神戸電鉄「上の丸」駅の近くに、戦国時代に東播磨の8郡を支配した別所氏の居城跡があります。秀吉軍の兵糧攻めによって、城内に立て籠もっていた家来や領民は餓えに苦しみ、ネズミや雑草、さらには壁土に混じるワラまで食べるという悲惨な状態でした。このため、この合戦は「三木の干し殺し」とも呼ばれました。城主の別所長治は家来や領民の助命を嘆願し、一族とともに自決しました。
江戸時代の初めには、姫路城の支城の一つでしたが、幕府の一国一城令によって廃城となり、本丸周辺だけが“上の丸公園”として残っています。公園内には、馬上の別所長治像、辞世の句が刻まれている歌碑、抜け穴があったと伝えられる「かんかん井戸」があります。毎年5月5日に、三木の大恩人である長治公を偲ぶ「別所公春祭り」が開催されます。当日は、長治公の歌碑の前で「歌碑祭」が行われ、長治公を偲ぶ献詠歌を募集し、優秀作を朗詠しています。