結果は大事です。
しかし、その結果は何で(どのような考え方で)つくりだしたものなのか、
結果を出し続けることができたとしても、いつかは問う時が来ると思います。
「経営者が個人のエゴに負けては困るのです。
私たちは自分の心の中に、良心という自分と、
エゴという自分を同居させていることを認識する
必要があります。
言葉を変えれば、ピュアな真我と、卑しい自我が
同居しているのが我々人間の心なのです。
良心とエゴ、真我と自我が毎日のようにせめぎ合って
いるのが私たちの心です。」
と京セラの稲盛さんが言っています。
どんな自分でありたいのか
その実践の延長線上に「事業を行う」があり、成果に結びつくことを願い、努力する、
逆から見ると、
事業は貢献すること、その貢献へのプロセスで自分(の心)を磨いていく、
いずれにしても、自分を磨くには「場(環境)」が必要です。
その場は自分のためでありますが、同時にそれはエゴのものではあってはならない、
そう意識していないと自我がむくむくと出てきそうです。
肝に銘じるとはこのことなりです。
75
しかし、その結果は何で(どのような考え方で)つくりだしたものなのか、
結果を出し続けることができたとしても、いつかは問う時が来ると思います。
「経営者が個人のエゴに負けては困るのです。
私たちは自分の心の中に、良心という自分と、
エゴという自分を同居させていることを認識する
必要があります。
言葉を変えれば、ピュアな真我と、卑しい自我が
同居しているのが我々人間の心なのです。
良心とエゴ、真我と自我が毎日のようにせめぎ合って
いるのが私たちの心です。」
と京セラの稲盛さんが言っています。
どんな自分でありたいのか
その実践の延長線上に「事業を行う」があり、成果に結びつくことを願い、努力する、
逆から見ると、
事業は貢献すること、その貢献へのプロセスで自分(の心)を磨いていく、
いずれにしても、自分を磨くには「場(環境)」が必要です。
その場は自分のためでありますが、同時にそれはエゴのものではあってはならない、
そう意識していないと自我がむくむくと出てきそうです。
肝に銘じるとはこのことなりです。
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