実家から宅配便が届きました。
思い当たるフシがなかったので、「???」と思いながら開封してみると、母親が先日まで滞在していたヨーロッパの土産とともに、なぜか実家においたままにしていた数冊の「講談社現代新書」が入っていました。(同封の手紙によると、箱に隙間があったから詰め物として使ったそうです
汗)
中学、高校時代に読んだ本とこんな形で再会を果たし、嬉しく、懐かしく、驚きもしましたが、(なぜか)その中の一冊に入っていた「論語」をなにげにパラパラめくっていると、たまたま本に挟まれていた「しおり」に書かれていた一節に釘付けになりました。
そこには吉田松蔭の「書を読みて己が感ずる所は抄録して置くべし。
今年の抄は明年の愚となり、明年の録は明後年の拙が覚ゆべし。
是れ知識の上達する徴なり。」という言葉が記されておりました。
私なりの意訳をしてみると以下のとおり。
本を読んで感銘を受けたところは抜き書きしておきましょう。
今年「おお!」と思ったものは来年にはつまらないものになり、来年「おお!」と思ったものは再来年にはつまらないものになっているでしょう。
これは自分のレベルが上がっている「しるし」なのです。
これを読んで、「本当にその通り!」と膝を打たずにはおれませんでした。
わたしも長年、
▼感銘を受けた文言を抜書きし、暗記する
▼書籍に赤線を引いて、そこだけを再読する
という習慣があるので、ここに書かれていることについて、思い当たることが多々あったわけです。
さらにいうと、本を読んで、というだけでなく、(このメルマガもそうですが)日々の思考を記録しておくと、その時点では「この発想は凄い」「我ながらよくぞ思いついたもの」「受け売りではない、オリジナルコンテンツだ!」などと思っていても半年経ち、一年経ち、さらに数年が経過して、読み返してみると、「なんとまあ、陳腐なコンテンツだなあ」「大したことのない内容を届けるのに力みが入っていたなあ」「この程度のことに感動、感銘を受けていたのか」と赤面する思いになることもしばしばです。
けれども、そういった振り返りが自らの成長を図るバロメーターとなっているようです。
過去のコンテンツを顧みての恥ずかしさがまさに、「是れ知識の上達する徴なり」といえるようにも思われるのです。
そして、そう感じられることが恥ずかしい反面、嬉しくもあり、学ぶ喜びをさらに加速させてくれるもの。
この感覚は自らの思考の定点観測をしているからこそ体感できるものなのでしょう。
そんなことを「講談社現代新書に挟まれていたしおりに記された一節」から考えてみた次第。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史枝氏平成進化論から一部抜粋
http://www.2nd-stage.jp/