本日 2022年2月22日・・・ニャン・ニャンニャン・ニャン・ニャンニャン
の日でございます。
猫にちなみの記事を書いてみました。(^_^)
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2020年4月19日だったか18日の深夜2時過ぎ。私の足元で寝ていた愛猫チヨが突如、起き出すと「にゃあ にゃあ」と鳴きながら、玄関へ走った。
地方都市の真ん中ではあるが、夜は人気のなくなる地域に住んでいるので「怪しいモノでも来たのか」と、いざとなれば110番とスマホを握りしめてチヨを追った。玄関ドアのあたりで鳴いているので、そっとカーテンのすきまからのぞくが・・誰もいないし、何もない。
「チヨちゃん、どうしたの?」
今度は、鳴きながら、リビングへ・・ちっこい我が家はリビングの真ん中にキャットタワー代わりに木製のらせん階段(人も使える)がある。そこをタッタッと上り出す。
そうして2階部屋の猫ドアをくぐって、今度は人間用の階段をタタタとおりて、またリビングへ。そうして、また螺旋階段から2階へ。
猫のために造った小さな我が家、回遊できるようになっているのだが、チヨは鳴きながら、それを2回まわった。
そのあと、また玄関へ。その後、ピタリと鳴き止むと訳が分からずリビングに立ち尽くしていた私の足元へ来てすりすりを始めた。
「チヨちゃん、どういうこと?」
と訊くも返答はなし。
チヨに何か睨まれている下僕です・・・眼力強し
翌朝。
霊感系の友人からメールが来た。
「昨夜、○夫さん、きたでしょ」
○夫は3月に早世した弟だった。49日前で「霊魂、いまだこの世に留まる」といわれている時期。
そうか!と叫んでしまった。
深夜2時の怪事は、霊の弟が訪ねてきたんだ。
○夫は、子どもの頃に発症した病気が原因で、療養の一生を過ごした、といってもいい。果敢に病と闘って旅だった。
生前、猫のために新築した小さな家に施設にいた弟を2回連れて来ていた。しかし、車椅子なので、2階は上れなかった。彼は2階を見物に来たんだ。猫が好きだったし、チヨの様子も見に来たのだろう。彼が大好きだったもう1匹の猫、イッサは旅だってしまっていなかった。でも、もしかしたら、あの世で再会しているかも、だ。
チヨは,深夜に訪問した○夫を感知して(見えていたんだろう)追いかけた。
合点、納得。
「チヨ、○夫がきたんだね?」
チヨは、鳴かないで私をじっと見た。
・・こういう時、ネコ語を話したいと思う・・・
猫の霊感すごし。
猫はやっぱりただならぬ生き物だ。
このすばらしき霊感は猫の生きる力、これと、しなやかな進化で彼らは生き延びてきている。エジプト文明の頃から、人間に神とあがめられていたのは、当然だ。
旅立ってしまったイッサといっしょのチヨちゃん
一方、ヒトは・・・
ヒトも似たような力はあったはずだと思う。
ラスコーの壁画の動物を描いた壁画は、狩をする前に獲物を呪術によっておびき寄せる儀式をした場所だという説がある。ウルル(エアーズ・ロック)でも、同じような壁画を見た。本当は霊長類ヒト科には、猫族以上の霊感や、直感があるはずだ。
しかし、今やほぼ失ったかに見える。
物質文明の進展と共に,ヒトはそうとうに鈍感になったのではないか。猫たちはその身1つの進化にサバイバルを賭けたが、人間は「身体」ではなくて、ブツ(物)の進化発展に賭けた。自分たちが造りだした便利な品々やシステムが自分たちを守ってくれるはずと信じた。信じている。ドラえもんのポケットに期待するのび太くんだ。
IT機器や最新の薬、管理された快適な環境や情報が「私」を守ってくれる。
という幻想にどっぷりとつかって生き物として最大の武器である直感力や直感知を喪失しつつある、今。
生き物として、「身体の声」に耳を傾けたほうがいい時ではないか。
か弱い生き物であるヒトがここまで生き延びてきた「力・・免疫の力」を信じて、大事にすることを考えるときだろうと感じている。
そして
呼び覚ませ! 直感力、直感知。そして霊感!
ありがとう、チヨ♥ミヤコ♥ ♥→亡きイッサへ
No my love cats No my life.