goo リュウセンの写真日記

自分の思ったことをストレートに携帯やコンパクトデジタルカメラの写真をアップしながら、可能なかぎり毎日書き綴る私日記です。

桜を求めて

2013-04-30 02:42:14 | 写真

桜を求めて
今日は夜行日帰りで桜を求めて、新潟まで行く。

またヒロトラベルフォトの撮影ツアーを活用する。

桜の撮影はいい時期に当るかどうかにかかっている。

いい条件であれば、いかようにも撮れるのだけれど、曇天などの悪条件では空は入れてはダメだし、撮り方がほぼ決まってしまう。

勢い空を入れないで桜の枝ぶりがよく見えるところだけを切り撮るため、どの桜でもほぼ同じになってしまいがちだ。

満開の桜に青空にアクセントの白い雲というチャンスにはめったに当らない。

さて、今回行く新潟の桜はどうなんだろうか。

何度も言うが、条件のいい満開の桜に当り、撮影できるかどうかにすべてはかかってくる。

しかしながら、桜は思うとおりには中々上手く撮れないものだ。

来年は少なくとも山梨、長野などのいい桜を求めて、1ヵ月は車中泊で撮影ツアーをやってみたいものだ。 さて、どうなることか。

※これが中子の桜の現状(H25.4.30現在)

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「自分ではない誰かの目線」を持つ

2013-04-29 09:56:50 | 日記・エッセイ・コラム

人間はどこまでいっても、自分中心にしか物事を眺めることができない生き物です。
けれども、だからといって、「そういう存在だから」と自己中心的に振舞っていいというわけでも
なさそうです。
いや、そのように振舞ってもいいのですが、いずれ必ずしっぺ返しを食らうことになるでしょう。
周囲から疎んじられ、徐々に徐々に、疎外されていくことになります。
反対に、一人ひとり異なる他者の人生や履歴や思考を想像したり、慮り、その上で適切と思われる行動をとれるようになれば、その人は「大人である」,「成熟した人である」と評価されるようになるのでしょう。
それができず、常に自分の目線からしか世界を把握できない(私のような)人間は「幼い人」
 
といわれます。
※無邪気でいいのだ、と強弁していても、内心、人間が練れていないことに気づいています(汗)
私のことはさておき、「他者の立場に立つ」ための想像力を身につけるには、やっぱりたくさんの「自分ではない誰かの目線から語られる世界」に触れる必要があるだろうし、そのために読書は役に立つと思うのです。
そんな読書によって、さまざまな人の立場について、種々、思いを巡らせる機会も得られることでしょう。
 
こんなふうに思いながら、バラエティに富む多様な人が著したさまざまな本を読み、さまざまな視点から世界を捉え直し、捉え直しを繰り返していくつもりです。

※有限会社セカンドステージ(鮒谷周史)平成進化論から一部抜粋

これは非常に、参考になることなので、一部紹介してみました。自分にも思い当たることが多々あって、大いに、反省させられる思いです。

「自分ではない誰かの目線を持つ」というか誰かの立場になって物事を考えることの大切さが改めてわかりました。ありがとうございました。200610


風景写真とネイチャー写真

2013-04-28 07:45:02 | 写真

読者数30000人!日本一早起きの写真上達メルマガ フォトアドバイス通信

フォトアドバイスの佐藤です。
今回はメールサポートでいただいた質問の回答を紹介します。
他の方の質疑応答は大変勉強になるので、ぜひじっくりと読み込んで下さい。

【質問】
今回は、風景写真とネイチャー写真の違いについて伺います。
私もどちらかと言うと風景写真を撮っていると、思っている方ですが、ネイチャーとの違いがよく判りません。
ネイチャー写真と風景写真は本質的に違うということを聞きますが、何がどのように違うのでしょうか。

【回答】
・風景写真
ランドスケープのいわゆる風景を撮った写真。
広い中にライトアップや街灯など夜景や、街、建築物など人工物が入ったものも風景写真。
・ネイチャー写真
ランドスケープの自然風景は、これに含まれる場合もあります。風景の中に野鳥、昆虫、花、特殊な気象条件などが入れば、ネイチャー色が強くなり、野鳥、昆虫、花、気象条件を写した写真は完全なネイチャー写真。
ネイチャー写真には人工物が一切入ってはならないというのが理想だとは思います。
ところが実際には・・
山の高圧電線(カメラマンの天敵)雄大な風景と、それとマッチした街(夜景だとあり得ます)
海原と船など、ちょっとでも入るとネイチャーでは無くなるか?
判断は難しいです。
そして、それを言ってしまうと、1番判断基準が難しいのがW(逆さ富士)ダイヤモンド富士で有名な田貫湖、ここ人工湖です。
これは人工湖ですがダイヤモンド富士という現象がネイチャー写真だと思われますが・・・
上高地の大正池も景観を残すため(年々土砂で埋まってしまいますが)実際はこっそり掘ってますし、湖面の有名な立ち木もワイヤーで繋がっています。
青森の奥入瀬渓谷だって、なぜか写真的に良い場所は木々が生えてない。
それはその場所は観光のため伐採という人の手が加わった場所だから・・・
富士山だって、拡大すると登山道がよく見えます。頂上剣ケ峰の気象ドーム跡だって写ります・・・
となるので、厳密に考えると、矛盾は沢山出てきます。
まー写真家の理想としては、ネイチャーと言うならば人工物は一切入らない、人工湖もダメとなるのでしょうか?
それが入れば風景写真となるという感じでしょうか。
中村カメラマンの考え方として、風景では人工物を入れたくない派ですが・・・
人口物とマッチした風景も良い物とも思ってます。
例えばスカイツリーと月とか・・・
これもちょっとした話がありまして・・・
中村カメラマンの知人のアマチュアカメラマンがこれをテーマで撮影しており、プロレベルのかなり良い出来ですが、なかなかコンテストに入選もしない・・・
中村カメラマンも一緒に撮りに行ったりしているので、中村カメラマンも友人として不思議でした。
で、とある先生がそのコンテストの審査員を止め、審査員が変わった途端、その友人は 最優秀賞 を獲得しました。
その先生も否定しませんが、そうした考え方の違いも写真にはあります。

※「フォトアドバイス」から一部抜粋

写真というものの評価は人によって、違うという典型的な例です。したがって、決して諦めてはいけないのです。もしかすると、その審査員の先生を相性が合わないってことも充分考えられますからして…。

あまりに評価されないと、その結果に、心が折れそうになりますが、「継続は力なり」、最後の最後まで決して、諦めない気持ちが大事です。

200610


春雪の上高地

2013-04-27 17:11:19 | 日記・エッセイ・コラム

春雪の上高地
今日は写真撮影ツアーではない通常のクラブツーリズムのバスツアーを活用し、開山祭の上高地に撮影取材に出かけた。

しかし、まさかまさかの雪だった。それもかなりの降りで、吹雪に近いため、風が強く、風下では撮影は困難だし、しかも遊歩道は雪道だった。

この雪ではと躊躇する人も多い中、私は大正池で降りて、いつものとおり河童橋まで雪の中を歩いた。 穂高連峰などの山はまったく見えないかったし、写真も撮りにくかったが、それなりに撮影できたのは面白かった。

しかしながら、写真というものはこのようにいい条件になるとは限らない。

写真の神様はそう簡単に撮らさせてくれない。奥が深いのだ。


写真は奥が深い

2013-04-26 01:05:54 | 日記・エッセイ・コラム

写真は奥が深い

http://syabi.com/contents/exhibition/index-1807.html

東京都写真美術館 マリオ・ジャコメリ写真展から抜粋

帰還

ジョルジュ・カプローニ

わたしはそこに帰った

一度も行ったことがない場所に。

なにも、そうでなかったものから変っていなかった。

わたしはテーブルの上に(格子柄の蝋引きの上に)なかば残された

けっして満たされたことのないグラスが残されているのを目にした。

すべてはわたしが一度たりとも残したことのないかたちで残されていた。

イメージは、物質、時間、空間、視線のチャンスである。

我々自身の証となる痕跡であり、絶え間なく記録や物語や知の法則を支え、リズムを生きる文化のしるしだ。

この写真展を拝見して、私の写真の方向性というものを改めて、考えることができた。

しかし、「風景」と題する写真の多くが航空写真による俯瞰撮影だったのには驚いた。これはお金持ちにしかできない芸当だ。

この人は生涯アマチュアだったようだけれど、イタリアでは一番の写真家だと評されている。とにかくすごい写真ばかりで目からうろこだった。