場所と人にまつわる物語

時間と空間のはざまに浮き沈みする場所の記憶をたどる旅

舟屋のある風景・伊根

2018-12-19 10:40:10 | 場所の記憶
  舟屋で知られる井根は、丹後半島の北東端、若狭湾に通じる、海沿い3キロほどのリアス式海岸になる井根湾に位置する。舟屋というのは、二階建ての舟のガレージのある建物で、一階部分は舟置き場、そして二階部分が住宅スペースになっている、この地方独特の建造物である。
 一日、宮津からバスで井根に向かい、あと遊覧船で海上から井根の漁村風景を満喫した。30分ほどの遊覧であったが、湾内に櫛比する舟屋風景が遠望できた。
 薄もやのかかったような海上に舟が出ると、海猫やトンビが騒がしく舟にまつわりついてきた。最近は海猫よりもトンビの数が多いとは、ガイド嬢の話だった。
 海はどこまでも凪ぎ、のどかな舟屋風景が無性に懐かしく感じられる。聞くところによれば、舟屋は230軒ほどあるといい、なかに江戸時代の遺構を残すものもあるという。  
 簡素な切妻屋根の妻入り、細長の二階建ての家屋が連続するこの独特の建物群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 建物はおおむね昭和初期につくられたものが多く、一様に海側に口を開けている風景が独特の景観を呈している。
 こうした景観はこの地域独特の自然条件に支えられている。井根湾はリアス式で、深く切り込んだ入江は波がなく穏やかで、干満の差が少なく、海際に位置する舟屋が波に洗われることがないこと、海岸の地盤が硬く、基礎がしっかりしているので、地震などの衝撃にも建物が持ちこたえられるということがある。
 遊覧船で湾内を一巡したあと、 舟屋が立ち並ぶ狭い通りをそぞろ歩いてみた。通りは人声もなく深閑としている。
 舟屋のガレージを覗くと、舟の出たあとのガレージには干物の魚が干してあったり、魚網を広げたりしてあった。最近は舟屋の二階を民宿として開放している家もある。
 海側に立ち並ぶ舟屋と狭い通りをはさんで住宅が並んでいる。舟屋は住宅兼用の舟のガレージであるが、二階の住宅はあくまで仮屋として使われたもので、本来の住まいは、狭い通りをはさんで、山側に背をむけて母屋が立ち並んでいる。その建物はおおむね立派な造りで、蔵を備えた家もあり、この地域が豊かな生活を営んでいることがうかがえる。
 なかに白壁の一軒の醸造屋があった。この地区唯一の地酒をつくっている酒屋で、まろやかな、口当たりのいい美酒として評判がいい。ほかに伝統工芸をつくる工房があったり、観光客目当てのみやげ屋もあった。
 半日の慌ただしい観光であったが、いっとき現実を忘れさせる、ゆっくりとした時の流れる風景のなかで過ごせたことが実に快かった。

天橋立探訪

2018-12-06 19:27:48 | 場所の記憶
   「大江山 いくのの道は遠ければ まだふみもみず天の橋立」の歌で知られる天橋立を訪ねてみた。天橋立は東北の松島、
広島の宮島と並ぶ日本三景のひとつで、全長36km、幅20〜170mの美しい砂嘴が天橋立である。かつて雪舟の「天橋立図」なるものを観てから、一度は訪ねたいと思っていた。
 雪舟の水墨画が描く天橋立の景観は、何か、この世のものとは思えない雰囲気を醸し出していた。現実の姿ではないことは分かっていても、実際、この目で確かめてみたい、という衝動にかられたのである。
 訪れたその日は、晩秋の暖かな日だった。古来からの名所らしく、さすがに見物客でいっぱいだった。最近の傾向であるが、どこを訪ねても外国人の多いのはここも例外ではなかった。なかでタイ人の観光客が目立ったのは、何か、この地とタイとが関係があるからだろうか。
 私はまず遊覧船に乗って天橋立の全体像を眺め見ようと思った。少し冷たい風がそよぐ海上に出ると、すぐに右手に松林に覆われた長い砂嘴があらわれた。たくさんの鴎が船の周囲を飛び交い、さかんに餌を求めて近づいてくる。鴎のための餌も売っていて、それを鴎に向かって投げる人がいる。
 しかし、天橋立の全体像を観賞したいと思っていたが、その規模が大きすぎて、全体を見渡すことができなかった。うねうねと伸びる砂嘴がつづくばかりであった。
 遊覧船は十分ほどで対岸の一の宮に着いた。ここはちょうど砂嘴の根元にあたるところである。一帯は府中と呼ばれるエリアで、ここには元伊勢籠神社があり、成相山の中腹には傘松公園や成相寺がある。
 元伊勢神社は、あの伊勢神宮の両神が一時、この地に滞在したという故事にちなんでつくられた格式のある社らしい。
 そこをやり過ごし、私はただちに傘松公園へ至るケーブルカーに乗った。
 やはり、天橋立の全貌を眺めたいという気持ちが捨て難かったからである。
 「天橋立の股のぞき」で知られる公園には、股のぞきの台座が設けられていて、そこから、天橋立が昇り龍のように見えることから名付けられた「昇龍観」を眺めることになる。
 さっそく、石の台座に股を開き、股の間から覗いてみた。誰が発見したか知らないが、まるで龍がのたうつように、長々とうねる砂嘴が望まれた。
 しばし、黙念としてパノラマ風景を眺め渡した。少し靄のかかった天橋立一帯は、どこまでものどかで、平和な雰囲気だった。鳥の囀りは聞こえるが、よけいな音がないのがいい。
 次に訪れたのは、同じく成相山中腹にある成相寺だった。
今回の旅でいちばん紅葉の美しいところだった。赤や黄色の紅葉が古色を帯びた寺の堂宇を引き立てていた。
 この寺は高野山派の真言宗寺院で、西国巡礼28番の札所でもある。本尊の聖観世音菩薩で、美人観音として知られる秘仏である。本堂のいちばん奥の薄暗がりのなかに観音が安置されていたが、暗くてよく拝顔できなかった。
 そういえば、本堂への石段の途中に「撞かずの鐘」と命名された鐘楼を見かけた。そこに曰くが書かれていた。
 その鐘を撞くと、響きのなかに幼子の泣く声が聞こえてくるという不思議な鐘だという。実は、その鐘が鋳造される時、村人の子供が坩堝のなかに誤って落ち、命を落とした。以来、その鐘を撞くと、子供の泣き声が聞こえてくるため、鐘を撞くのをやめにしたという。何やら悲しい話ではある。燃えるような紅葉が美しいだけに、その曰くがひどく切ないものに思われたのである。