肝炎Sabavian:風になる日記

《優 し く 吹 く 風 に な る》
やさしく吹く、そよ風のような人になるために・・

肝炎物語18

2011年01月31日 | 物語

第三章 治験の怖さ

 

そんな生活が半年続いた。

 

夜中にトイレに立てばフラフラで足元がおぼつかない。

 

暗い中、体が落ち着くまで柱につかまりながら耐える。

 

それを見た妻はすごく心配をすることになるんだ。

 

大丈夫だとも言えず、フラフラだとも言えず、暗闇に立ち尽くすしかなかった。

 

今思えば長いようなそうでないような、その間の記憶もふらついているようだ。

 

 

その半年間の間も診察は月一回あった。

 

どう?と聞かれても答えようがない。

 

人並みに副作用があり苦しんでいます、と言えばよいのか?

 

もっと楽になる方法はないのかと聞けば良いのか?

 

治験の薬なのに、前例もないのに、何を聞いて何を答えれば良いと言うのだ。

 

 

いや、言えばよかったのだろうと思う。

 

そうすれば、もっと楽だったのかもしれない。

 

そうすれば、もっと違うやり方があったのかもしれない。

 

そうすれば、そうすれば・・。

 

 

治験における投与には途方もない忍耐と理解が必要だとは思っていたが、

 

どこまでの忍耐とどこまでの理解が必要なのかはわかっていなかった。

 

それが怖さであり、治験なのだと思う。

 

 

途中でやめることになったらどうなってしまうのだろう?

 

やめることになったら見放される。そんな恐怖を感じることもあった。

 

ドクターに何かを言うべきか、聞くに留めるか、どちらが正しいかなんて誰にもわからないことだ。

 

ただ、それが現実だということだけははっきりしている。

 


肝炎物語17

2011年01月31日 | 物語

連日投与が3ヶ月。週2回が6ヶ月だっただろうか。

 

週2回になってからは鬼怒川から東京へ出向いてゆく。

 

帰りの車中で座薬を入れ、フラフラになりながら妻の迎えの車に倒れるように乗り込む。

 

翌日まで、ひどい時には翌々日まで副作用は残った。

 

 

大抵は帰宅し、そのまま布団へもぐりこみ、グッタリしたまま朝を迎えるのだ。

 

顔は体中の水分を集めたように浮腫み、ダルさで体が重い。

 

 

しかし仕事は懸命にこなした。

 

 

まるで他に気にすることがまったくないというくらい没頭した。

 

そうでもしていないと気力を維持することが難しかったからだ。

 

それも当然で、通常でやっていてもこなすことは難しい位の量だったから・・。

 

同じ事務所で働く同僚たちは、私に話しかける時、まず私に聞く。

 

「話かけていい?」

 

それほどの集中力と副作用であったのだ。

 


肝炎物語16

2010年12月22日 | 物語

同じ病気でも固体の違いがある。

いつまでも高熱に苦しむ人もいるし、ダルさで起きることすらできない人もいる。しかし、副作用が強くでるからといって、薬が効いているという判断には繋がらない。あくまで個体差なのだ。

高熱や倦怠感に襲われないのであれば、それはそれに越したことはない。しかし、心のどこかで心配になる。

本当に効いているのか?自分だけ効果がないから副作用がないのか?

人と違うということが、どれだけ不安を呼び起こすことか。
不思議な感覚なのだ。

一番きつかったのは、連日投与から間隔をあけて投与した最初の時だ。

連日投与で薬に慣れていたはずの体が、まったくその機能を発揮しない。

息をするのも苦しくて、熱は体温計を振り切るほどだ。

その時は両脇、股、頭にアイスノンをして、冷やせるところはすべて冷やすといった具合だ。そうしている間も看護師が体温を測る。

何度?と聞く私に看護師は40度くらいかな、と答える。

後に聞いた話だが、実際は40度ではなかったそうだ。なんと40度を軽く越えていた。高熱で苦しんだのは1日半だったが、ドクターが言うには、あと半日高熱が続いていたら気がおかしくなっていたかもしれない、と言っていた。


少しも面白くないのだが、笑いながらそう言われて苦笑いをした記憶だけが残っている。


肝炎物語15

2010年12月21日 | 物語

第二章 インターフェロンの恐怖

想像を絶する世界を私に見せてくれたのはインターフェロンの治験だった。新薬である薬は、まず治験で試されるのだ。

試される対象は猿やネズミではない。私達人間である。

投与することで生じる副作用や、投与方法によってどのような違いが効果として現れるかを試すのだ。
そのかわり代金は一切かからない。

どのような作用が生じても、病院には責任がないという旨の誓約書にサインをし、投与開始となるわけだ。

そもそもワラをもつかむ気持ちで入院している患者たちだ。サインするしか望みはない。
私も同様にサインをし、新薬を投与してもらった。それがインターフェロン(IFN)という薬だ。

C型肝炎を引き起こすウィルスにも種類があり、それに応じたIFNを投与していく。また、投与間隔も違うし投与方法も違う。副作用に関しては注射してみないことにはわからないとドクターは言う。

基本的な副作用として、倦怠感、発熱、鬱といったところだ。
私の場合初めは連日投与。その後、週2回投与という方法だった。

やはり初めは高熱が出た。かるく39度をこえてしまう。座薬を入れるタイミングを知るために、投与後1時間ごとに体温測定をする。ある程度発熱のタイミングがわかると、それに合わせて座薬を挿入するのだ。

人間の適応能力はすごいと知ったのもこの時だった。何日かは高熱に侵されたが、そのうち熱も微熱程度しかでないようになった。

体が慣れたのだ。驚くべき能力だ。


肝炎物語14

2010年11月02日 | 物語

ある日看護師がこんなことを耳元でつぶやく。

「年齢の割りに悪いんだって」

「・・・」

なんてことを言うのだ。

 これから治療をとわずかな希望と計り知れない不安を

抱いている患者に言う言葉なのか?

これがこの病院では普通のことなのか?

こことは限らず、入院というものがそういったものなのか?

 

あまりにも悲しくて夜を泣き明かす。こんなことが3日間続いた。

涙はいくら出しても枯れないと知ったのはこの時だった。

そんな重い気持ちから救ってくれたのは、

同室に入院している先輩方だった。

いろいろな話をしているうちに、たくさんのこと、そう、病気のこと、

病院のこと、家族のこと、ドクターのことなどを教えてもらった 。

このおかげでだいぶ気分が晴れた。

 

そうでなければ右往左往するだけだったでしょうから。

しかし、この後経験することは、予測など及ばない

とてつもない世界だった。

自分が崩壊してゆくのがわかるくらいだった。