黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

同潤会三ノ輪アパート #04

2010-06-26 04:26:02 | ・同潤会アパート
シリーズでお送りしている同潤会三ノ輪アパートです。



ストッパーがすべて外れた階段や、
丸みを帯びた木製の手摺、錆び付いた手摺の足等から、
三ノ輪アパートが積み重ねてきた時間の長さを感じます。





三ノ輪アパートの老朽化が特に激しかったのは、
前大戦時に戦火に包まれたためといわれていますが、
逆を言えばよく残ったものだと思います。





4階建ての4階部分は独身者のための部屋でした。
三ノ輪アパート #02の2番目の画像に見えるように、
4階部分は張り出しの構造になっていますが、
この構造を造ったのも同潤会が最初といわれています。




4階の部屋の玄関部分。かなり狭いですね。
三ノ輪アパートは同潤会の中では規模が小さく、
児童公園や共同風呂などといった施設もありませんが、
それでも当時は申し込み倍率が10倍強あったそうです。
いわゆる「最先端の住宅」として、
人々に受け入れられたんではないでしょうか。



畳敷き4畳半の部屋は、
部屋の隅の四角い出っ張りがなければ、
木造アパートの一室と言われても納得する造りで、
80年という時間の距離を感じます。



関東大震災の後の1924年(大正13年)、
震災に耐えうる鉄筋アパートの建設を目的に、
当時の内務省によって設立された同潤会は、
単に丈夫なアパートを建設するだけではなく、
家族と独身の混住や街造りを視野に入れたアパート造りを通して、
新しい大衆社会を造ろうとしたんだと思います。

また一つ、
集合住宅の原点がなくなってしまったことは、
とても残念です。



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