めざすところに向かって、努力しているものの、途中、途中で問題が生じるものです。
壁、不測の事態、意(自分の思い)に反する出来事など、色々と起こります。
時には、自分の行った行為が間違いであったとして、そのことについては反省、謝罪するものの、
それは表向きであって『本当は納得していない』ということがあります、
「自分の取ったことは間違っていない」と。
その理由として、「自分」ではなく「相手」(の態度や姿勢)にあることが多くあります、
「あの人が、あ~だから」と。
仮に、事実そうだとしても、相手に解決のカギを持たせている限り、真の解決には至りません。
その人でなく、別の人が、めざす途中の壁や障害となって現れた時、
自分の信念、信条に反する、プライドが許せないと言って、
相手を屈服させようとしても、そして屈服させたとしても、
また別の人が現れます、何人も何度も。
自分の信念、プライド…
心のエネルギーの向け先はどこにするのか?
ゴールなのか? 人(障害物)なのか?
平静な心で考えてみると、自ずと答えは見えてきます。
しかし、それが分かっても出来ないのがこれまた事実です。
ですから、修行ですね、魂を磨く修行。
ゴールをめざしているから、今を大切にする、今の先が未來です。
今を生き続ける、今に真剣に向き合う、これしかありません。
自分のために、その信念もプライドも見直してみる、
これ大事だと思います。
621
壁、不測の事態、意(自分の思い)に反する出来事など、色々と起こります。
時には、自分の行った行為が間違いであったとして、そのことについては反省、謝罪するものの、
それは表向きであって『本当は納得していない』ということがあります、
「自分の取ったことは間違っていない」と。
その理由として、「自分」ではなく「相手」(の態度や姿勢)にあることが多くあります、
「あの人が、あ~だから」と。
仮に、事実そうだとしても、相手に解決のカギを持たせている限り、真の解決には至りません。
その人でなく、別の人が、めざす途中の壁や障害となって現れた時、
自分の信念、信条に反する、プライドが許せないと言って、
相手を屈服させようとしても、そして屈服させたとしても、
また別の人が現れます、何人も何度も。
自分の信念、プライド…
心のエネルギーの向け先はどこにするのか?
ゴールなのか? 人(障害物)なのか?
平静な心で考えてみると、自ずと答えは見えてきます。
しかし、それが分かっても出来ないのがこれまた事実です。
ですから、修行ですね、魂を磨く修行。
ゴールをめざしているから、今を大切にする、今の先が未來です。
今を生き続ける、今に真剣に向き合う、これしかありません。
自分のために、その信念もプライドも見直してみる、
これ大事だと思います。
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