メルマガを読んで下さっている方の中で少なくない人が、「で、鮒谷って結局、何の仕事しているの?」と思われているはずです。
なぜそんなことを断言できるかというと、しょっちゅう「鮒谷さんって実際のところ、何屋さんなんですか?」と尋ねられるから。
では、具体的に何をしているのかというと、といいたいところですが、私は、「自分は悪い人ではない」と思いながらも、誰が読んでいるか分からない不特定多数に向けたメディアにおいて、具体的なビジネスモデルを全開示するほどのお人よしでもありません。
やっぱり悪い人なんでしょうね。
それはともかくとして、私は「自分を何屋さん、と規定すること自体が間違っている」、「そんな規定をするから商売が楽しくなくなる」、「そんな規定をするから儲からない」という風に思っています。
具体的にいうと、自分が携わっている職業、職種を「(既に職業として認知されている)○○」と決めた瞬間、発想がそのカテゴリーから越えられなくなるのです。
少々極端かもしれませんが、たとえば「わたしは、いちSE」と決めたとすれば、その瞬間から、
SEの業務に関係あるものは勉強するけれども関係ないものは切り捨てるとか、「わたしは、いち一級建築士」と自己規定したとすれば、その瞬間から建築関連については勉強するけれどもそうでないものには興味を持たないということになりかねません。
そんなことにならないよう私は自分の職業あるいは職種を尋ねられたら「鮒谷です」と答えることにしています。
問うた相手は「いやいやいやいや、名前じゃなくてお仕事ですよ」といわれるわけですが、「だから、名前も仕事も鮒谷です。(鮒谷という名前であり、鮒谷という仕事に就いています)」と答えることにしているのです。
どういうことかというと、「職業とか職種なんか、自分で創造するもの」だと考えているので、もし既存のカテゴリーに適当なものがないのであれば、自分で作るしかありません。
そして好きなこと、没頭できることだけ突き詰めていったなら、その延長線上には「既存の範疇に入りきらない仕事」ばかりを行うことになります。
その仕事にカテゴリーはなく、名称もなく、せっかく新しく名称をつくってもどうせすぐにその名称すら踏み越えていってしまうので、面倒くさくなって、あるときから「自分の職業は鮒谷です」
ということにいたしました。
これなら、どれだけ枠を越えて、仕事がいろんな分野に広がっていっても、「鮒谷という仕事」
をやっているのだから、職業、職種が実際に行なっていることと齟齬をきたすといったこともなくなりますし、発想も広がる一方です。
考えてみたら当たり前の話ですが、昔からの発想に凝り固まり、決まった一つの「職種」という枠に自分の存在を当て込もうとするから、おかしなことになるのです。
歯車的な仕事なのであれば、規定された職種に自分を当て込むということも可能でしょう。
けれども、特にこれからの時代、ひとつの職業の範疇に自己の全存在を押し込めてしまうといった考えは自分の可能性を大きく狭めてしまうことにつながるように思えます。
逆に言えば、自分の強みを最大限に伸ばし、やりたいことをやり尽くし、楽しみ尽くし、そこで得た知識や経験の一切を活用しきれる「職種」に就くことができれば、自分の行動にまったく無駄がなくなります。
過去のメルマガであれば、私はその状態が実現されたことを「エコ化された人生」と呼んできたわけです。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 http://www.2nd-stage.jp/ 平成進化論から一部抜粋