埼京さん^^いらっしゃ~い

地域密着度№1を目指す農耕型経営の不動産二代目社長の日記

イニシエーションスピーチ②

2016年11月06日 14時32分47秒 | 日記
続けて後半へと続く
4.30代前半
30歳の頃、友達とキャッチボールをしていた時に、ふと自分の手のひらを見ると何か小さな水泡のようなものを発見。暫くするとその水泡がだんだん増えてきて、手のひら足の裏に広がり、ついには水泡が皮膚を破りつぶれたのである。それ以後、まだ皮膚が再生しないうちに、次から次へと水泡が出てくるようになり、破れては出来、破れては出来を繰り返すようになる・・・。そのうち胸骨・鎖骨・肩甲骨・肘など主に上半身の骨が痛み出し、原因が分からずしばらくの間(もう何年も)苦しむことになったわけである。母はゴルフが大好きで、それまでは良く連れて行かれてコースを廻っていたのだが・・・。と言っても最高スコアは106と決して自慢できるスコアではない。この時からゴルフができなくなってしまった。スーパーのレジなどでおつりを受け取るのも難しいというより恥ずかしい、一時は手袋をはめて生活する始末。ある時、奈美悦子さんがテレビで同じ症状を訴えて病院で会見しているのを目にしたことで病名が判明。私も同じ病院にお世話になることになり、少しずつではあるが改善していった。原因が分からず苦しんでいた時に、人生で初めて死について真剣に考えた私であった。
5.30代後半
この病気との出会いから、限りある命、仕事と家庭の往復だけでなく自分以外のだれかのために行動することを強く意識するようになった。縁あってJC(公益社団法人埼玉中央青年会議所)との出会いを得て、自ら飛び込むように35歳の時に入会。来年、日本全国から約20,000人がここさいたま市にやってくる全国大会というコンベンションが開催されるが、その誘致にも全力を注ぎ全国を飛び回って仲間を増やすことにつながった。足掛け6年という決して長いJCライフではなかったものの、どこにいっても仲間がいて、自らの励みやエネルギーになり、かけがえのない経験を沢山させていただいたと感じている。現在は仕事に打ち込む傍ら、JCでの出会いがきっかけとなりいろいろな役回りを仰せつかるようになった。そして、明治天皇が明治元年に大宮の武蔵一宮氷川神社に行幸されてから150年という節目を迎えるにあたり、記念事業の一端役を担うことになり、10月29日(土)に記念事業一発目となる「氷川神社の真実」という題目での講演会をさいたま市民会館おおみやにおいて開催。1,000名の動員目標で事前のゲバ表ではとんでもない場所を選定したものだと厳しい意見も飛び出す中、多くの方々のご協力の元、これまでのお付き合いの中からも多くの方にお越しいただいて、お陰様でほぼ満員で大盛況のうちに終えることがでたのである。ご出席いただきました皆様真にありがとうございました。
6.趣味について
挫折はしたものの、趣味としてはやはり料理。特に好きなのは煮物である。具材を鍋に入れて火にかけているときに「ジー・・・」と眺めているときが一番スキ。少々根暗のように聞こえるかもしれないが、頭がリセットされ、考えをアウトプットし易くいいアイデアが生まれる。また「美味しくなぁれ~。美味しくなぁれ~。」と唱えていると食材がそれに応えるように本当に美味しくなるので楽しいものなので、まだ経験のない方はぜひ試してみるとよいと思います。
7.仕事(観)
家も料理と同じようなものだという考えがあります。固くて大きくて味わうことができないが、思いを込めて家をつくればそれらは分かる人には感じるものだと信じています。また、先代から受け継いだ姿勢に「農耕型経営」というものがある。何もないときでも普段の業務の中で種をまき草取りを行うような営業姿勢で、地道にコツコツと仕事をするように心がけること。従業員には仕事を通じて自らの人間力を高め明るい豊かなまちづくりに貢献できるよう務めてほしいと伝え続けています。不動産業は地場に限ると考え、基本的には事務所のある武蔵浦和から半径2kmに商圏を絞って営業。2キロというのはとてもとても狭いエリア。他のエリアでは負けても武蔵浦和エリアでは絶対に負けちゃだめだと従業員一同ともに頑張っております。
8.最後に
人生41年、不動産業17年、結婚14年、社長業5年とまだまだ若輩者ながら、携わる者皆がより豊かな人生を歩めるよう、絶え間なく人間力を高めながら、この世に生を受けたことを心から感謝し、明るい豊かなまちづくりに貢献していきたい。明日へと続く。