昨日は龍くんを連れて、友人と夕飯を食べに行きました。
友人は現在妊娠9ヶ月の妊婦さん。
お腹の中では男の子が元気に動き回っているそうです。
彼女とは高校生のときからの付き合いで、お互いの結婚式で祝辞を言い合った仲。
振り返れば、出逢いから15年以上の時が流れていました。
私の中で、彼女は世間の象徴のような存在です。
基本的に、お寺や宗教に関する話題は、彼女には通じません。
分かってほしくて、1から説明しても、その1が彼女には分かりません。
彼女にとって、お寺は初詣のときに願掛けをする場所であり、そのほか法事で訪れることはあっても、救いを特定の宗教に求めるなどという概念は存在しないといっても過言ではないでしょう。
このように書くと、彼女は奇異な人物のように思えもします。
けれど、こういう思考の持ち主は、世間的に決して少なくないと私は思っています。
そしてこれから、どんどん増えていくということは想像に難くありません。
僧侶やご聴聞のおいでくださる方々に囲まれていると、自分の紡ぐ言葉が通じて当たり前の環境に慣れてしまいます。
分からなくても、分かろうという姿勢と熱意が伝わってくるもの。
そのことが、この上なく有り難いということに気づけるのは、この友人の存在を抜きにしては有り得ないことでしょう。
なので、私が法話や寺報を作るとき、その向こう側に友人がいることを想定して、書き終えた原稿を読み直します。
そしていつも、「分かんないだろうなぁ」と頭を抱えては書き直し、それでも結局は時間切れになって、彼女には理解不能であろう原稿を印刷へと回してしまうという、あまり実りのないサイクルを繰り返すのが習慣になってしまいました。
より多くの人に、み教えを伝えるには、彼女に分かる言葉を紡いでいかなくてはならない。
それが、彼女という唯一無二の親友と出会うご縁をいただいた私にできる、ただ一つの恩返しだと思って、これからも精進していきたいと思っています。
ということで、最近は彼女との会話の中に、仏教とは分からないように仏教のエッセンスを入れて話すということを、楽しみずつ実践しています。
昨日は加瀬にあるトレッサにて、臨月間近ということで、私の法話「十月十日の朝」にちなんだお話をちょっとだけ。
今は、こういう時間が何よりも楽しいです。
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