谷中の寺町をはじめて訪ねた時、東京にも京都のような雰囲気の場所があるあるのを発見して、意外の感があった。
ところで、谷中という名はどこから生まれたものなのか。
上野の山の麓には琵琶湖に見立てられた不忍池がある。市の不忍池は昔は今よりずっと広く、かつては雪見と月見の名所だった。この不忍池に注ぎこんでいた細流を藍染川と言った。この川が遡った谷が谷中であった。
上野と本郷の二つの台地の間に入り込んだ、不忍池の奥にひっそり隠れたようなこの谷はかつては鶯と蛍の名所でもあった。
この谷中に寺が集まるようになったのは、寛永年間(1648〜1651)の頃で、江戸の町の整備がすすむなか、上野の寛永寺の子院がつぎつぎとつくられたことによる。
さらに後年になって、明暦の大火などにより、各所の寺がこの地に移って、現在見るように70以上の寺が集まる寺町になった。
また、谷中は坂の多い町でもある。まさに谷の町なのである。御殿坂、三崎(さんさき)坂、あかじ坂、三浦坂、善光寺坂など趣きのある名のついた坂がある。
坂を上り下りしながら、あてもなく寺町をそぞろ歩けば、朱色に染まった寺の門に出会ったり、入り組んだ路地の古塀沿いに季節の花や古木を発見したりする。ともかく谷中は歩くにはもってこいの町なのだ。
アトランダムに、主な寺を紹介してみると。
足、腰の病に効能があるとされる、韋駄天像がある西光寺(谷中6丁目2−20)。虫歯封じの寺で知られる妙雲寺(谷中6丁目2−39)、虫封じの蓮華寺(谷中4丁目3)、頭痛封じの躰仙院(谷中4丁目1−7)。この寺は「谷中の鬼子母神」の名で知られる寺で、無病息災を祈願する「ほうろく灸」がおこなわれている。変わったところでは、貧乏が去るとされる「貧乏が去る像」が安置されている妙泉寺(谷中1丁目5−34)などなど。
この寺町の大晦日の夜の風情がまた捨てがたい。あちらこちらの寺から除夜の鐘の音が路地を流れ、寒気の中、しみじみ今や終らんとする年の感慨を味わうことができる。
瑞輪寺(ずいりんじ)、妙行寺、全生庵(ぜんしょうあん)、宗林寺(そうりんじ)などでは年越しの除夜の鐘をたたくこともできる。
ところで、谷中という名はどこから生まれたものなのか。
上野の山の麓には琵琶湖に見立てられた不忍池がある。市の不忍池は昔は今よりずっと広く、かつては雪見と月見の名所だった。この不忍池に注ぎこんでいた細流を藍染川と言った。この川が遡った谷が谷中であった。
上野と本郷の二つの台地の間に入り込んだ、不忍池の奥にひっそり隠れたようなこの谷はかつては鶯と蛍の名所でもあった。
この谷中に寺が集まるようになったのは、寛永年間(1648〜1651)の頃で、江戸の町の整備がすすむなか、上野の寛永寺の子院がつぎつぎとつくられたことによる。
さらに後年になって、明暦の大火などにより、各所の寺がこの地に移って、現在見るように70以上の寺が集まる寺町になった。
また、谷中は坂の多い町でもある。まさに谷の町なのである。御殿坂、三崎(さんさき)坂、あかじ坂、三浦坂、善光寺坂など趣きのある名のついた坂がある。
坂を上り下りしながら、あてもなく寺町をそぞろ歩けば、朱色に染まった寺の門に出会ったり、入り組んだ路地の古塀沿いに季節の花や古木を発見したりする。ともかく谷中は歩くにはもってこいの町なのだ。
アトランダムに、主な寺を紹介してみると。
足、腰の病に効能があるとされる、韋駄天像がある西光寺(谷中6丁目2−20)。虫歯封じの寺で知られる妙雲寺(谷中6丁目2−39)、虫封じの蓮華寺(谷中4丁目3)、頭痛封じの躰仙院(谷中4丁目1−7)。この寺は「谷中の鬼子母神」の名で知られる寺で、無病息災を祈願する「ほうろく灸」がおこなわれている。変わったところでは、貧乏が去るとされる「貧乏が去る像」が安置されている妙泉寺(谷中1丁目5−34)などなど。
この寺町の大晦日の夜の風情がまた捨てがたい。あちらこちらの寺から除夜の鐘の音が路地を流れ、寒気の中、しみじみ今や終らんとする年の感慨を味わうことができる。
瑞輪寺(ずいりんじ)、妙行寺、全生庵(ぜんしょうあん)、宗林寺(そうりんじ)などでは年越しの除夜の鐘をたたくこともできる。