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Runrun日記

~ わがままを控えて一日全う、ひび楽し ~ 団塊世代の独り言
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最近読んだ本ーユリウス・カエサル ルビコン以後(上・中・下)

2016年08月23日 | 本と雑誌


塩野七生 著作 「ローマ人の物語 9~11 ユリウス・カエサル ルビコン以後(上・中・下)」 新潮文庫

「賽は投げられた」と云って、カエサルがルビコン川を渡ると、元老院議員達やポンペイウスは、ローマを捨ててギリシャへ逃げ出してしまいます なんて情けない奴らだ でも、彼らにすれば、仕方ないことだったの? 

紀元前49年~前44年までの話(カエサル50歳~55歳)

カエサルはローマに戻り、取り合えず政治をします。ローマの政治が機能するように戻したその後、ポンペイウス達を懲らしめに廻ります。ポンペイウス派の討伐と合わせて、ローマの地中海世界の安定化を目的としていたのですね。

ギリシャのファルサルスでポンペイウスとの会戦に挑み、ポンペイウスの軍を打ち破ります。敗れたポンペイウスはエジプトに逃げます。エジプトでは、クレオパトラと弟王派とが内乱中で、ポンペイウスは、弟王派に殺されてしまいます。以前読んだクレオパトラの小説と繋がりますね。

カエサルは、エジプトでクレオパトラと出会い、クレオパトラと愛人関係となります。クレオパトラを助け?エジプトの内紛を片付けます。クレオパトラは、カエサルは自分の事を思ってくれる人だと勘違いしますが、カエサルは、ローマの政治が大事だったのですよね。クレオパトラとの蜜月休暇を過ごした後、シリア⇒小アジア⇒ギリシャ⇒北アフリカ⇒スペインと、ポンペイウス派の残党の討伐・ローマの勢力圏内の国々を治めていきます。

カエサルは、どのようなローマを目指していたのでしょうか。

建国時のローマは、王政でしたが、暴君が現れて、その独裁政治を回避する為に共和政に移行しました。その後、ローマの元老院議員達は、王政に対して強いアレルギー反応を示すのですよね。政治は、一人の独裁者に任すのでなく、複数の元老院議員による寡頭政治でなければならないという、強い意志!!
しかし、ローマ社会が地中海エリア全域に及ぶようになると、寡頭政治が上手く機能しなくなります。
平民と貴族階級の貧富の格差が大きく成り、「改善を求める民衆派」対「既得権を維持しようとする元老院派(貴族派)」の対立が強くなります。

元老院派の貴族達は、イタリア半島内に住む市民のみを代表するローマを考えていたのでしょうか。カエサルは制覇した地中海世界のすべての属州、同盟国の市民までも平等としたグローバルな社会を考えていた?

カエサルは、無期限の独裁官となりました。元老院と市民集会を無力化させます。帝政を目指していた???
次々と改革を行い、ローマに平和が訪れようとしていたのに、紀元前44年3月15日、カエサルは暗殺されてしまいます。
カエサルが王になるのではと恐れた集団がこの暴挙を実行します。

紀元前44年3月15日~前30年まで

暗殺者達は、暗殺後何をするかを、少しも考えずに暴挙に及んでしまったのだろうか? 市民たちの反発に恐れをなして逃げ出してしまいます。
ここから先の物語は、シェイクスピアが書いたローマ劇なんかで有名なんだよね。私は知らなかったけど(悲)

カエサルは遺書で、遺産はオクタヴィアヌスに残すと書いてあった。しかし、執政官だったアントニウスは、野望を持ちます。
結局、元老院派は粛清されて、オクタヴィアヌスとアントニウスとの権力闘争となって行く。
以前、クレオパトラの小説でも読んだけど、シェイクスピアも関心を示した、劇場型の展開になるのだよね。
政治的の能力の弱いアントニウスは、クレオパトラに踊らされてしまったのだろうか。
アントニウスとクレオパトラの連合軍は、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れてしまいます。
アントニウスとクレオパトラの野望は幕を閉じ、プトレマイオス王朝は滅亡します。

これで、ローマは平和を迎えるのでしょうか・・・

この小説のお気に入り度: ★★★☆☆

ジョギングメモ August 2016

2016年08月22日 | スポーツ・ジョギング
今月のジョギング目標は ゆっくり のんびり 頑張らず
月間走行距離の目標は、70キロ前後
August 2016
天気気温
Start
時間
距離
km
時間速度
分/km
お楽しみ内容
1日(月)23.9℃5:556.039'39"6'36"6キロジョギング(相生山⇒公園)
3日(水)25.0℃5:506.038'01"6'20"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
5日(金)25.4℃5:506.037'12"6'12"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
8日(月)25.6℃5:556.037'34"6'16"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
10日(水)24.7℃6:006.037'53"6'19"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
12日(金)25.7℃5:506.036'07"6'01"6キロ快適ペース(公園周回)
15日(月)26.0℃6:006.038'50"6'28"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
17日(水)26.2℃6:006.036'46"6'08"6キロ快適ペース(公園周回)
22日(月)26.4℃5:556.038'10"6'22"6キロ快適ペース(相生山⇒公園)
54.05:40'12"6'18"

エジプトの青!

2016年08月16日 | 散歩道


テレビで、オリンピックで予選敗退した選手がインタビューを受けていた。インタビュアーは期待する言葉が有るようで、何やら変に誘導していた?

なんか嫌だなあ~って思っていたら、妻が「○○区役所の近くの××へ行くけど、行く?」って聞いてきた。
なにそれ?博物館?えっつ、カレースープの店?付いて行かないと、昼飯食べそびれるんじゃなぁい?

慌ててお出かけの支度をして、車に乗せてもらって出かけた。
カレースープの店はお休みで、結局お気に入りでないレストランで昼食を食べた。

食べ終えたら、妻「○○区役所の傍の博物館に行こうか?」
私「行ってもいいけど、心の準備が出来ていないよ!!!!」

ポンペイ壁画展

紀元79年にヴェスヴィオ火山が噴火した時、火砕流でポンペイの街は埋没したらしい。
純ローマ風の街で、発掘された遺跡から美しい壁画が出てきたとか?

今ローマの小説を読んでいる。紀元前50年前後のローマ。カエサルがポンペイウス派を滅ぼし、クレオパトラと出会った。
エジプトはローマの属州となり、エジプト文明もローマに入って行くのだよね。
元々ローマの各都市は、ギリシャ人が植民して作った都市と聞くから、ローマの文化は、ギリシャ文化そのものだったのかも知れない。

今日見た、壁画展。
エジプトの青を使った天井画とか、それからギリシャ神話の英雄たちの美しい壁画とか、素晴らしかった。

・・・
もう一度、心の準備?をして性根を入れて、観に行かないと。

シチリアーノは舞曲のひとつ

2016年08月14日 | 好きな音楽


昨夜は、友人たちと音楽を聴きに行ってきました
今年のモントリオール国際音楽コンクールで一位入賞した、辻彩奈(つじあやな)さんのヴァイオリンリサイタル。
少し、音楽通ぶった友人の弁によれば、「若くって、勢いがあっていいね!」
ベテランヴァイオリニスト達のコンサートは、加齢華麗なのだそうだ。
演目は、モントリオールで演奏した曲が中心だったようで、私はパガニーニの「24のカプリース21番
、アンコールで演奏した、パラディスの「シチリア―ノ」がお気に入りだった。
シチリアーノは舞曲のひとつらしい、今ローマの小説を読んでいるけど、シチリア島の曲じゃないの?

最近の私は、オリンピックでテレビの前に括り付けにされています。
水泳も終わって、ひと段落。今日は妻とダンスに行ってきました。

近くの区役所支所にある体育室で、社交ダンス愛好家たちが主催するダンスパーティが開かれていて、先週そこに行ったら、そのパーティーの世話をしている人が、なんと私の小中学校の時の同級生だった!!!
ダンスの講師をしていたそうで、今日は、妻を上手に踊らしてくれた。
戸惑う妻!それを見ていて笑える私!

もう少し、涼しくなるといい。


最近読んだ本ーユリウス・カエサル ルビコン以前(中・下)

2016年08月10日 | 本と雑誌


塩野七生 著作 「ローマ人の物語 9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前(中・下)」 新潮文庫

紀元前60年~前49年1月、カエサル40歳から50歳までの話。カエサル40にして起つ?

元老院を中心とする寡頭政治は、行き詰っていた。元老院階級は動脈硬化を起こし、統治領域が拡大してしまったローマには、対応できなくなっていた。あくまでも、元老院主導による寡頭体制を維持しようとする元老院派と、それを改革しようとするカエサルは対立していました。

カエサルは、オリエント制覇で名をあげたポンペイウスと、カエサルの資金源だったクラックスの協力を得て、執政官に立候補、当選を果たします。カエサル、ポンペイウス、クラックスによる「三頭政治」の開始です。カエサルは、元老院派を抑え込み、農地改革など、今までできなかった民衆派的な改革を次々と実行していきます。

ところが、執政官の任期は一年なんだよね。カエサルは、一年の執政官を務めた後、ガリア属州の総督になります。
カエサルは、ガリア属州からローマの「三頭政治」を遠隔操作することになります。はじめはうまくいっていたのですが・・・

この巻のポイントは、「三頭政治」の成り行きと、カエサルによる「ガリア戦役」と云う事ですね!

ガリアとは、北イタリアと、今のフランス辺りの地域に住む民族で、ライン川以東に住む民族はゲルマン民族だそうです。ゲルマン人が住む所は、気候が厳しく住み難かった。それで暖かで豊かな地域に移り住もうとしたのですね。ガリア人に住む地域を圧迫し、圧迫された人たちは難民となって、さらに西に南に流れ出します。難民問題は、今のヨーロッパと似ていますね。今のスイス辺りから流れ出た難民達が、カエサルの統治する属州を通過させて欲しいと云ってきました。カエサルはこれを拒否、軍事力でもって押し返します。

最初は、ガリア人を守るのが目的だったのじゃないの?
一旦兵を出すと、今のフランス・ベルギー・オランダ辺りのガリア人が住む地域を制覇、ローマ化を目指します。ガリア人はいい迷惑だよね。平和に過ごしていたのに、なんでローマの人達の言いなりにならなきゃならないんだ!? 人質を出して恭順しなければ、殺されるか奴隷にされてしまう・・・?
文明の差は、明らかなんだね。ガリア人とローマ人が戦えば、ガリア人は10倍の兵力を持ってしても、ローマには勝てない(悲)。カエサルは、イギリスまでいって戦います。なんでそこまで行く必要があるのだ。アレキサンドロスと一緒で、ただ冒険したいだけ? でも、ライン川の東には手を出さなかった。ライン川の東は森が深くて、其処に逃げ込んだゲルマン人達までは対処できなかった?

カエサルの功績の一つは、このガリア戦役により、ヨーロッパのローマ化、文明化に寄与した事ですかね。そして「ガリア戦記」を書いて歴史を後世に残したこと!! イギリスには、商人もつれて渡ったというから、文明は一挙に進んだのだろう。

紀元前53年頃になると、大きな問題が発生します。
「三頭政治」の一人、クラックスがオリエントの地でパルティアに敗れ戦死してしまいます。
ポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが死んで、ポンペイウスとカエサルを繋いでいた絆が外れます。
紀元前52年、カエサルによって抑えられていた、中部ガリア(今のフランス)の人達が一斉に蜂起します。
ガリアの蜂起は当然と云えば当然!

ガリア戦役は、アレシアと云う所で最後の攻防戦が行われたようです。アレシアの高地にガリアの兵8万が籠り、それをカエサルの5万の兵が取り囲みます。さらにその外側から、ガリア各地から来たガリア兵25万人が襲い掛かるという図式だったようです。な、なんと、カエサルが勝ってしまいます!

ガリア戦役の当時、ガリア全域の人口は1200万前後だったそうです。8年間のガリア戦役で100万人が殺され、100万人が奴隷にされたそうです。
その後、ガリア民族は従順にローマに従い、ローマ帝国の時代になっても、二度と反旗を翻すことは無かったとか。文明に馴染んでしまえば、自由だとか自治だとかいって騒ぎ立てるより、楽なのかも知れませんね。

さて「三頭政治」成り行きは? ポンペイウスは元老院側に引き込まれてしまっていました。元老院では、カエサル憎しの人ばかりです。ガリア戦役が終わってカエサルが戻って来て、また反元老院の政治をするようでは困ります!
ローマの法では、属州総督が任を解かれてローマに戻るときは、属州とイタリアとの境界、カエサルの場合は、北イタリアのルビコン川を渡る前に兵を解散しなければなりません。カエサルは、安易に兵も待たずにローマに戻れば殺されてしまいます。ローマでは、カエサルの手足になってく働く護民官(アントニウス?)が現れて、政治的な解決を画策しますが、うまくいきません。

ついに元老院はカエサルに対する「元老院最終勧告(非常事態宣言)」を発出し、ポンペイウスに兵を結成させ、カエサルを倒すように命令します。
政治的な解決を望み、法を犯すことはしたくなかったカエサルですが、ついに兵をつれたまま、ルビコン川を渡ります。
「賽は投げられた!」というのが、ルビコン川を渡るときの名文句で、ことわざにもなっている?
内戦の始まりです。

この小説のお気に入り度:★★★☆☆