あけましておめでとうございます。
今年も心意気だけでもこのようにありたいと思い、再掲載いたします。
「吉田松陰北山安世宛書簡安政六年四月七日付
徳川存する内は遂に墨・魯・暗・仏に制せらるゝこと、どれ程に立行べくも計り難し、実に長大息なり。幸に上に明天子あり、深く爰に叡慮を悩されたれども、 □紳衣魚も陋習は幕府より更に甚しく、ただ外夷を近ては神の汚れと申す事計にて、上古の雄図遠略等は少も思召されず、事の成らぬも固より其の所なり。
列藩の諸侯に至ては征夷の鼻息を仰ぐ迄にて何の建明もなし。征夷外夷に降参すれば其の後に従て降参する外に手段なし。独立不覊三千年来の大日本、一朝人の覊縛を受くること血性ある者視るに忍ぶべけんや。那波列翁を起して、フレーヘードを唱へねば腹悶医し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力相応に粉骨砕身すれど一も裨益なし。徒に岸獄に坐するを得るのみ。此の余の所置妄言すれば則ち族矣なれども、
今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」
松蔭が安政の大獄により処刑されたのは安政6年(1859年)10月27日、これはその死の半年前、萩の野山獄にあってこれを書いた。
松蔭は常人なら絶望の淵におかれる状況で、いまだ日本の未来にたいする希望を捨てなかった。実際かれの門下からは高杉晋作などが出て、国家を救済した。
「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。」
憲法改正問題、ロシアや中国とにおける領土問題、対北朝鮮問題、チベット問題、政財官の附着、腐敗等、等、等・・・
「今の政治家も役人も酔人に等しいので、国家を救うすべをもっていない。草莽崛起の人を頼る以外ない。」
「草莽」とはつまり何の地位も身分もないわれわれのこと。「崛起」とは立ち上がること、声を挙げることである。
ことしも宜しく御願いいたします。
今年も心意気だけでもこのようにありたいと思い、再掲載いたします。
「吉田松陰北山安世宛書簡安政六年四月七日付
徳川存する内は遂に墨・魯・暗・仏に制せらるゝこと、どれ程に立行べくも計り難し、実に長大息なり。幸に上に明天子あり、深く爰に叡慮を悩されたれども、 □紳衣魚も陋習は幕府より更に甚しく、ただ外夷を近ては神の汚れと申す事計にて、上古の雄図遠略等は少も思召されず、事の成らぬも固より其の所なり。
列藩の諸侯に至ては征夷の鼻息を仰ぐ迄にて何の建明もなし。征夷外夷に降参すれば其の後に従て降参する外に手段なし。独立不覊三千年来の大日本、一朝人の覊縛を受くること血性ある者視るに忍ぶべけんや。那波列翁を起して、フレーヘードを唱へねば腹悶医し難し。僕固より其の成すべからざるは知れども、昨年以来微力相応に粉骨砕身すれど一も裨益なし。徒に岸獄に坐するを得るのみ。此の余の所置妄言すれば則ち族矣なれども、
今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。されど本藩の恩と天朝の徳とは如何にして忘るゝに方なし。草莽崛起の力を以て、近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を補佐し奉れば、匹夫の諒に負くが如くなれど、神州の大功ある人と云ふべし」
松蔭が安政の大獄により処刑されたのは安政6年(1859年)10月27日、これはその死の半年前、萩の野山獄にあってこれを書いた。
松蔭は常人なら絶望の淵におかれる状況で、いまだ日本の未来にたいする希望を捨てなかった。実際かれの門下からは高杉晋作などが出て、国家を救済した。
「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。」
憲法改正問題、ロシアや中国とにおける領土問題、対北朝鮮問題、チベット問題、政財官の附着、腐敗等、等、等・・・
「今の政治家も役人も酔人に等しいので、国家を救うすべをもっていない。草莽崛起の人を頼る以外ない。」
「草莽」とはつまり何の地位も身分もないわれわれのこと。「崛起」とは立ち上がること、声を挙げることである。
ことしも宜しく御願いいたします。
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