サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

函館市 野外彫刻 五稜郭地区 その4

2020-04-08 05:38:32 | 野外彫刻

市電で「五稜郭公園前」下車 徒歩10分 のところに、梁川公園があります。

函館の人には、梁川交通公園 の方がなじみがあるかもしれません。
夏はゴーカートとかできる公園です。
冬期間は閉鎖されています。

ここに、榎本武揚の銅像があります。

榎本武揚は梁川(りょうせん)という号を持っていて、それに由来する
町名とのことです。

田畑 功(たばた いさお、1955年-)日本の彫刻家。富山県高岡市出身。

富山県立高岡工芸高等学校・デザイン科卒。日展会員/審査員、日本彫刻会会員/審査
員/運営委員。芸術院会員の雨宮 淳に師事。2003年に西望賞受賞。

作品の多くは人物像・動物像・仏像。また、田畑が制作した有名人・著名人・有名
馬牛の像は全国各地に1千体余り存在する。 

榎本武揚(号 梁川)1836(天保7年)~1909(明治41年)

幕臣の次男として江戸に生まれ、昌平黌卒業、長崎海軍伝習所で学びオランダに
留学する。開陽丸で帰国後、戊辰戦争となる。函館、五稜郭に立て籠もり、
最後まで薩・長に抵抗するが敗戦、辰口の労に入獄する。斬罪が予測されたが、
日本の近代化に彼の能力が欠かせないと、黒田清隆等の助命嘆願により出獄。
明治5年、北海道開拓使を始め、初のロシア公使として、樺太・千島交換条約
締結等、日本の代表する外交官となる。明治18年、初代の逓信大臣・農商務・
文部・外務の各大臣を歴任、さらに、電気学会・工業化学会・気象学会・地学
協会、等、等、の会長職を通じて、我が国の近代化に貢献した。

 曾孫 榎本隆光 文

平成24年12月吉日
建立 榎本武揚を顕彰する会 代表 近江政斗

余談 黌とは何ぞや?写真を超拡大して読み取って文字起こしをしたのだが、
そもそも合っているのか? 調べたら「まなびや」という意味でした。
コウと読みます。どうやら解読が合っていたようです。

と思ったら、ブログ作成を見ていた息子が、熊本県立済々黌高等学校の黌
だ。甲子園出てたじゃん と教えてくれました。初めて聞いた学校名ですよ。

施設名    梁川公園
所在地    函館市梁川町24番2号

函館市総合保健センターに彫刻あり。

残念ながら名標はない。

イルカに乗った少年。手塚治虫の海のトリトンを思い出します。

小寺眞知子 の 小さなトリトン です。

函館市総合保健センター
所在地 函館市五稜郭町23番1号

コメント
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