肝炎Sabavian:風になる日記

《優 し く 吹 く 風 に な る》
やさしく吹く、そよ風のような人になるために・・

白と黒

2010年01月22日 | 言葉
人生には色模様がある。

ピュアな白もあれば暗黒の黒もある。

このはざまで人々は喜びに溢れた人生を、悲しみに嘆き悲しむ人生を送っている。


人はすぐに白か黒かをはっきりさせたがるが、それは難しい。


ここで思う。はっきりさせて何になるのかと。

どんなに濁ってみえる水でも、見る人によってはキレイな水という人もいるし、

泥のような水という人もいるではないか。

そうであるのならば、濁っていてもキレイにみえる人になりたいと思うのだ。


病気は人の心を濁らせる。見る目をも曇らせてしまう。だから視野が狭くなってしまう。

この先もしも白か黒か?と問われることがあったならこう答えたい。


たとえ心が濁っていても、見る目はいつも真っ白なピュアだ。何の問題もない。

たとえ視野が狭くなっていても、心は真っ白なピュアだ。何の問題もない。

ただ、私を見る方の側の目が、私が病気だという幕で被われているとしたら、

それこそが問題である。


また娘が頑張った

2010年01月22日 | Weblog
先日娘の書道作品が区展に出展されると書きましたが、

学校から持ち帰ってきた賞状は複数でした。


書道・美術・技術の3作品が展示されたらしい。

おじいちゃん、おばあちゃんが観に行ってくれたようで、

写真を撮って、持って来てくれました。


賞状と一緒に、誰の何の作品が出展されたかが一覧になっている学校通信があり、

全校で3ヶの作品が出展されたのは娘だけということがわかりました。

さすが我が娘。


特に技術のデザイン時計がすばらしかった。ホント、きれい。

どす黒い作品の多い中、娘の作品は色使いが明るく華やか。人目を引く。


美術は夏休みに描いたひまわりの絵。コンパクトにまとめる人が普通なのだろうけど、

娘のは花びらがはみ出るような描き方。少なくとも私にはあり得ない描写ですね。

そういった感性は生まれ持ったものなのでしょう。


書道は「強い信念」の縦長バージョン。習っているわけではないのに、上手に書くこと。

縦長バージョンは学年で一人だけらしいので、すごいよね。

明日あたり、ママと観に行ってみようかな。おじいちゃんの写真だとデータで残らないから、

デジカメ持参で撮っておきたいと思っています。一応娘にブログ掲載してよいかどうかを

聞いて、OKなら載せます。ダメと言われそうだけどねぇ。


こういった娘のがんばりはそのまま100%私の元気に結びつきます。

なんだかんだ言いながら、かわいいのですよ、娘って。




Judyの特別な日

2010年01月22日 | Weblog
一年前の1月21日、乳がんの友人がガン摘出手術を受けました。

ガン細胞が確認されたおっぱいと一緒に、それまでの生活、仕事、

生き方までも切り取られることになったのです。


いくら理解しようとしても受け付けることができない現実に、

どれだけ戸惑ったことでしょう。

でも、彼女は頑張りました。


きつい抗がん剤の副作用や、いつ言われてしまうかわからない転移の恐怖と闘い、

今、放射線治療が終わろうとしている。


彼女が放つパワーにどれだけ助けてもらっただろう。

彼女が抱く悲しみにどれだけ共感を覚えたことだろう。


まだまだ予断を許さないが、今のところ順調であることはうれしくもあり勇気づけられる。


私ができることは少ないし、できたことも少ない。応援するくらいが関の山だ。

しかし自分に失望しているわけではない。失望する必要がないのだ。


なぜならできることをしているから。応援だけでも良い。電話をかけるだけでも良い。

個々にできることをできる時にすること。これができていれば良いのだと思う。


知人が病気になると、自分には何もできないと嘆く人がいるが、

それは間違っているように思う。その人のために、立派に嘆くことができているじゃないか。


そのスタンスを維持することが本人にとって何よりの応援となることを私は知っている。


私は風呂場で彼女の苦しみを想像し、よく泣く。副作用の苦しみを思いよく泣く。

彼女が感じる死の恐怖を思いよく泣く。でも、何もできないと嘆き、泣くことはない。

そこだけは踏ん張る。踏ん張った分、彼女が元気になると信じている。

彼女は前をみて歩くと言っている。
静かに背中を見守りたい。