有馬在住

有馬温泉の旅館で働くスタッフのブログ。
有馬温泉・神戸・六甲山の自然や文化を紹介します。

有間神社

2008-11-30 09:26:02 | 寺社仏閣

有間神社

有馬温泉から、車で約15分、有野町にある「有間神社」に行ってきました。

(実は以前から、有馬温泉とおなじ「アリマ」ということで気になっていたのですが、初めて訪れました。)

有間神社

有間神社は、摂津国有馬郡の一の宮といわれていました。

太閤豊臣秀吉が三木城を攻略した天正年間、元和8年、寛政元年と今までに3度炎焼し、寛政8年(1796年)に再建されたのが現在の本殿です。

もとは山口荘天王谷(現在の西宮市山口町名来)に鎮座されていましたが、約1300年前に現在の地に遷座されました。

本殿の前にある「有馬社」の石標は、寺社奉行であった大岡越前守の許可を得て建てられたものです。

有間神社

神社がまだ天王谷に鎮座されていた頃、孝徳天皇が小足姫(おたらしひめ)と一緒に有馬温泉に滞在中に神社に参拝されたとも言われています。

この後、生まれた皇子は「有間」と名付けられました。

このことから安産の神としても親しまれています。

子宝の湯である有馬温泉に浸かった後は、安産の神様「有間神社」まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。


月照寺

2008-06-16 01:01:00 | 寺社仏閣

月照寺

続いて、柿本神社の西隣にある月照寺のご紹介です。

月照寺

月照寺
JR「明石」駅から東へ800m、天文科学館の北側に曹洞宗の人麿山月照寺があります。812年、弘法大師が明石を訪れた際に、赤松山(後の明石城本丸)に楊柳寺を創建しました。887年、楊柳寺の覚証和尚は、大和の広安寺より船乗十一面観世音を勧請して寺号を月照寺と改めました。1621年、寺の境内に明石城が築城されたため、現在地に移されました。
桃山時代風の豪壮な山門は、元来が伏見城の薬医門で、明石城の切手門として移設された後、さらに明治初年に現在地に移設されたもので、明石市指定文化財です。

日本子午線標示柱

月照寺の寺門前には、日本子午線標示柱が建っています。

明石市内には、色々なところに日本子午線標示柱があります。

日本子午線標示柱

茂った木々の間を、よ~く見ると、柱の上部にトンボが止まっています。

日本子午線標示柱(トンボの標識)
天文科学館の時計塔を背景にして、月照寺の山門の手前に高さ約7mの「日本子午線標示柱」が立っています。柱の先端には、地球を象徴する球体の上にトンボが止まっているので、「トンボの標識」とも呼ばれます。日本の古名のアキツシマにちなんで、アキツ(トンボの古名)が選ばれました。1884年の万国子午線会議でロンドンのグリニッジ天文台を通る子午線が世界標準子午線と決まり、日本では、それを受けて1888年に丹後半島から明石を経て淡路島に至る東経135度が日本標準子午線と決まりました。1930年、京都大学の天体観測データに基づき、月照寺の山門前に子午線標示柱が立てられましたが、1951年にデータが修正され、約10m離れた現在地に移設されました。

明石は、子午線の街でもあるんですね。


柿本神社

2008-06-15 15:47:06 | 寺社仏閣

柿本神社

次号の有馬ナビでは、有馬温泉から車で約30分の明石をご紹介します。

有馬在住では、観光スポットをご紹介していますが、歴史探訪倶楽部では、寺社仏閣をご紹介します。

まずは、天文科学館のすぐ北側にある柿本神社です。

柿本神社

柿本神社(魚の人形の入ったボール)
山陽電鉄「人丸前」駅から徒歩約5分の所に人丸山公園があり、明石海峡大橋を一望できる公園内の高台には、万葉歌人である柿本人麻呂(後に柿本人丸とも呼ばれました)を祀る神社があります。878年、和歌を好んだ月照寺の覚証和尚が寺の背後に人麻呂を祀る祠を建立しました。当初は、現在の明石城址にありましたが、1621年に至って人麻呂を歌聖として崇敬していた明石城主の小笠原忠政が明石城を築城するにあたって、月照寺と人麻呂の祠を現在地に移しました。1871年の神仏分離令によって、月照寺の人丸社は、寺から分離されて柿本神社となりました。
地元では、安産や火除けなどにご利益がある「人丸神社」として有名ですが、特に、お花見シーズンには、観光客で賑わいます。人麻呂は、奈良時代の宮廷歌人で、万葉集や古今集など合わせて400首以上の和歌を詠んでおり、「天ざかる ひなの長通ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ」など明石で詠んだ歌もあります。

柿本神社

学業成就のご利益もあるそうなので、三兄弟でお参りしました。

さて、効果があるかな・・・


有馬ナビ水無月号「北神戸の観光スポット」前編

2008-05-16 20:10:49 | 寺社仏閣

下谷上農村歌舞伎舞台

有馬ナビ水無月号「北神戸の観光スポット」の取材で、谷上、山田地区に行ってきました。

「さぁ!行こかぁ (*^。^*)」

有馬温泉から車で約30分、谷上、山田地区に着きました。

この地区は、古代からの交通の要衝で、歴史のある建造物や寺社仏閣が点在しています。

 

下谷上農村歌舞伎舞台

「しもたにがみのうそんかぶきぶたい!」

早口言葉みたいです。長男は、とても気に入ったようです。

下谷上農村歌舞伎舞台
神戸電鉄「箕谷」駅で下車し約10分歩くと、山田中学校の隣に天彦根神社がありますが、その境内に、江戸時代から伝わる『下谷上農村歌舞伎舞台』が保存されています。この舞台は、江戸末期1840年に建てられ、村祭りの時に農民自身によって歌舞伎や演劇が演じられました。江戸時代には原則として農民が芝居を観たり演じたりすることは禁じられていましたが、実際には神社に奉納するという口実でこのような農村歌舞伎舞台が各地に盛んに建てられ、兵庫県下には約170棟あります。

かやぶき屋根で本殿内部の木彫りの彫刻が見事な上に、直径約6mの皿廻し式の廻り舞台や釣り天井などさまざまな仕掛けが工夫されており、全国で唯一つ花道の一部が回転して反り橋が出てくるなどの特色から国の重要有形民俗文化財にしてされています。なお、1977年に不審火で焼損しましたが、2年後に修復されました。

若王山無動寺

「むどうじ!(大泉洋風に)」

若王山無動寺
神戸電鉄箕谷駅前で「衝原(つくはら)」行き市バスに乗車、「福地」バス停から徒歩15分で、『若王山無動寺(にゃくおうざんむどうじ)』 に着きます。聖徳太子により開基されたと伝えられる真言宗のお寺です。元来は、「福寺」と呼ばれていて、地名の福地もこの寺から名付けられました。明治維新後の廃仏毀釈の折に廃寺とされましたが、福寺の末寺の無動寺の名を使って再興したと言われています。平安時代に作られ、国の重要文化財に指定されている仏像が5体ありますが、ご本尊の大日如来座像は、聖徳太子が鳥仏師に刻ませたと伝えられる、ヒノキ材の寄木造りの巨大な仏像で高さが2.8mもあります。また、この寺の周辺の丹生山田の里は、「土地文化環境保存地域」に指定されています。

無動寺

きれいに整備されたお寺です。

龍

「あ!龍や!」

「かっこえぇなぁ~ (*^。^*)」

若王子神社

「にゃくおうじじんじゃ!」

若王子神社
神戸電鉄箕谷駅前で「衝原(つくはら)」行き市バスに乗車、「福地」バス停から徒歩15分で、無動寺に着きます。寺の境内の西側の一段と高い所に、1297年に橘長綱が建立した『若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)』があります。元来は、無動寺の鎮守社で、若王子権現と呼ばれていましたが、明治初年の神仏分離令によって、無動寺から分離されました。1408年に橘光綱が建築した社殿が今も残っており、国の重要文化財に指定されています。三間社流造りの小さな社殿ですが、竪板葺きの屋根や棟木の飾板 (懸魚・げぎょ)の彫刻などが見られ、室町時代前期の建築技法を知る上で貴重な建物です。

案山子

「パパ、あれなにぃ~?」

案山子って言うねんで・・・

後半に続きます。


有馬温泉の桜 4月12日

2008-04-12 16:22:57 | 寺社仏閣

念仏寺の桜

有馬温泉は関西でも有数の桜の名所です。

善福寺や有馬川沿いの桜並木のほかにも、寺町界隈などでも桜を楽しむことができます。

 

春の有馬温泉

龍泉閣の展望台から有馬温泉街を撮影しました。街が淡いピンク色で包まれています。

今日は、有馬温泉街を歩いて、寺町界隈の桜を撮影してきました。

林渓寺の桜

林渓寺の山門の桜です。

林渓寺の桜

林渓寺の境内の枝垂桜です。

【林溪寺】
温泉寺の東200mほどの所にある林渓寺には有馬保育園が併設されています。温泉寺や湯泉神社とともに子授けの寺として有名です。1601年、落葉山の麓に池の坊法順が開基したと伝えられる浄土真宗大谷派の古刹で、江戸時代には東本願寺別院として「有馬御坊」と呼ばれていました。1695年、火災により焼失し、再建されましたが、1753年に再び類焼しました。その翌年に落葉山の麓から現在地に移され、本堂が上棟されて、今に至っています。仏師春日による阿弥陀如来像(1651年の作)を本尊とし、中国より渡来した約300年前の作である慈母観音(子授観音)、親鸞上人絵像(1608年の作)を寺宝としています。

境内に「未開紅」という樹齢200年以上の紅梅の古木があります。この名称の起こりは、1781年、本山19世乗如上人(本願寺の門主)が有馬入湯の折に、梅の蕾の紅色が殊に深く、美しいのを見て名付けたものと言われています。毎年3月下句になると、紅色の美しい八重の花が咲きます。古くから、この梅の実を食べると子宝に恵まれるという言い伝えがあり、別名「はらみの梅」、「にむしんの梅」とも呼ばれています。

念仏寺の桜

念仏寺の枝垂桜です。

【念仏寺】
温泉寺の北東に隣接している念仏寺は、岌誉上人の開基で1532年に創建されました。当初は谷之町にありましたが、約400年前に現在地に移っており、太閤秀吉・北政所の別邸跡と言われる見晴らしの良い、有馬でも一等地の高台にあります。徳川家康の檀那寺である大樹寺が浄土宗であったので、同じ宗派の念仏寺に特別な配慮があったものと言われています。現存の本堂は1712年の建立で、有馬温泉では最古の建造物です。この寺の石垣も有馬一古いと言われており、見事な石材が使われています。

この寺は、沙羅双樹の木、蛤(はまぐり)石、雀石のある美しい庭園でも有名です。樹齢250年という沙羅双樹の大樹があり、「沙羅樹園」と呼ばれています。ここでは、毎年6月下旬、沙羅の花の見頃になると、「沙羅の花と一弦琴の鑑賞会」が開催されます。ご本尊は快慶作と伝えられる阿弥陀仏立像で、法然上人画像「月輪御影(つきわのみえい)」も寺宝として所蔵されています。また、神戸七福神巡りの一つ“寿老人”も祀られており、参詣人が絶えません。

極楽寺の桜

極楽寺の桜です。

【極楽寺】
温泉寺・念仏寺に隣接している極楽寺は、593年に聖徳太子によって創建された浄土宗の寺です。1773年、大火で焼失しましたが、9年後に再建されたのが現在の建物です。古い歴史のある寺で、かつては念仏の大道場として栄えたと言われています。寺宝の厨子は、徳川五代将軍綱吉の母である桂昌院の寄進とされており、火除観世音菩薩や法然上人ゆかりの橋杭地蔵尊なども宝物とされています。

1995年の阪神淡路大震災で損壊した庫裏(くり:寺の調理場)の修理中に、安土桃山時代の遺跡が発掘され、秀吉が造らせたと伝えられていた「湯山御殿」 の浴室や庭園の跡であると確認されました。湯殿の存在は昔から言い伝えられていたようですが、古文書や絵図面などの文献資料はありませんでした。庫裏の下から400年の時を経て、数々の遺構や出土品が出てきたため、言い伝えが正しかったことが判明し、1997年に神戸市指定文化財の史跡に指定されました。

さらに、1999年、これらの遺跡と出土した瓦や茶器などを保存・公開するとともに、 秀吉が愛した有馬温泉の歴史と文化を紹介するため、この御殿跡に「太閤の湯殿館」がオープンしました。館内には、蒸し風呂と岩風呂の遺構を展示してある他、焼き物や瓦などの出土品、復元した龍の飾り瓦、さらには秀吉と有馬温泉の深い関わりを示す資料などが展示されています。内装には、安土桃山時代の「ふすま絵」や「飾り欄間(らんま)」のレプリカが取り入れられ、太閤秀吉の “夢の跡” を現代に再現しています。

温泉寺鐘楼

温泉寺鐘楼の桜です。

温泉寺の桜

温泉寺の桜です。

【温泉寺 (薬師堂)】
湯泉神社前の坂道を少し下ると、愛宕山の麓に温泉寺 (薬師堂) があります。奈良時代の初め、行基上人が有馬温泉を開かれた折に、薬師如来の像を刻み、堂を建てられて、724年に温泉寺を建立されたと言われています。その後、鎌倉時代の初めに有馬温泉を再興された仁西上人を中興の祖と仰いでいる古刹です。元来は、真言宗の寺でしたが、後に黄檗宗となりました。1576年に火災に遭いましたが、秀吉の正室、北政所によって再建されました。その後、再び火災に遭い、1782年に現在の薬師堂が建てられました。明治初めの廃仏毀釈によって、温泉寺は廃寺となり、薬師堂だけが残されました。現在は、奥の院の清涼院を移し、合わせて祀られています。地元では、「薬師さん」と親しみを込めて呼んでいます。

湯泉神社と同様、毎年1月2日には行基菩薩像、仁西上人像に初湯で沐浴していただく入初式が行われます。大晦日には鐘楼から除夜の鐘が温泉街に静かに響きますが、この鐘は、観光客の方も撞くことが出来ます。なお、天皇や皇后、高僧などによって書かれた経文、および、国の重要文化財に指定されている黒漆厨子と波夷羅大将立像が宝物として収蔵されています。薬師堂の両脇に鎌倉時代末の作と言われる五輪塔が二基ありますが、平清盛と慈心坊尊恵の塔と伝えられています。

湯泉神社の桜

湯泉神社の桜です。

【湯泉神社】
有馬温泉中心街の直ぐ南側に愛宕山公園がありますが、この山の中腹に有馬の氏神・温泉守護神として崇められている湯泉神社があります。草創期の祭神は、有馬温泉を発見したと伝えられる大己貴命 (大黒さま) と少彦名命 (医薬の神) でした。鎌倉時代に入って、熊野信仰の影響を受け、熊野久須美命も併せて三柱の神を祀るようになり、以後、有馬温泉鎮護三神と呼ばれています。

歴史は古く、日本書記 (720年)に舒明天皇・孝徳天皇などの参拝が記されており、また、「延喜式神名帳」(927年) にも有馬郡の大社として数えられています。その後、皇室や武将などから敬われ、有馬の温泉や町を守る神社として栄えてきました。元来は、山麓にある温泉寺の境内にありましたが、100年ほど前に現在地に移されました。なお、この神社にある熊野曼荼羅図は、国の重要文化財に指定されています。

毎年1月2日に「入初式」が行われ、湯泉大神様と有馬の開祖である行基・仁西両上人に感謝するとともに、その年の初湯を神前に奉り、有馬温泉の繁栄と安全を祈願します。これは、江戸時代から続いている神仏合同の古式豊かな祭典です。また、子授けの神としても有名で、有馬の湯に入り、湯泉神社で祈願すれば子宝に恵まれると伝えられています。

中でも、玉鉾さま、阿福さまと呼ばれている子授けの御守りは全国各地より求められています。これは、平安時代末期の伊呂波字類抄という日本最古の辞書にも記載されていますが、子宝に恵まれない人々が男形・女形それぞれの形を作り、夜陰ひそかに神前に献じて、子授けを祈願していたことから始まっています。

今年の桜は、花付きも良くて、とてもきれいです。

有馬温泉では、もうしばらくの間、桜を楽しめそうです。

春の有馬温泉へ、ぜひお越しください。