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goo リュウセンの写真日記

自分の思ったことをストレートに携帯やコンパクトデジタルカメラの写真をアップしながら、可能なかぎり毎日書き綴る私日記です。

思考を定点観測する

2013-07-05 09:52:22 | 日記・エッセイ・コラム

実家から宅配便が届きました。
思い当たるフシがなかったので、「???」と思いながら開封してみると、母親が先日まで滞在していたヨーロッパの土産とともに、なぜか実家においたままにしていた数冊の「講談社現代新書」が入っていました。(同封の手紙によると、箱に隙間があったから詰め物として使ったそうです 汗)

中学、高校時代に読んだ本とこんな形で再会を果たし、嬉しく、懐かしく、驚きもしましたが、(なぜか)その中の一冊に入っていた「論語」をなにげにパラパラめくっていると、たまたま本に挟まれていた「しおり」に書かれていた一節に釘付けになりました。

そこには吉田松蔭の「書を読みて己が感ずる所は抄録して置くべし。
今年の抄は明年の愚となり、明年の録は明後年の拙が覚ゆべし。
是れ知識の上達する徴なり。」という言葉が記されておりました。
私なりの意訳をしてみると以下のとおり。
本を読んで感銘を受けたところは抜き書きしておきましょう。
今年「おお!」と思ったものは来年にはつまらないものになり、来年「おお!」と思ったものは再来年にはつまらないものになっているでしょう。
これは自分のレベルが上がっている「しるし」なのです。

これを読んで、「本当にその通り!」と膝を打たずにはおれませんでした。
わたしも長年、
▼感銘を受けた文言を抜書きし、暗記する
▼書籍に赤線を引いて、そこだけを再読する
という習慣があるので、ここに書かれていることについて、思い当たることが多々あったわけです。

さらにいうと、本を読んで、というだけでなく、(このメルマガもそうですが)日々の思考を記録しておくと、その時点では「この発想は凄い」「我ながらよくぞ思いついたもの」「受け売りではない、オリジナルコンテンツだ!」などと思っていても半年経ち、一年経ち、さらに数年が経過して、読み返してみると、「なんとまあ、陳腐なコンテンツだなあ」「大したことのない内容を届けるのに力みが入っていたなあ」「この程度のことに感動、感銘を受けていたのか」と赤面する思いになることもしばしばです。

けれども、そういった振り返りが自らの成長を図るバロメーターとなっているようです。
過去のコンテンツを顧みての恥ずかしさがまさに、「是れ知識の上達する徴なり」といえるようにも思われるのです。

そして、そう感じられることが恥ずかしい反面、嬉しくもあり、学ぶ喜びをさらに加速させてくれるもの。
この感覚は自らの思考の定点観測をしているからこそ体感できるものなのでしょう。
そんなことを「講談社現代新書に挟まれていたしおりに記された一節」から考えてみた次第。

※セカンドステージ代表 鮒谷周史枝氏平成進化論から一部抜粋
                   http://www.2nd-stage.jp/R14_pht01


影響力は相加的ではなく相乗的なもの

2013-06-24 09:00:35 | 日記・エッセイ・コラム

今日のお勧め本 複合汚染
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4101132127/2ndstagejp-22/ref=nosim
を読み終えました。
1974年~75年にかけて朝日新聞に連載された小説
(この形式が小説と読べるものであるかどうかは異論があるようですが)で、環境汚染を主題として描かれた内容について、社会的にも相当話題となった(影響を及ぼした)ようです。

そこで、(本題とは関係ない側面についてですが)思い浮かんだことがあります。
それは【 影響力を構成する要素 】について、分析してみると、【 影響力 = 専門性 × 播種力 × 刺突力 × 残留力 】という方程式が成り立つのではないかということ。

有吉さんは環境問題の専門家ではありませんでしたが、この連載にあたり、10年にわたって300冊の関連書籍に目を通し、何十人という専門家から話を聞いたそうです。
 
つまり、当然それを専門とする学者さんには及ばぬでしょうけれども「一定レベル以上の専門知識」を身につけていたであろうと思われます。

次に、こうして学んだ知識や思いが巨大全国紙というメディアを通してたくさんの人に伝達されました。
新聞の連載小説という形式で、圧倒的多数の人の心に「播種(はしゅ=種を蒔くこと)」されたことになるでしょう。
しかも、ただ種がばらまかれただけでなく、インパクトのある「複合汚染」というタイトルやタイトル負けせぬショッキングな内容でありましたから、ぐさりと人の心に突き刺さりました。
メッセージに「刺突力」があったといえましょう。
このようにして突き刺されたメッセージはその場限りですぐに忘れ去られることなく、記憶の中に残留しつづけるという「残留力」をも持ち合わせていたがゆえに、今に至るまで、さまざまな影響を及ぼしえたそんな風に思われるのです。

以上をまとめると、【 影響力 = 専門性 × 播種力 × 刺突力 × 残留力 】ということになります。
右側の要素を「相加的(累積的)ではなく、相乗的(かけ算的)」に組み合わさった合計が社会に及ぼす影響力となるのです。

とするならば、どれだけ高い専門性を持った人であってもあとの3つが欠けていたら、他者に大きな影響を与えることはできないでしょう。
(身内といえる、ごくごく一部の人以外には広がらないのです)

同様に、メッセージをどれだけ多くの人の目に触れさせることができたとしても当該分野における専門性や刺突力あるいは、刺した後、抜けずに留まれる力が伴わなければ、他の人に大した影響を与えられません。
(目に触れさせても、あっという間に忘れ去られるから同じく広がりません)

※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋
  http://www.2nd-stage.jp/

実はこの「複合汚染」という概念は当時朝日新聞の連載された当時の切り抜きをほとんどすべて今も持っています。

しかも大学で化学を学んでいた私にとって、レイチェルカーソンの「沈黙の春」と同時に、その後、環境問題に進むことになったきっかけの本でした。私にとっては今もバイブルです。

その本が平成進化論によって、紹介されるということに、感慨深さを感じましたので、ここに抜粋させていただきました。Nec_3400


「高揚」よりも「効用」を得られる投薬を

2013-06-23 07:23:51 | 日記・エッセイ・コラム

私(鮒谷)はセミナーを開催するにあたって、もっとも気にかけていることがあります。
それは、提供する価値が 「その場限りの高揚」ではなく、「長期逓増(ていぞう)の効用」となっているかどうかです。※逓増=次第に増えること(広辞苑  第5版)
ですから、たとえば3日間セミナーを開催したあとも、その後の状況(セミナー終了後1か月~1年以上経過後)のご感想も頂戴して、<3日間セミナー参加後のご感想集(1か月~1年以上経過後)>http://www.2nd-stage.jp/houdankai/testimonials/change.html

頂戴した文章を精読、精査してコンテンツのブラッシュアップを図り続けているわけです。

それにしても、つくづく思うのは「短期的に高揚してもらうのは簡単だけれども長期的に効用を感じて頂くのが如何に難しいか」ということ。
けれども、だからこそやり甲斐も出てくるというものです。
これを参加下さる側からいうと、「短期的に高揚することは簡単だけれども長期的に効用を感じることが如何に難しいか」ということにもなります。

この現実を直視するところから「変われる人」になるための旅が始まります。つまり、「一時的な興奮を求めて、右往左往しているうちは永遠に変われない」ということです。
言葉は悪いですが、「一時的にやる気がでる言葉」は麻薬と一緒。
麻薬が興奮剤として用いられることがあるように、「一時的にやる気がでる言葉」も落ち込んだときなどのカンフル剤として、活用できることもありますが、そのような言葉に頼り過ぎていると、やがて耐性がついてきて、いくら元気の出る言葉を聞いても反応しなくなるようになるものです。

そんなことを繰り返しながら「長期に効用を感じられる成果を挙げるには(一時的な高揚をもたらす言葉ではなく)本質的かつ本当に効く言葉を淡々と処方する」ことが有効であると気づいたのです。

そんな私が過去、21回にわたって3日間セミナーを開催してきたのは、実にこの「本質的かつ本当に効く言葉」を大量投与するためでありました。

メルマガを書き始めてから10年(日記を書き始めてからでは20年)もの間、日常生活の中での気付き、学びを毎日振り返っては「効く言葉」をストックし、咀嚼し、改良を加えては再びストックするというサイクルを繰り返してきたわけですが、「これは仕事やプライベートの抜本的な改善に必ず役立つ!」と臨床的に確信が持てたもののみを3日間という限られた期間で大量に投与することで「変化を促す」ことを試みてきたわけです。
その投薬の臨床結果が先のご感想ということになるのかもしれません。
【 本質的かつ本当に効く言葉の大量投与 】が必要だと思われる「変わりたいけど変われないという病にかかって苦しんでいるあなた」にはきっとお役に立てると思います。
もちろん自由診療(?)ですし、無理にお薦めはいたしません。
ただ、「効果があるのであれば自費でも受診する!」というお気持ちがあれば、そのお気持ちにできる限り沿う形で「(一時的な高揚ではない)本当に効用のある言葉」を投与させていただきます。

※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋
  http://www.2nd-stage.jp/

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ギクッとしたところに成長の種がある

2013-06-22 07:12:37 | 日記・エッセイ・コラム

以前、「焼畑農業(営業)は人生をも焼き尽くす」と題して、「当たり構わず、営業しさえすればいいというものではないです」(=営業するにも「場」を弁えましょう)というお話をしました。

実はこの内容は、たまたま、ネット上である中規模(?)プラットフォームを運営されているしている友人とランチして、その彼の嘆き(?)にインスパイアされ、記した文章でありました。

したがって、もちろん特定の誰かに向けて、記したものではなく、自戒を込めて書いただけのものだったのですが、驚いたことには、なんと3名もの方(Kさん、Nさん、Nさん)から「ひょっとして私のことを指摘されました!?だとしたら大変、申し訳なかったです」といった趣旨のメールをいただきました。

上述のように、こちらとしてはただ友人の話にインスパイアされ、書いただけのこと。
ですから、いうまでもなく特定の誰かを想定して、書いた文章ではありません。
 
 
なのに「私のことが指摘されている」と言われる方がこれだけいらっしゃったということは3名の方々の向こう側にさらに何倍もの「ギクッとされた方」があったのかもしれません。

このようなメールをたくさんいただき、私のほうがギクッとなりました。(汗)

実のところ、長い間メルマガを書いていると、このようなことはこれまでにも頻繁にありました。

自戒のつもりで書いたものが想定外の他者の心を狙撃してしまい、(私が非難している?あるいは、怒っている?ようにも受け取られ)
「ええっ!」という反応を頂くことがあるのです。
もちろん、それは私の本意ではありません。

ただ、あるときから、直接、指摘したりしたつもりはなくとも結果として、「ギクッとして我が身を省みるきっかけ」を提供することとなったとすれば、(ひょっとすると)それはそれで価値があるのかもしれないと思うようにもなりました。

それにしても自ら情報を発信するというのはどこまでいっても奥の深い世界です。

不特定多数の方々に文章をお届けするときにはどれだけ想像力を働かせても日々、想像を越えた様々な反応をいただき、だからこそ、朝が来るたび、「変化に富んだ、新鮮な毎日」を楽しませて頂けるのでしょう。

そんなわけで、昨日の文章には何の他意もありませんので、ギクッとされた皆さま、何卒、ご容赦、ご放念くださいませ。
ただし、ギクッとされたということは、「今後の学びや実践に活かされる(可能性がある)」というにはなるかもしれません。
もしそういう方がいらっしゃれば、それはそれで良かったといえるのではないでしょうか。(なんていってみたり)

ここまで書いて思ったのですが、「ギクッとすることが学びにつながる」のであるとすれば、私も、もっと様々な人の意見を聞き、「ギクッとして、我が身を省みる機会(=成長の機会)」を求めていく必要があるな、と思った次第です。

ギクッとする機会があったら、そこをこそ、喜ぶ必要があるのかもしれませんね。

※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋
  http://www.2nd-stage.jp/

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「始めること」と「続けること」

2013-06-19 07:06:57 | 日記・エッセイ・コラム

お金儲けであれ、営業であれ、資格取得であれ、語学の習得であれ、時間管理であれ、資産運用であれ、コミュニケーション能力であれ、文章執筆の力であれ、なにかを手に入れようと思ったなら、「正しいやり方で」、「まずはやってみて」、「さらに(改善しつつ)やり続けること」の3つが必要です。

私自身、よりよい人生を送りたい、と思って、過去、さまざまなセミナーや講演、勉強会に出席しました。
そこで分かったことは「上に挙げた3つを連結させなければ、体感できる成果を残すことは絶対にできない」という当たり前の事実。

何ごとにおいても、何かを極めようあるいはそこまでいかなくても身につけようと思ったなら、「こちらに向かえば成果が出ると証明されている(正しい)方向ならびに方法論」を知る必要があるでしょう。

例えば、英語を学ぼうと思ったとき、ただがむしゃらに学べばさえいいかというと必ずしもそうではないということは賢明な読者さんであれば、すでにお気づきのことと思います。
「正しい学び方(学習の方向)」を身につけるか否かによって、学びの速度は大げさではなく、数倍から10倍程度の差は簡単についてしまうものと思います。

頭の良さ(地頭の良さ)、というのはそんな現実を理解し、従って、まず方向性を決め、正しい方法論を身につけようという意思の有無によって決まってくるものでないかとすら考えているのです。
ただし、このように方向性や方法論を知るのは大切ですが知っただけでは体感できる結果を得ることはできません。なぜなら「行動していないから」。
知る、学ぶ、の第一段階をクリアした人が次に行うべきは「始めること」なのです。
分かったこと(知識)は行動に移すことによって、理論通りのところと、微調整が必要なところがあるといったこと、あるいは、ただ知識を知っているのと身体化されたノウハウとは全く別物だ ということが徐々に分かるようになってきます。
そして、「知って」「行動し」さらに時間を味方につけつつ「行動し続ける」ことによって、ようやく
「変化が体感できるようになる」わけ。
「戦略とは順序である」といわれることがありますが、これらを適切な順序で、適切な重み付けを行うことによって、ここで初めて、「人生に変化が生まれている」と、まずは自分が体感し、やがて周りの人にも一目置かれるようになってくるでしょう。

このように、ただ学びさえすればいい、というだけではダメで同様に、行動しさえすればいいというのもダメ。
学び、行動し、行動し続けることによって、「おおお!変わり始めてきたぞ!!」という喜びを伴う変化が感じられるようになるわけです。
このプロセスを独力で進められるようになれば、さまざまなことについて同じことを同じように行い続ければいいだけです。(それぞれの分野で結果を出せるようになります)
ただし!このサイクルを一回ししたことのない人はそもそもどのようにこの3つを進めていけばいいのか分からないし、きっかけも持てないことが多いようです。

私(鮒谷)自身、伯楽(師匠、コーチ)のいない状態で変化の実感を持てない不遇の時代、暗黒時代を何年も苦しんできたわけで(試行錯誤の末、ようやくそこから抜け出せましたが)
そんな私だからこそ、過去の私と同様の思いを持ち、苦しんでいる方へのお手伝いをする資格があると思っているのです。

だから、「そんなこと言われなくても自分でできるわい」という人は自分で手に入れたいものについて、「正しいやり方で」、「まずはやってみて」、「さらに(改善しつつ)やり続けること」をやっていかれればいいわけです。勝手に成果は出てくることでしょう。

けれども、「その考え方はわかるけれども、具体的にどうしたらいいの!?」「なにかきっかけが欲しい」という方がいらっしゃるのであれば、私の主催するセミナーを通し、このサイクルの一回しを経験いただこうそんな風に思っているのです。
 
ここで、長い人生において、しかるべき方法を知り、動き始め、さらに行動し続ければ手に入れられるであろう稼ぐお金や生み出す時間と比べたら、どれだけ贔屓目に見てもやっぱり、(サービス提供している私自身)「たったの3日間+わずかなコスト」としか思えません。

※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋Nec_3334