写真撮影のとき、一眼レフカメラではほとんど感じることはないがコンデジなどではタイムラグに悩まされる。
すぐにシャッターが切れないため、どうしてもタイミングが遅れる。
これを予測してシャッターを押さないと、シャッターチャンスを逃すことが多い。
それを利用して、撮影すると、微妙にブレて面白い写真が撮れることもある。
最近のは性能があがったため、中途半端なのだが、レトロなコンデジでは撮りやすい。
そういう写真の撮り方もあるということをある人に教えていただいた。
いずれにしても、写真は何をどう撮るかは自由なのだから、何でもありである。
ただし、それがすべて写真作品になるかどうかはなかなか厳しいところがあるのも間違いない事実だ。
NHKが2012年(平成24年)6月4日の記者発表で概要を明らかにした。宮藤官九郎の脚本によるオリジナルストーリーで、宮藤がNHKで脚本を手がけるのは、連続テレビ小説以外も含め初めて。
ヒロインの天野アキ役に起用されるのは能年玲奈で、同年7月26日に記者会見が開かれて発表された。東京制作の連続テレビ小説では、『つばさ』以来4年ぶりの(すなわち、総合テレビでの放送時間が現在の8:00スタートに変更されて以降初めての)オーディションを実施し、1953人の中から選ばれたもので、能年は初めてのドラマ主演となる。
物語は大きく2部構成で、前半の「故郷編」では、東北地方・三陸海岸にある架空の町・岩手県北三陸市を舞台に、引きこもりがちな東京の女子高生が夏休みに母の故郷である北三陸に行き、祖母の後を追って海女となるが、思いがけないことから人気を得て地元のアイドルとなる姿を描く。後半の「東京編」ではアキが東京に戻り、全国の地元アイドルたちを集めたアイドルグループ「GMT47」(ジーエムティー フォーティセブン)のメンバーとして成長する姿を描く。また第23週からは、現実世界で2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を劇内出来事として扱うという。ドラマタイトルの『あまちゃん』には、「海女ちゃん」の意味と「人生の甘えん坊(甘ちゃん)だったヒロインの成長を描く」という意味が込められているという。
アキ(能年)以外の主要キャストについては、2012年9月6日の記者発表で前半の「故郷編」(第72話以前)の主要キャスト(アキの親族と北三陸の人々)が、翌2013年1月18日の記者発表で後半の「東京編」(第73話以降)の主要キャストが明らかになった。2012年10月18日に岩手県久慈市でクランクイン、翌2013年(平成25年)8月1日にクランクアップした。
※ウィキぺディア(フリー百科事典)から一部抜粋
タイトルの「あまちゃん」は、「海女ちゃん」の意味と「人生の甘えん坊(甘ちゃん)のほかに、もうひとつ「天野」という苗字からくるあだ名として、「天(=あま)ちゃんもありかなぁと思う。
いずれにしても、この3つもかかった「あまちゃん」という朝ドラは久々に、いわゆる社会現象ともなったと思うのは私だけじゃないだろう。
しかし、実際の人生はこの「あまちゃん」程、楽じゃないけれど…。
例えば、AKB48の前身AKIHABARA48の16名でAKB48に残って、卒業するまでがんばったのはわずかに4-5名だったということからもわかる。
当時の他のメンバーはその当時は有望視されていたのだろうけれど、いつの間にか消えて行ったメンバーが多いのだ。もちろん、現AKB48のメンバーも総選挙などの上位以外は、コアなファン以外には一般にわからない子たちばかりなのだから、アイドルの世界もそんなに甘くないのだ。
講演会とかセミナーに行くと、時折、講師の生まれ育ちや育てられた環境について、質問される方がいらっしゃることに気が付きます。
よくある質問ではありますが、実はこの問いほど「聞く者の心構え」を要求するでものはないのではないかとすら私には思えるのです。
このような質問を講師に投げかけると、当然のことながら様々な回答が返ってくるわけですが、どんな答えをもらっても、「この人は~だから、できたんだ」(=そのような履歴を持たない私はできない)と思う心的習慣を身につけてしまっていれば、このような質問をしても意味がないというよりも、むしろ質問すればするほど、有害となるのではないでしょうか。
そうではなく、あくまでこの質問は「自分の未来を切り拓く力をもたらす無数の事例を収拾するため」という感じで行なってみてはどうでしょう。
どのみち私は、その人と能力、性質、生まれ育ちとは全く異なる世界を生きてきたのです。
そんな異なる世界を生きてきた人の話を聞いて、「この人は~という経歴や強みがあったから、できたんだ」(=そのような履歴や得意分野を持たない私にはできない)
と思うのは意味のないこと。
だからこそ、「自分とその人との間にある異なるところ」に注目するのではなく、「自分とその人との間にある共通するところ」に着目してみてはどうでしょう。
たとえば質問を投げかけたとき、「実は私は引っ込み思案だった、おっちょこちょいだった、注意力散漫であった、いじめられていた、貧乏な環境にあった、グレていた、進学に失敗した、落第した、恵まれない家庭環境にあった、病弱であった、左遷された、全財産を失ったわけなのです」的な「不遇の環境にあったり、マイナスの性質をもって生まれたけれども、その環境や性質を克服して、今がある」という事例をたくさん集めるために上述のような質問をしてみるのです。
このようにして自分に近い、当てはまる、関係ありそうな、そんな人の事例から勇気をもらうその目的で質問するのが「正しい質問の投げかけ方&受けとめ方」なのではないでしょうか。
そして、これは講演やセミナーのQAのみならず、インタビュー記事や自伝等を読むときにも同様です。
あくまで我々が質問するのは、「自分が勇気や力をもらうため」であって、「落ち込み、嘆き、やっぱり私はダメなんだ」と思うためではありません。
つまり、こういう質問をする場合には「その人と異なるところではなく、同じところ(とくにマイナスの部分)に着目する」という心的態度をまず確立した上で行うべきものであるでしょう。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏http://www.2nd-stage.jp/平成進化論から一部抜粋
「自分の時間感覚に連動する形で付き合う人が決まってくる」
「自らの時間に対する認識、捉え方が人間関係における引力・斥力を発生させる」
※斥力(せきりょく)とは、互いに反発しあう力
というお話をいたしました。
そして、このようなことを理解したうえで、意図的に、そして確信を持って、「今のコミュニケーションスタイル」を貫いているのであればいいのですが、無自覚に、何も考えず、「今のコミュニケーションスタイル」をとることで、知らぬ間に人間関係に斥力を発生させている(=せっかくの関係性を深められない)ということも往々にしてあるもの、そんなお話もいたしました。
今日は本シリーズの最終回。
もしあなたが、「秒単位で生きている人」(そういう単位で一日を生きている人がいるのかと思われるでしょう。
けれども実際に存在するのです。
百聞は一見にしかず、です。
見ると、接すると、びびります。驚愕します。
(もちろん私じゃないですよ)
※一応のイメージとしては
【今日のお勧めDVD プラダを着た悪魔
(特別編)】
http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000S5K4R6/2ndstagejp-22/ref=nosim
のミランダのような存在を思い浮かべて頂ければ。とか「分単位で生きている人」に対して、関係性を築きたいと思っているのであれば、「時間は無尽蔵にある」的な感覚で接するのは最悪です。
(お付き合いしたいとか思っていないのであれば、もちろん何の問題もありません)
時間を大切にする人にとって、無自覚に時間を奪いとろうとする人と接すると、お金を盗まれるよりも神経質な気分にさせられるもののよう。
ある種の人たちは、何よりも大切な資産が時間だと思っているので、無遠慮にその資産を持っていこうとするものの存在を許せないようなのです。
相手の内的世界を理解できず、しようともせず、自覚なく、(したがって相手の時間を奪いとろうとなど、なんにも思っていないのに、結果として遠慮会釈なく)「しでかしてしまっている」ということが時間を大切にしている人にとって、もっとも嫌われ、忌避されることだったりするのです。
自覚があろうが、あるまいがそんなものは関係ありません。
むしろ、自覚なく「それ」を行なってしまうような人だからこそ、より一層、負の感情を倍加させているということもあるようです。要注意、要注意ですね。
けれども、だからといって、「相手が時間を大切にしている人だから、その人には触れない、近寄らない、遠ざかれ」だと、いつまでたっても、「袖触れ合う」こともなく、それゆえ「胸襟を開く」
こともできなければ、「裃を脱ぐ」ところまで決して到達できないのです。
なかなか難しいものですね(汗)
時間意識の高い人とお付き合いを深めたいと思ったならば、「過剰に遠慮する必要はない」
のだけれども「不躾に時間を奪いに行くこともやってはいけない」という絶妙のバランス感覚が要求されるのです。このバランス感覚は、「然るべき人との距離感」を詰めていこうとする者にとっては必要不可欠の感覚であろうと思います。
「では、どうやったら磨けるのですか?」という質問が出てきそうですが、「私(鮒谷)にも分かりません」というしかありません。
かくいう私も修行中の身だからです(汗)
ただ、ひとつ言えるとすれば、極端に恐れることなく、とにかく飛び込んでは、失敗を繰り返さないと、この感覚を身につけることはできないんだろうなあということくらいは、なんとなく理解できるようになりました。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏http://www.2nd-stage.jp/平成進化論から一部抜粋