最近は見掛けないが
昔はよく楽器店のショーウインドーにあるトランペットを
羨望の目で見つめる黒人の子供の姿を見掛けたが
彼は何をしているのか
140コロナさんと寝台特急瀬戸号で旅をしてきました。
なかなかブログを書く事が出来ないので今更な2月のお話しです。
19時上がりの中番が終わりシャワーを浴びて軽く仮眠をしようとしたが
興奮のせいであまり眠れずに会社を出る時間となった。
高輪、ゲイとウエ~イ!♪の駅を目指していると目的の寝台列車が留置されていた。
発車までここで待機するのだろう。あれに乗るんだなぁ
東京駅に着くと先着していた140コロナさんは9番線4号車乗車口に並んでいる。
シャワーカードを購入される人達でそこだけ列が出来ているが
私達の目的は隣の3号車にあるラウンジ部分だが4号車から入った方が
近いのでその列に加わっている。
そして9番線に寝台特別急行列車が入線してきたが
この独特な緊張感、高揚感はいったい何故なんだろう?
寝台列車は「ただの旅行に行く足(交通手段)」というだけではないのだ。
ドアが開き車内に入ったが私達の行動は失敗だったのだ。
シャワーカードを買う人々で車内通路が塞がってしまい3号車の
ラウンジに行けないのである
これなら普通に3号車入口から入った方が早かった
当初は3号車乗車口で並んでいた140コロナさんを
「これこれこういう訳で4号車で並んでくれたまえ」
と、事情通のように移動させたのはこの私である。
なぜシャワーカードを買う為に並ぶのではなくラウンジにこだわるのか
急行銀河号や彗星号に連結されていた憧れの名車オシ16の
雰囲気で酒を飲みたいからです!
しかし一向に進めないので仕方なく
「すいませ~ん、シャワーカード買わないので通してくださ~い」
と言い道を開けてもらい列を抜ける
もうラウンジ席は埋まってしまったか…俺のバカ
と思いきや誰もいませんでした
安心して希望の海側席を取り足りないツマミを買いにホームの売店に行く。
戻ると車内には140コロナさんが今宵の酒と総菜を並べていた
しかし買ったなぁ(笑
ビールだけは出勤前にコンビニで買い職場の私物用冷凍庫で
凍る寸前まで冷やし保冷バックに入れてきた
瓶ビールだったらもっと良かったけど仕方ない
真剣に悩んだ時代もあったな☟
『悩んだ事』←あれも2009年になるのか
寝台特急は定刻通り発車となるのだが乾杯前に電飾ネオン輝く華の有楽町や
首都高と間違えられる事が多い東京高速道路を見てからとする
以前にも書いたが走る大人の社交場と言われたオシ16の車内から見た世界を想像し
品川辺りで乾杯となった。
ビールは程よく冷えている
140コロナさんはウイスキー瓶や日本酒まで持ち込んでくれたので走る居酒屋のようだが
大声にならないように気を付けます。
140コロナさんが反対の席にいた夫婦に声を掛け4人で飲む事になり
まるでスナックです
「大人の社交場」も閉店となり今夜の寝台は絶滅寸前の喫煙可能車
心臓手術以来1本も吸っていなかったので喫煙車でタバコを吸うのがお楽しみでしたが
何故か吸う気がおきず・・・
ところで列車内にソフトドリンクの自販機があるのですが発車時から殆ど「売り切れ」
これは何とかして欲しいです
岡山駅に到着
分離作業の間に駅の売店で熱いコーヒーでも、と思うのだが
断固として決して絶対に降りません!
(※業務連絡・・・だからさまひさん、ニヤニヤして読まないで下さい!降りて乗り過ごしたとしたら
どうなると思っているんですか!!??あり得ないですよね?
それとも身近でそんな『あり得ない事』でもあったんですか?いやバカな、まさか!)
この日は瀬戸号は琴平まで延長運転だったのだが高松駅で下車
琴平電鉄の一日乗車券を買い元京急電車に乗りに行きます。
やって来ました懐かしの京急1000系
140コロナさんによるといろんな時期の1000系があるそうです。
通勤にいつも京急を使っているが新しい車両に慣れてしまっているので
やはり時代を感じます
こんな所も懐かしい(涙
商店街を電車が横切ります
なんか不思議な感じです。
瓦町の駅ビルが京急上大岡駅と似ているのは同じ設計者が作ったそうな
こちらが京急上大岡駅☟
念願の京急塗装の1000系が来ました。
実に懐かしいです
残念な事に元600系はこの日運用されていませんでした。
これも思い入れがある車両なのですが。
【つづく】
食堂車、ビュッフェ車の外観が特別な車両感があって魅かれました。
10系客車は多分ナハ10とかでしょうが1度だけ利用したことが有ります。
中学生の頃夜行列車「ながさき」でした。当時10系寝台車を1両だけ連結していましたが、寝台料金5000円が高嶺の花で手が出ませんでした。
当時の思い出話も書いてみようと思っています。
「食堂車」は利用したというだけで
羨ましく思います。
しかも0系新幹線とは素晴らしい!
車内販売すら消えていくご時世ですから
完全な復活は無いでしょうね。
10系に1両だけの寝台車ですか。
そんな編成もあったのですね。
当時で5千円って今なら…
お大臣じゃないと無理ですね(汗)
詳しい思い出話を楽しみにしております。
久しぶりの旅の記録、お待ちしていました!
旅に出れるほど、お身体回復されたのですね。
それにしても、なんでも時短の時代に寝台特急がまだ残っていたとは…。それに乗られるとは、時間を自らコントロールしているような妙な優越感がありますね。
彩雲4号さまにはやや狭いように思える寝台の寝心地はいかがでしたか。
旅の目的が旧京急塗色車両に会いに行くためとは、なんとも羨ましいです。
以前も現地への探訪記を書かれていた記憶がありますが、あれはいつのことだったか。
今回のシリーズ、楽しみに拝読いたします。
それにしても、冒頭の画像(笑)
今は便利な時代、すぐ見つかりました~
https://www.youtube.com/watch?v=2hg_vmYRjKw
コメントありがとうございます。
>>お身体回復されたのですね
いや、それはもうとっくの昔に通常生活に戻っております(笑)
ネタはあるのですが実家の仕事が忙しくて(汗
サンライズ号もいつまで残ってくれるのか分からないので思い立ったが計画です。
前回に瀬戸号でコルトを探しに行ったり紫電改や彩雲・・・もうかなりの昔の話しとなってしまいました。
と思ったらトラブルでバスで訪れていましたのが
2015年でした。
今回は全て書き上げております。
>>それにしても、冒頭の画像(笑)
ありがとうございます。懐かしいですね、昔はよく近所で・・・見かけないか(汗