まだ新しいパソコンに慣れていないし、不安定この上ないため、使いこなせていないのが実態だ。
そんな訳で今日も携帯からの書き込みになる。
パソコンからもできるとは思うが100KB位の小さいサイズの画像データはさすがにバックアップしていなかったので、たぶんそれが消えてしまったのは痛い。どこかにUSBに残っていないか。探してみるしかないが記憶に無いので、期待は出来そうにない。
画像処理ソフトもまだインストールしていないから画像処理もできない。これはすぐにでもインストールして、小さいサイズの画像データを作らないとダメだ。
まだまだ自由自在に使えないのは残念だ。
徐々に100KB程度の小さい復活させたいものだ。
さて、これは気長にやるしかない。
「言葉によって世界を切り出し、言葉によって世界を切り拓く」というタイトルで、世の中には、
上手に言葉を組み合わせ、楽しく、心地よく、幸せな世界で生きていける人と、うまく言葉を組み合わせることができず、苦しく、辛く、不幸せな世界で生きている人という二種類の人があるようだ、そんなお話をいたしました。
つづけて、いくつかの事例を挙げて、「自由に言葉を紡ぐことによって、自在に自分の心を遊ばせることができる」(言葉を紡げない人は新しい世界に自らを羽ばたかせられない)というお話もいたしました。
語彙を増やし、言葉に対する感性を高め、言葉を上手に組み合わせ、紡ぐことができれば、
「まったく新しい世界」を自らの内に創り出す(そう、文字通り、創り出す)ことができるようになります。
世間に(たとえば)「金持ちだけども不幸な人」もあれば、「貧乏だけども幸せな人」があるとするならば、その差はひとえに、語彙の差であり、言葉に対する感性の差であり、言葉を紡ぎだす能力の差であるというようにすら思えます。
ならば、幸せに生きたいなら、語彙を増やしましょう、言葉に対する感性を磨きましょう、言葉を紡ぎだす能力を高めましょうと(冗談を抜きにして)提唱したいのです。
このそれぞれが一定レベルにまで至れば、取り巻く世界に対する捉え方を自在に変化させることができるようになるでしょう。
こうして自分の置かれている状況についての認識が変われば、自ずから行動も変わることになります。
この行動変化が継続することによって、徐々に外的世界が変わり始めるということもあるでしょう。
繰り返しになりますが、つまるところ、「うまく生きる」ための方法論があるとするならば、語彙を増やしましょう、言葉に対する感性を磨きましょう、言葉を紡ぎだす能力を高めましょうということです。
分かりやすい(=すぐに役立ち、すぐに陳腐化するような)話は一切、行うつもりはありません。限られた時間しかないので、人生において波及効果の高いものから順番にお伝えしたいのです。すぐに使える簡単な知識とかノウハウとかは急がなくても、あとからいくらでも身につけられます。
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋
http://www.2nd-stage.jp/
読まれる文章を書くにはどうしたらいいかと問われることがたまにあります。
大した文章が書けるわけではありませんが、それでも長年、文章を書き続けてきた私(鮒谷)が解の一つとして考えているのは、読みたくなる文章の典型的な形態として、【
文章力 = コンテンツそのもの × 表現力
】の組み合わせから生まれる魅力を持ったもの、といえるのではということ。
ここで「コンテンツそのもの」といっているのは、文中に記されている内容そのもののこと。
言葉を変えれば、「着想」といってもいいかもしれません。
この文章でいうならば、【
文章力 = コンテンツそのもの × 表現力
】という組み合わせを発表している部分が「コンテンツ」「着想」となっているわけです。(ややこしい!?)
では後半の「表現力」とはどういうことでしょう。
コンテンツの中身をいかに人様に分かってもらえるように、けれども陳腐な表現には堕させぬようにと工夫を凝らし、「(ある種の)格調を保った文」としてお届けすることができたとき、その文章は「表現力のある文章」といえるのではないでしょうか。
いずれか一方が欠けても、「読ませる文章」「引き込む文章」にはならないように思われます。
であるならば、良い文章を書こうとすれば、【
コンテンツ × 表現力 】あるいは、【 着想 × 格調
】の両者を満たす文章を書けるように、ということになろうかと思います。
なんてことを書きながら、この文章を読み返してみたところ、着想は陳腐だし、格調の「か」の字も感じられません。
まったくもって、「言うは易く、行うは難し」です。(とほほ)
※セカンドステージ代表 鮒谷周史氏 平成進化論から一部抜粋