日 | 社会学/社会批評
検証:托鉢(9)


僧侶に喜捨する人

「仏教信仰の盛んなラオスの中にあってもルアンプラバンはとりわけ信仰心の篤い街だ。」
(文藝春秋刊、単行本P154)

「・・・そんな儀式を毎日欠かさず続けるのはけっこう手間だと思うんだけど
ルアンプラバンではそれが日々の営みの一部となっている。」
(文藝春秋刊、単行本P156)


僧侶から喜捨を受ける子どもたち




 村上様は「托鉢」と「喜捨」の意味が充分に御理解されていないようですネ。
ルアンパバーンの托鉢行では僧侶に喜捨をする人たちと、僧侶から喜捨を受ける人達が道端に座っています。
僧侶に喜捨されたモノ、特に食べ物は自分が食べる分を除き、再び一般市民に喜捨されます。
 托鉢は一般市民から僧侶へ、僧侶から一般市民へと「循環」によって成り立っています。
この循環によって、貧しい人々も食うに困らないのです。
村上様でも、よく観察していただければわかると思いますが、ラオスにはマニラのような「スラム街」は存在しないし、
ハノイやバンコクで、よく見かける「物乞い」を見かける事はありません。

 ルアンパバーンだけがとりわけ信仰心が篤いわけではありません。
ラオスの人々のすべてが篤い信仰心を持っているのです。
ただルアンパバーンでは托鉢が観光として成り立っているだけです。
ラオスの他の街でも同じように托鉢は「行」として行われています。

「・・・そんな儀式を・・・」と言われますが、自分の富を自分より貧しい人に分け与える、
この日々の営みによって、庶民、とりわけ貧困な人々の生活が支えられているのです。


外国人観光客にカオニャンを売るオバちゃん(ピンクのプラレンゲは3月には見かけなかつた)


ムアンクアでの雨の日の托鉢、残念ながら雨傘は黒ではない




村上春樹「ラオスにいったい何があるのですか?」を読み解く <連続シリーズ>(8)

2019年08月01日 | 社会学/社会批評
検証:保護領(8)

「・・・(ラオスは半世紀のあいだフランスの「保護領」になっていた)、・・・」
(文藝春秋刊、単行本P161)

 ラオスはフランスの「保護領」になっていたと書かれていますが、正しくは「植民地」です。
軽い「オヤジ・ギャグ」のノリでテキトーにデタラメな事を書くのではなく、
少なくともインドシナ半島の国々が抱えてきた歴史を学習した上でエッセイを書くべきです。
 フランスは、他の白人植民地主義国と同様に、ラオスやベトナムと言ったアジアの植民地では
一切のインフラ整備は行っていないし、「保護」など一切していません。
フランスと言う狡猾な国がどのようにラオスに取り入り、ラオス人を支配し、ラオス人を奴隷化して行ったのか!
ラオスでのフランスの植民地支配がどれほど過酷なものであったのか理解すべきです。
ラオスでフランスが行ったのは、「略奪」と「搾取」だけです。


ラオス国立博物館(ビエンチャン)展示資料(現在、閉鎖中)

首枷をされ、足を縛られた状態で働かされるラオス人


後ろ手に縛られムチで打たれるラオス人


強制労働に従事させられるラオス人


後ろ手に縛られた僧侶たち


井戸に投げ込まれる子ども