Xで見つけた書き込みです。
うん、そうだね・・・と眺めていたのですが、この逆の行動をそれぞれが意識してやればいいんだと気がついた。
ま、けっこうやっていますが。
第1位
財政破綻論の嘘、今や、森永卓郎さんの命をかけた活動のおかげで、かなりの方々がこの辺りに気がつき始めている。
それで財務省解体のデモになっているわけだ。
この行動に対する賛同をする・・行ける人は自分もデモに参加(歩くだけでもいい)
デモに行けない人は、署名運動やSNSで拡散支援をする。
緊縮財政30年で日本は貧困化し、もはや荒れ地になろうとしている。
第2位 自己責任論
これも一見『正義』のように見えるが、ケースバイケースだろう。
政治家が「責任」を取らなくなったのは、だれからかな・・・森さん?
ま、それをいいことに石破総理は昨年の選挙で大敗したときに責任とって辞めなかった。しかし、もはや、継続でよい、自民党が消えるためのキーパーソンになっているから。ただいろいろと、例の岩屋と一緒になって手遅れになりそうなことを次々とやらかすのでヤバいが。
それから、この考え・・・自己責任論・・・の延長線上には公助では無くて自助(努力)って流れがある、それは福祉サービスの低下や、廃止につながる。高額医療費費問題もこの延長線上にある、と私は考える。
だから、都合の悪い時は責任取らない政治家達、国民に不幸になる何かを押しつけるときはこの論理を使うってこと。
これは、断固拒否で発言すべし。
子ども食堂もそうです、本来政府が動くべきことなのに・・・何もしない、海外の子供に支援はしてもね。これも自己責任原理の延長でしょ。
第3位 新自由主義(株主至上主義)
今だけ、金だけ、自分だけ、に直結している。
死ぬときにナニを持って行けるのか、決して死んで真っ暗闇の彼方へ私どもは消滅するわけでは無い。
人間は魂の生き物だって教育が必要。
これは、それぞれ家庭でできること。
拾ったお金をネコババして、欲しかった物が買えた『喜び』と,バスで、お体の不自由な方に席を譲ったときの『恥ずかしいような満足のような喜び』の質の違いを話し合い、考えて言語化するとよく分かる。(と思う)
どちらが自分の魂が満足し、喜んでいるのか。感じますよね?
例のパソナの竹中平蔵(李平蔵)氏は、大阪万博で巨額の中抜きに関わっているというのがもっぱらの噂(彼の兄もそうらしい)だが、このお方、東京五輪の時もしてたけど。どれだけポッポにmoneyを入れたが気が安まるんだろうか。非正規用はいまや40%越えらしいが、その発端を小泉内閣のときに作った人、それで、今は自分、派遣事業で儲けているわけ。
私は、竹中氏の魂は無間地獄をさまようと確信している。
第4位 我慢は美徳
美徳じゃないし。
今財務省解体デモで声を上げはじめている人達は、『美徳』を捨てた、いいことだ。
捨てても、大丈夫。消えるわけでは無い。
必要なときは己のうちによみがえる。
第5位 政治の話はタブー
私、社会常識として、政治と宗教の話題はいけない、大丈夫なのはお天気の話って言われていました。
ま、まっとうな時代なら、これも在りです。間違ってはいない。
しかし、今はしましょう。
私は,もう原信の有人レジでしてますわ、JAの産直でも。
例「この○○、1年前は158円だったのに、今200円超えたよ、ホントに今に食べられなくなるわ。もう政治を変えないとダメだわ、とりあえず消費税なしで行かないと。それでも日本は動くよ、むしろ、景気はよくなる」
とか。最近、景気よくなるんですか?と乗ってくるレジさんもいて。
『そうだよ、消費税分は財務省は減収って言うけど、それは逆に考えれば国民の懐にあるってことで、それ、みんなは使うよ、、だってもうみんな節約に飽き飽きしているホントはね、.彼らの減収は国民の増」
なるほどってうなずいてもらえる(^_^)
塾生にも、選挙権は放棄しない、行くんだよ、行かないとその権利も失うよ。
行って投票するために政治や世の中をしっかり見つめること、自分で考えること.
友人とか親と話し合ってもいい。
と、もう口を酸っぱくして言っている。
時々、マスメディアに乗らないニュースも解説する。
友人が言っていた「全国の塾で,先生がちょこっとそういう話をしてくれるだけで、世の中は変わっていくかも」と。
うん、確かに。
タブーじゃ無い、ってことを話だけでもいい、変わる糸口になる。
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結論
政府の言い出すことや、やれと言うことの逆を行くのが正しい。
今まで自分の常識を点検してみること。
自分ができることをやること
祈る(合掌してよい「念」を自分の脳波の波動として出すこと)
やれること・・・デモに行く、署名する、人に話す、SNSでの拡散等々・・やりましょ。
自分の日常を日々丁寧に生きつつ、感謝。
などなど
自分にできることなんてないと思わないで、やりましょ、行きましょ。
今年、いろいろと劇的に変わらないと子ども達に未来を残すことが難しくなる。(と思う)
一人一人に意識を変えることで、世の空気は変化していく,その一翼をちびっと担うこと。