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goo リュウセンの写真日記

自分の思ったことをストレートに携帯やコンパクトデジタルカメラの写真をアップしながら、可能なかぎり毎日書き綴る私日記です。

不要なプライドを捨てる

2013-06-07 09:05:55 | 日記・エッセイ・コラム

私はエンジニア人生において、過去に2人、『スーパーマン』に出会っている。
1人目は、過去のメルマガにも登場した、『Mr.ギーク先輩』。
Mr.ギーク先輩は、私より6つ歳上で、中学時代からパソコンが普及する前のマイコンに触れ、
プログラミングに熱中していた。
高校卒業後は大学には行かず、専門学校に2年間通い、この業界に入った。
一方、私は大学を卒業してからこの業界に入った。

つまり、Mr.ギーク先輩は20歳から社会人に出ていたので、私よりも8年、社会経験が長かった。
Mr.ギーク先輩は、Windows全盛の時代に、わざわざLet's NoteにFreeeBSDをカスタムインストールして、それを業務で使用しているというマニアックさを持っている。。
自宅に帰ってからもFree BSDをいじり倒すというマニアぶりだった。。
ただでさえ8年もの経験の差があるのに、ITに触れている『絶対時間』も、現在進行形で差が開いていく。
例えるならばアメフトで大学生と小学生が戦うようなものだった。
そんなMr.ギーク先輩だったのだが、私はMr.ギーク先輩との普段のやりとりにおいて、今思えば、『ある勘違い』をしていたのだ。

Mr.ギーク先輩が専門学校卒に対して、私は大卒、しかも九州大学という、九州地区では最も難易度の高い大学を出ていた。
つまり、私は、Mr.ギーク先輩を『学歴』という観点でどこか見下していたところがあったのだ。
それが私の行動にどのように反映されていたかというと、Mr.ギーク先輩から技術指導を受ける際に、ぶっきらぼうに説明するMr.ギーク先輩の態度が妙に気にくわなかったのだ。
正直な気持ち、『私は有名大学卒の優秀な人材だ。
そんな私には、もっと丁寧に教えてくれるべきなのでは?』と思っていたのだ。
今考えれば、私は大変穿った考え方をしており、大馬鹿野郎だった。。
以前、『学歴などクソだ』というテーマについて書かせて頂いたが、本当に、独立を前提とした場合、学歴など意味の無いものだということが、今ではよく理解できる。
私はそういう勘違いをしていながらも、持ち前の忍耐力が効を奏し、ギーク先輩になんとかついて行くことができた。
以前『準拠集団』というテーマも書いたが、その結果、ギーク先輩の高い技術水準に揉まれることにより、僅か半年で、某大学のサーバ群のシステムリプレイスを1人で担当するまでに成長することができた。
結果的にこの経験が社会人になって僅か1年半後に1回目の独立をしようと考えることができた自信のもととなったのだから。
この経験を通して、私は『無駄なプライド』を捨てる必要性について、少しわかったような気がした。

<追伸>
この経験から12年以上が経過しました。
時々、ギーク先輩は今どうしているのだろうか?と考えることがあります。
技術レベルでは、私が想像もつかない領域に達していることでしょう。
でもおそらく、今でもサラリーマンをやっているのだと思います。
私がギーク先輩の元で修行していた時に、先輩の口からは、独立めいたことは一度も出て来ませんでしたし、そういうことに魅力を感じるタイプでは無いと思いました。
しかし、サラリーマンである以上、ギーク先輩の技術がどれほど進歩していようとも、収入レベルは12年前の2倍を超えている可能性はまず無いでしょう。
何度も書いていますが、ビジネス社会においては、技術レベルと収入は比例しないのですから。

※平城氏のスーパーエンジニア養成講座から一部抜粋Nec_1940


孤独に耐える

2013-06-06 09:56:19 | 日記・エッセイ・コラム

私がサラリーマン時代に最も苦痛だったこと。
昼食の時の、プロ野球のペナントレースの話。
『●●の打率が●割になったね』『今日の先発は●●だから、間違いなく勝てるね』
そして、グチを言い合うだけの仕事の後の飲み会。
プロジェクトの打ち上げなど、達成感のある飲み会もあるにはあったが、それ以外は殆ど参加しても、仕事仲間の交流は深まっても、将来起業を目指す私にとって、それ以上に得るものは無かった。
野球ファンの方は気分を害されるかもしれないが私は野球が嫌いというわけではない。
小学校の頃はソフトボールをやっていたし、メジャーリーグのイチロー選手や松井選手は純粋に、人として尊敬できる。
『ステージに立つ他人の成功や失敗に一喜一憂する時間があれば、自分がそのステージに立てる人間に早く成りたかった』のである。
昼食時に野球の話をするぐらいなら、ビジネスの勉強や、自分が暖めている企画を少しでも前に進めたい、そういう気持ちが強かったのである。
ただ残念ながら、会社内にはそういった、『志を持った仲間』は得られなかった。
会社員としては優秀な人は多い。しかしやはり、会社へのグチは絶えない。
かといって自分でリスクをとって起業して成功したいという気概を持った人が少なかったように思う。
私が最後に3年間勤めたアクセンチュアという会社は外資系で、『起業大学』と呼ぶ人もいるほど、途中で独立して自分のビジネスを立ち上げたり、実家の商売を継ぐ人もいた。
しかし、私が所属したプロジェクト内の社員数十名のうち、そのような『起業談話』ができたメンバーはいなかった。
もしかしたら、同じような思いを秘めた人はいたかもしれない。
でも会社という手前、そのような思いを大っぴらにできるわけがない。
会社で開催される飲み会。かろうじて付き合い程度に一次会には参加しても9割以上が二次会に参加する中、独り時計を気にしながらもじもじとし、『そろそろ失礼します。。』という言葉を発することの何と勇気のいったことか!
最初は一応、仲間は誘ってくれたが私があまりにも二次会に参加しないので、そのうち『二次会に参加しない人』というカテゴリに属すようになり、暗黙の了解的に、仲間達も私に声をかけなくなった。
これが仕事に支障をきたしていたかというとそうではない。
私は職場で常に上位5%に残る評価を残し、最後には約30名のスタッフを束ねるマネージャの代役まで務めた。(当時のマネージャが不甲斐なく、歴代2名のマネージャが立て続けに『登社拒否』となり、私が約1年に渡り、マネージャの代役を務めることに。。)
ただ、仲間との飲み会では、素直に楽しめない自分がいた。
会社を辞めて独立してからも、大学の同窓会などに一切参加しない私を見て、妻は、『アナタって友達いるの?』と言われたぐらいだ(苦笑)
『あまりにもビジネスライクすぎるのでは?』と自分で自問自答した時期もあった。
しかし、今ではこの選択は正しかったと思う。
学生時代に中谷彰宏さんの本が好きで、中谷さんが言っていた言葉で『有名人は実は人付き合いが苦手である』というものがあった。当時はよくわからなかったが今ではよく理解できる。
芸能人のインタビューを見ていると、実は最近売り出し中の他の芸能人のことをよく知らなかったりする。
それは、彼らが『自分の人生を生きている』からだ。
例えば、俳優の方であれば、ドラマや映画の撮影に没頭するあまり、自分自身は他のドラマや映画を見ていなかったりする。
実は外野席から観戦しているである我々の方が芸能事情に詳しかったりする。
私も孤独に耐え、自分がやるべきことをやってきたから今があると思う。
『アナタって友達いるの?』と問いかけてきた妻も、それは否定的な言葉としてではなく、『逆に家族を大切にして仕事も頑張ってくれる』という表現の裏返しだったのだから。

今では自分が手がけるビジネスを通して、
・一生つきあっていきたい仲間 ・困った時に助け合える仲間 ・将来について本音で語り合える仲間が沢山できた。
また、最近はドラマや映画も見なくなった。
何故ならば、自分の人生の展開が、ドラマや映画以上に面白くなってきたからだ。

※平城氏発信『スーパーエンジニア養成講座』から一部抜粋Nec_1986


スマートフォンへの機種変更

2013-06-05 07:55:20 | 日記・エッセイ・コラム

5月末に、ようやく大幅に遅れていたスマートフォンへの機種変更<wbr></wbr>を行った。
スマートフォンは従来の携帯に比べて、高額になったので、どうし<wbr></wbr>ょうかと昨年から考えていたのだが、息子が機種変更すると言いだ<wbr></wbr>したこともあって、また、キャンペーン中だったので、始めてスマ<wbr></wbr>ホ割、学生家族割などを多方面にわたり、活用して、その上、ドコ<wbr></wbr>モプレミアクラブ会員なので、ポイントが2万点以上もあったから<wbr></wbr>、それを取り崩し、機種変更手数料2,100円だけで機種変更で<wbr></wbr>きた。

http://www.nttdocomo.co.jp/product/easy_phone/f12d/

バイト先も決定した時期、替えるのは「今でしょ!」ということだ<wbr></wbr>ろうと思います。
とはいうものの、寄る年並みには勝てず、「らくらくスマートフォ<wbr></wbr>ン」なので、かなり大きいような気がする。
まだまだ、初心者だから、使い方にまったく慣れていないので、戸<wbr></wbr>惑っているがバイト先の仕事と一緒でそのうち、慣れるだろうと気<wbr></wbr>楽に考えることにした。
さて、どのような影響があるのだろうか。

F12dtop


ゴミ収集車のごとくに体験を飲み込む

2013-06-04 09:38:08 | 日記・エッセイ・コラム

幼稚園~小学校低学年の頃のことですが、カウンタックとかの「スーパーカー(死語?)」
には何の興味も関心も持たなかったのですが、「ゴミ収集車」に異常に惹きつけられました。
(じつは今でも結構好き)
なにが魅力的といって「どれだけゴミを放り込んでも、キャパシティ無限大と思われるほど、次々にゴミを飲み込み続ける姿」が素晴らしい!グレイト!ビューティフル!どれだけ眺めていても飽きません。

軽快な音楽をBGMに(あれ、自治体によって違うんですかね)
収集車がやってきて、作業員の方がごみ集積所に山と積まれた大量のポリ袋を次々に放り込む。
緩慢な、しかしながら強力なプレス機構で減容しながら、延々と大量のゴミを飲み込み続ける姿にこころ震わされたものです。
久しぶりにその勇姿?を思い出し、動画がアップされていないかと探してみたら、やっぱりありました!
(こんな感じ)
http://www.youtube.com/watch?v=9ZgB7eey9e4

で(?)、今日は何をお伝えしたいのかというと、ゴミ収集車のごとくに貪欲に「体験を経験化していきたいですね」というお話。
どういうことかというと、日々の生活で体験する「こんなことや、あんなこと」も、総括しなければ、せっかくの体験も消化されることなく時間の経過とともに、流れ、失われてしまいます。
そんなことにならないよう今日の気付き、学びをバリバリと飲み込み、咀嚼し、反芻し、自分の血肉とするためには「具体的出来事 → 抽象的教訓」というプレス機構をフル活用しつつ、「毎日の出来事を圧縮・減容して、今後に活かせる教訓として収容・格納する」ことが大切であるとお伝えしたいのです。

日々の体験をそのまま記憶して、未来に活かそうとおもっても、残念ながら脳の容量には限りがありますので脳に負担なく収納できるくらいまで、まさに「圧縮・減容」してやる必要があるのです。
このプロセスを通すことで、日々のあれこれについて、エッセンスを損なうことなく、極小化して
脳みそに格納することができるようになるでしょう。
この工程が稼働している限りにおいて、「毎日の体験が、学びのエコシステム(生態系)の循環に組み込まれ、ムダがなくなる」こととなります。

そんなわけで、昔はゴミ収集車を見て、憧れる(?)だけでありましたが、今は、ゴミ収集車のように、あらゆるものを圧縮し、飲み込むことができれば、と思うようになりました。

そのためには「日々の体験や思考を記録に取る」ことが必須です。
これにより、一日一日の経験密度(生きている実感)が、どんどん高まっていくのです。
もしもあなたに、なんだか分からない間に一日経ち、一週間経ち、一ヶ月経ち、一年経っている、まずいなあ(汗)という自覚があるのであれば、毎日の出来事を総括する習慣づけをお勧めいたします。
わたしもこの習慣が身についたときから、「ムダに、ダラダラ生きている」という後悔や、不完全燃焼の後ろめたさ、気持ち悪さ、といったさまざまな負の感情から完全に開放されました。

願わくば、以下の動画くらいにバリバリとあらゆる体験を咀嚼し、飲み込んでいきたいものですね。
<まるで恐竜…車を飲み込むゴミ収集車>
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Jfs9y01x3Xg

※有限会社セカンドステージ(代表 鮒谷周史)平成進化論から一部抜粋

Nec_4005


人は人に見られて変化する

2013-06-03 09:39:45 | 日記・エッセイ・コラム

前回は、スタジオならびにビルの屋上、そして、ビルを背景にして撮って頂きましたが、今回は人通りの少なくない(というか、大変人通りの多い)都内某所の路上にて撮影を敢行。

 
テラウチマサトさんを始め、メイク&ヘアメイクさん、スタイリストさんのお力を借りながら、自分であれば、普段絶対に選ばないような服を着て、自分では再現不可能な髪型で(汗)数百人の人が行き来する路上にて撮影をいたしました。

 
 
そこで、リアルに体感したのは「見られる」ことによって、意識が持ち上げられることでした。
 
何百人という人が行き来する路上で、プロ仕様のでかいカメラを持ったカメラマンさん(テラウチさん)にパシャパシャとシャッターを切られる。
 
風が吹いて髪型が乱れると、サササッとヘアメイクさんが駆け寄って、髪の毛に手を入れられ、汗をかけば額や鼻の頭を拭いてもらい、あるいは着せ替え人形のようにジャケットを着替えさせてもらったりしながら、ポーズを作って撮影されるわけですから、きっと道行く人からは
「それっぽく」見られているわけでありました。(多分に自意識過剰気味 笑)
けれども、ここで気づいたのは「見られている(ように思う)」ことで明らかに自分の意識が高まっていくことでした。
その意識の高まりが、姿勢や歩き方、表情等に影響を及ぼすのです。
そんなリアルな実体験を通してあらためて思ったのは「他者に見られる場所に、自らを置く」
ことで、潜在的な力を最大限に開花させることができるのであろうということ。
 
 
例えば、私であれば、このメルマガをもう10年も続けてきたわけですが、文章を読まれること、日々の生活を見られていることが既に日常となっています。

「いつものこと」となっているがゆえに、改めて意識することはありませんでしたが、今回のポートレート撮影の経験に照らし合わせて、考えてみるに、毎日自分が経験し、感じたり、考えたことを書き、それを見知らぬ他人に読んで頂くというサイクルを回していく過程で「人から注目されている」という(自意識過剰からくる)思い込みが「自分に変化をもたらしてきた」ことは明白に認めざるを得ないのです。
 
よく、女優やモデルさんは「他の人に見られるからどんどんキレイになっていく」という話を耳にするわけですが、今回の撮影体験を通して、あるいは自分の日常や思考を発信してきた経験を振り返ってみて、やはり「見られる」 → 「意識する」 → 「姿勢が変わる」というサイクルがあることに気付いた次第なのです。
まさに「人は人に見られて変化する」生き物なのでしょう。

であるならば、環境の整え方次第でそんな習性を上手に活用することによって、勤勉にもなれるし、向上心も持てるし、人に優しくもなれるし、人に気を遣うようにもなれるし、格好よくもなれれば、おしゃれにもなれる(あるいは、なりたいものにはなんでもなれる!?)そんな風に思ったわけなのです。

※有限会社セカンドステージ(代表 鮒谷周史氏)平成進化論より一部抜粋Nec_4035