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全国有志医師の会ニュースレターNO68より転載・・・医師として看過できなかった想い・・

2024-07-11 21:09:25 | ワクチン関係

有志医師の会のニュースレターが届きました。

その中に、木村哲治医師の寄稿文がありました。頷きつつ、拝見しました。

私は、ワクチン摂取が始まってから、どうもお医者さんへの不信が募っていまして、受診しないで、たいていの不調は自分で治してます。

ちなみに受診は

足の捻挫(整形外科)、眼底定期検査(眼科)耳垢とり(耳鼻科)以外は2,020年の夏以降受診していません。

保険料はそれなりにとられていますが。

今後も受診しないですね、多分。

それで、木村医師は2回接種されたようです。(2回の方は多い)

しかし、気がつかれた、そして、医師として同業者に失望した、不信をもたれたというところがあって・・そうなんだねえ・・それもまた、きつい話だなあ。と思いました。

しかし、こういう誠実な医師が増えれば、現状も変わるのでしょうが、目覚めを待つしか無いのか。

しかし、目覚めても、欲がある限り目覚めないふりできるしねえ。

・・・・・・とりあえず転載です、うなずけるところとか、そうだったんだ、と思うところ多いはず・・・・・

 

 

2)医師として看過できなかった想い ~私がここにいる理由~木村哲治医師

 

◆はじめに

私がここにいる理由それは、「医師の端くれとして看過できなかったから」

ただそれだけである。

それだけで充分だと思っている。私は専門が美容形成・各種レーザー治療のため、多くの諸先生方と違い実際にコロナ関連の臨床に携わることはない。しかし傍観者でい続けることができなかったのである。それほどまでに医療そして社会全体は酷い状況となり、今なおそれは日本を蝕み続けている。

医師とはいえど直接関わることがほぼない自分のような人間が何を思ったのか、そして改めて今何を思うのか。僭越ながらこれまでを振り返りつつ記してみたいと思う。学術的な要素は微塵もない個人的な雑感ゆえ、とりとめのない内容になるが何とぞご容赦願いたい。

 

◆それは始まった

2019年末~2020年にかけての頃だっただろうか?未知の肺炎(呼吸器系疾患)が中国で発生し流行の兆しをみせていると初めてニュースで知ったのは。しかしこの時は大して気にも留めず、毎度の如くマスコミは騒ぐだけ騒いだ後はまるでブームが去ったかのように静まり返り、それとともに世間もすっかり忘れるのであろうと思っていた。まさかこの読みが完全に外れることになろうとは想像だにしなかった。

 

2020年に入るとこの未知なる疾患は更に世界的流行を見せ拡大の一途を辿っていった。その後通常開発に10年はかかるというこれまでの常識を覆す速さでワクチンが誕生した。そして当初日本は例外的に患者数が非常に少なかったにも関わらず医療従事者からの接種が開始された。mRNAワクチンというこれまでにない新たなタイプであるがゆえに過去の臨床使用実績はなく、当然気乗りはしなかったがこれは医師の社会的使命なのだと思ったのである。少々格好つけ過ぎだが本気でそう思ったのである。未知の疾患に未知のワクチン。誰しもが不安になって当然だった。

 

しかしまず自分たちが接種して安全であることを周囲に示すことが公衆衛生に寄与するのだとの想いから2021年5月13日に1回目を、6月3日に2回目を接種したのである。ちなみにファイザー社製のコミナティ筋注(ロット番号EX3617)であった。

 

医療従事者の間では接種後の副作用に関しても既に様々な経験談が聞こえてきていた。自身はどうだったかというと、1回目の接種後は何事もなかったが、2回目の翌日は全身の痛みが強くベッドから起き上がるのも一苦労だった。冬場の大雪でも休診にしたことはなかったが、この時ばかりは身体が動かず止むなく臨時休診にせねばならないほどであった。しかしワクチンに対して特別悪い感情は抱かず、「そんなこともあるよな」という感じだった。

 

当初2回の接種で充分といった調子で語られていたはずが、いつの間にか3回目接種の話が出てきた。「ん?まだ打つのか?」「ブレイクスルー感染?それって効いてないだけなんじゃないの?」など色々と思うところがあった。私が2回以上接種しなかった理由はワクチンの中身がどうこうというよりも、いわゆる風邪症候群の原因ウイルス相手にワクチンなどそもそも無意味であることと、自らが経験したような副作用に耐えてまで接種するほどの価値はないと判断したためであった。

 

その後次々とワクチンの危険性が明るみになってきたが情報は玉石混交であり、専門外の自分は「本当のところは作った人にしか分からないよな」と思っていた。それよりも大きな疑問を持ったのは政府をはじめとした世の中の動きに対してであった。

 

◆疑念から確信へ

予防接種はその名の通り予防医療である。従ってその対象には基礎疾患を有する人だけでなく健常人も含まれるわけである。故にその実施にあたってはより一層の慎重さが求められてしかるべきである。「リスクよりもベネフィットが上回る云々」という理屈が成立するのは何らかの治療行為においてであり、更なる厳しい眼で見るべき予防医療には必ずしも当てはまらないと思うのである。

 

ところが現実はどうだっただろうか?ワクチン接種との因果関係が否定できない被害が確認されても接種の一時的休止すら行われず、それどころか接種対象範囲を拡大するという真逆の行動がとられたのである。しかもワクチンこそが正解なのだと言わんばかりの方針がとられたのである。こんな不健全なことはない。今にして思えば俗にいうコロナ禍には多分に政治的思惑が関与しているわけで、普通のことを言っているだけでストップするはずなどなかったのである。そしてこのブレーキの壊れたダンプカーは今なお接種推進街道を爆走中である。

 

当時ウイルス以上に厄介なものが社会に蔓延したことを覚えておられるだろうか。同調圧力である。これにより大人から子供まで人間らしい暮らしがことごとく破壊されていった。感染対策の名のもとに机上の空論をそのまま具現化したような数々の措置がとられたが、これに異を唱える医師のあまりの少なさに驚きと憤りを禁じ得なかった。大切にせよと我々が教えられた個人のQOLを我々はいともたやすく犠牲にしたのである。

ことあるごとに金科玉条の如く言われた「接種はあくまで任意である」という言葉が真に意味するところは「接種は自由ですよ。でも接種しなかった人は○○できませんよ」という実に卑怯な非接種者差別だったのである。一体これのどこが任意なのか?まやかしの任意である。百歩譲ってただ任意風なだけではないか。

 

こうした現実を見せつけられるうちに私の中で疑念は次第に確信に変わっていったのである。こんなデタラメな状況の中で接種が推奨されるワクチンを信じろと言われて、「はい」と言えるわけがないのが正常な感覚だと思うのだが?

 

◆現実に失望

そしてこれは同時に医師である自分が医師を信じられなくなった時でもあった。

同業者に失望したのである。自分が信じてきたものは何だったんだ?

そして社会は一変した。ワクチン!マスク!集まるな!離れろ!外出するな!黙って食え!、、、枚挙に遑(いとま)がない。テレビは連日不要不急の外出は控えろと呼びかけた。私はこの言葉が大嫌いだ。不要不急とは誰が決めているのか?なぜそんなに上から言える?失礼ではないか?他人から見て不要不急に思えることがあるから人生は豊かなものになるのである。

 

話を戻そう。

 

このままではダメだ。間違っている。新しい日常?こんなことを続けていけば人として大切なものまで失ってしまうという危機感が沸き起こってきた。けれど自分の周囲に同様の考えを持つ医師はいなかった。それだけの犠牲を払ってしかるべき恐怖の伝染病が本当に大流行しているのか?そんなわけはない。コロナなんか軽視しろと言うのではない。コロナだけを特別視するなと言っているのである。こう言うとほぼ必ず「コロナは普通の風邪ではない」といった趣旨のことを言われた。

 

は?普通の風邪って何ですか?風邪に普通も何もないでしょ。話にならなかった。考えを共有することはおろか、この現状に対する何気ない会話ですら一向に深まることはなかった。日増しに深まっていったのは反対の見解を持つ医師たちとの溝だけであった。

 

◆エビデンス至上主義の害

我々のようなスタンスを取る医師は反ワクと十把一絡げに語られがちだが、そんな短絡的な分類はやめていただきたい。反ワクという呼称は実に失礼なもので、単に反対側の(異なる)見解を有しているというだけのことなのに、反〇〇というとまるでそれが悪いこと・間違っていることのような印象を与えてしまう。「エビデンスがない」で打ち切ってしまっては新たな道なんて開けるはずがない。そもそも大規模な人へのmRNAワクチン接種自体が人類初なのだからエビデンスなんかあるわけないのである。今まさに暗中模索していることの積み重ねがいずれエビデンスになるのである。

 

◆社会はもとに戻れたのか?

あれから世の中は変わったのだろうか?マスクひとつとっても未だに多くの人が着けている。勿論色々な健康事情の人もおられることは百も承知である。にしても、である。この寄稿文を書いているのは2024年の7月である。マスク姿で道を行きかう人々にこう言ってあげたい。「この蒸し暑い中マスクをして外を歩けるくらいなら充分に身体は強いので心配しなくていいですよ」と。

結局コロナパンデミックは「プランデミック」だったことが確実視されるに至ったわけだが、世間では一般的にこれを陰謀論と呼んでいるようだ。俯瞰的に物事を捉えずに個々の事象だけに目を奪われていては確かにそうなるであろう。ここで政治的なことを書くのは本会の趣旨から逸脱するので控えるべきだが、全ては政治と繋がっている以上そうした視点も忘れずにいなくてはならない。

 

世界一ワクチンを接種し、世界一多くの感染者を出し、そして今度は世界初のレプリコンワクチンの接種が待ち構えている。全く笑えないたちの悪いコントである。しかし先のマスクの件ではないが、人々のマインドも含めて未だこんな状況では、きっかけさえあればいとも簡単にあの時に逆戻りしてしまうだろう。いや、新型インフルエンザ等対策政府行動計画が閣議決定された今となっては、あの時よりも状況は悪いかもしれない。そう遠くないうちにまた同じことが繰り返されようとしている不穏な空気をひしひしと感じる。杞憂であって欲しいが、、、

 

その時ワクチン推進派の先生方はまたも反対の立場をとる者達を嘲笑するのだろうか?もし4~5年前のあの時の台詞をコピペしたようなコメントを平然とするなら、申し訳ないが医師として以前に人として大事な部分が決定的に欠けているのではないかとさえ思う。

 

◆未来は決まったわけではない

特定の人物の名前を出して申し訳ないが特に他意はないのでご了承願いたい。大阪府泉大津市の南出賢一市長がある質問に答えておられた時の言葉が心に残っている。おぼろげながらではあるが、既存の枠にとらわれないその仕事ぶりの原動力は何なのか?という趣旨の質問だったように記憶している。

 

それに対する南出市長の答えは「最も必要なのは信念です」であった。

 

最後は精神論になってしまったが、精神は行動の源泉である。この路を行くには信念・勇気・仲間が必要不可欠。我々はそれらと共に歩みを続けていくのみである。

 

全国有志医師の会

医師 木村 哲治

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上転載終わり・・・・・・・

そう、未来は未定。作るのは私たち。

レプリコンに絶望している私がいるが・・しかし、生きていくしかない、自分の信じるところにしたがって、日々を大切にしつつ。

★以下の数字、同じくニュースレターからです。

数は増えています。報道はされませんが。

 

3.新型コロナワクチン接種による予防接種健康被害救済状況と副反応疑い報告件数

 

◆新型コロナワクチン接種による予防接種健康被害救済状況(7月5日現在)

【累積件数】

・累計進達受理件数 進達受理件数 11,503件 (未審査 1,834件)

認定 7,685件 否認 1,969件  保留 59件

 

【死亡一時金または葬祭料に係る件数】

累進進達受理件数 1,412件  (未審査 451件)

認定 705件 否認 251件  保留 5件

 

【障害年金】

累進進達受理件数  563件  (未審査 313件)

認定 85件 否認 165件  

 

【障害児養育年金】

累進進達受理件数  17件 (未審査 11件)

認定 1件 否認 3件  

https://my159p.com/l/m/1fpbelWXgdYrLB

 

◆副反応疑い報告件数(2024年1月28日報告分) 2024年4月15日以降更新なし

・死亡者:2,193人

・副反応報告者数:37,051人 

・重篤者数:8,988人

https://my159p.com/l/m/0qzs4rsUMFulJt

 

 


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