「(短期的な利益や欲望充足を目的とするあまり)自己を過剰に、あるいは自身が望まない方向に表現する危険性」について警鐘を鳴らしました。
ソーシャル疲れ、ならびそれによって引き起こされる燃え尽き症候群についての対応方法として、「自然体、ありのまま、無理をしない」という話をしてきました。
具体的には、「ありのままの姿を発信するメリットを意識する」ことが大切だと思っています。
ありのままの姿を発信するとは「等身大の自分を、自身の言葉で語る」ということです。
これによって、私たちは日々の思考や行動の記録が一つ一つ、紛れもなく、蓄積されていくという内なる喜びや達成感を味わえます。
ソーシャルメディアを使って発信していて陥りやすいのは「何のために、これをやってるのだろう?」という疑念や不毛感に苛(さいな)まされることですが、それは肝心の自分の喜びを軽視し、「対外的にいい格好をしようとする」ところから生まれます。
そのような外側に向けての動機ではなく、内側から湧き上がる欲求こそ大切にすべき、そんな風に考えているのです。
たとえば、もし仮に、発信しているのが自分の言葉ではなく、引用、転載ばかりであったとするならば、忙しくなってきたら、「この時間のない中、なんでこんなことやってるんだー(怒)」ということにもなりかねません。
※別に誰かが頼んでやってもらっているわけでもないんですけどね。
あるいは、取り繕わない、素のままの自分を出すからこそ得られるメリットを確認する、自覚するというのもいいでしょう。
演じている自分には「そこで演じられている姿」に魅力を感じる人が集まります。
でも、それは決して、本当の自分ではないから、段々と苦しくなってくるのです。
(ちょっと違うかもしれませんが、一つのイメージとして)最初に小さな嘘をついてしまったが故に、その小さな嘘を糊塗、彌縫するために、さらに嘘をつき、やがてはにっちもさっちもいかなくなって、絶望に突き落とされるのと似ているかもしれません。
本来の自分とかけ離れた姿を演じているうちに遂には乖離が許容範囲を越えて、「あー、もういい!」「もーやめた!」となるのです。
その反対に、ありのままの姿を発信していれば、そんな自分に共感して下さる人もきっとあるわけだから、時間の経過とともに、いたって心地よい環境に取り巻かれることにもなるでしょう。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋
普段から私の主張している古くからのことわざ「急がば回れ」、「急いては事をし損ずる」、また、「自然体で自分の思うままに行動し、できるだけ無理をしない」という考え方に近いものがあったので、素晴らしいと思います。