場所と人にまつわる物語

時間と空間のはざまに浮き沈みする場所の記憶をたどる旅

小京都、城端を歩く

2018-08-09 20:34:24 | 場所の記憶
   越中の小京都と呼ばれる城端(じょうはな)。その雅な響きの街が富山県下にある。地元の観光パンフレッドは「情華舞歩」と書いて城端を紹介している。
 あいの風鉄道、高岡駅から城端線に揺られること50分ほどで終点の城端駅に着く。
 駅から街中へは10分ほど歩くことになるが、街の北側を流れる山田川を渡り、御坊坂をのぼりつめたあたりから、町並がひらけてくる。
 すぐに右手に、いかにも荘厳なたたずまいの寺域が現れた。善徳寺と記された看板が見える。道を回り込んでから、さっそく山門から境内に足を踏み入れてみた。
 まず、目をひくのは、二階建ての山門(大門)である。浄土真宗の寺院によく見られる、豪壮なつくりで、二重門になっている。今から200年も前に建造された大門といわれ、城端のシンボル的存在になっている。
 この門については、つぎのような逸話が残っている。明治に起きた町の大火の際には、町衆が我が身も顧みず、この大門の防火につとめ、火災から守ったというのである
 大門をくぐると正面に本堂がそびえ立つ。入母屋造り、桟瓦葺きの大屋根が圧倒的である。本堂に連なって対面所、大納言の間などの建物が立ち並ぶが、いずれも由緒ある建物群だ。
 この善徳寺、正式な名称は、廓龍山城端別院善徳寺といい、蓮如上人が開基したものだという。
 次に訪れたのは、城端町史館蔵回廊だった。そこには見事な土蔵造りの建物群が残っていた。この土蔵群は、銀行家の野村利兵衛氏が自宅として建造したもので、のちに住宅は解体されたが、土蔵だけが展示施設として改修され、今に残る
 館内の見学ができ、伝統的な土蔵建築の様子が分かる。
 建物の裏側にあたる細道から眺める土蔵群の外観が実に風情があって心地よい。
 地図を眺めてみると分かるが、この地は、山田川と池川のふたつの川に挟まれた舌状段丘に展ける町であることが知れる。そこには、かつて城ケ鼻城という城があったという。
 さらに時代が下って、その城の跡地に浄土真宗派の善徳寺ができ、町は寺内町として発展する。
 寺内町というのは、敵の侵入を防ぐべく、防衛体制を整えた集落のことで、寺域の周囲に堀をめぐらせ、土塁をつくった。要害の地である城跡につくられたのも故なきことではなかったのである。
 この町にはまた、春と秋に行われる祭りがある。春は、5月14、15日の曳山祭。この祭りは城端神明宮の祭礼として行われる祭りで、情緒あふれる男衆の、「空ほの暗き東雲に木の間隠れの時鳥」と唄う、庵唄が流れる庵屋台の祭囃子に導かれて、華麗な曳山の行列が進む。春の到来を告げる祭にふさわしい祭りである。この曳山祭の様子は曳山会館という常設の施設で見物できる
 そして、秋のむぎや祭。これは毎年9月の14、15日の両日に行われるもので、哀愁を帯びた旋律にのったむぎや節と紋付袴に白襷の勇壮なむぎや踊りが披露される。
 ほかに、その向きの人には、芭蕉門人の八十村路通、各務支考などの句碑巡りや、町の南郊・水車の里での水車巡りが楽しめる

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