蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

デジタル故人  (bon)

2023-08-12 | 日々雑感、散策、旅行

      昨日(8/11)の 「なでしこ」よく戦いましたね。残念ながらベスト4にはなりません
      でしたが、果敢な攻撃を見せ、スウエーデンの豪快なサッカーにも引けを取っていません
      でした。 とくに終盤の攻めは素晴らしかった。

 

  最近、ネットや新聞で目にすることに、「デジタル故人」や「AI故人」あるいは
「死者AI」などの言葉があります。 デジタルとかAIという言葉がありますから
大体のところは「亡くなられた人をAIで蘇らせる」ことのようだと分かりますが、
このことがいろいろと議論を呼んでいるというのです。

          (ネット画像より)

 以前からこのような議論はあったのかもしれませんが、どうやら2019年の第70回
NHK紅白歌合戦で「AI美空ひばり」が歌う姿で映し出されたことで、広い範囲の議論
に発展しているようです。

        
               (YAMAHA corp.ネット画像より)

 美空ひばりが、その容姿、歌声、仕草などがAIで本物そっくりに作成され歌って
いたのです。美空ひばりが歌う映像は、彼女の死後これまでも歌謡番組などで何度
も放送されているし、DVDなどもたくさん出回っていたのに、この紅白で歌った美空
ひばりがなぜ議論を呼ぶことになったのか?

 AIで制作されたそっくりの美空ひばりが生前言ったこともない言葉「お久しぶり
です。あなたのことをずっと見ていましたよ」といった曲間のセリフに違和感を
感じたというのです。 確かにこの言葉は、美空ひばりではない誰かが、彼女を
して言わしめた言葉で、ネットには「死者を冒涜している」「不気味の谷だ」と
いった反響があったそうです。

 *注「不気味の谷」人型ロボットなどの様態があまりにも人間に近いときに、見る者に違和感
   や嫌悪感を抱かせるとされる現象(コトバンクより)

 亡くなった人とそっくりな「AI故人」が、死後に誰かがその人に「話させたり」
「行動させたり」することは、それをさせた誰かの意志であって故人ではないの
ですから、ある意味故人の人権が損なわれていると考えることが出来ます。故人の
人権・・故人に人権があるかどうかも明白ではありませんが、少なくとも公にこの
ようなことがあることは好ましくないと思われます。

 銃弾に倒れた安倍元総理大臣のAI故人が、現政権や方針について発言したとし
たら重大問題になる可能性も考えられますね。プライベートな世界で故人を懐か
しみ「AI故人」と会話を交わすのならば、それはそれでいいかもしれませんが、
その会話の内容などにもよるかもしれません。生前の行動や発言などの大量データ
から生成された会話は、それこそ現実味を帯びた会話となるでしょう。 しかし、
これらのデータに誰かが別の内容を入力したとしたら、故人とは別の人となります
から少なくとも問題がありますね。

     有名人のAIアニメ
       (知財図鑑ネット画像より)

 これまで、故人の写真、遺影を飾ったり、懐かしいアルバムを見たり、ビデオや
テープも大事に残されている方もおられますが、これらはすべて生前にあった事実
の記録なので問題はなかった。それが、技術の進歩で、生前にはしていない発言
や振る舞いを表現できるようになったことに議論が生じたのですね。

 

 読売新聞 8/6「デジタル時代の死生学」で述べられている、佐藤啓介氏(上智
大学大学院実践宗教学研究科教授)のまとめによれば、反発や批判には、①見た
人に心理的な害を及ぼす可能性がある ②死者の実際の過去をゆがめている、我々が
知る死者とは異なる物を描き出している ③死者の尊厳を侵害している、生者の
都合に合わせて死者を道具化している と述べられています。

 そして、①は、未だ調査が少なく未知数である ②は死者の過去の姿をなぜ変え
てはいけないかという議論が尽くされていない ③は死者にも生者と並ぶような
権利や尊厳、人格を認めるかどうかの議論 であるとされ、いずれも十分に議論が
尽くされ定説が存在していないことにより生じた事項であると指摘されています。

 

 これからは、有名人や権力者さらには、それを気にする一般人も、生前にこれら
の死後における再現の内容や範囲の扱いを遺言しておく必要があるのかもしれま
せん。

                

 また、これまでは、仏壇やお墓を故人の存在と認識してお参りをしたりしてい
ますが、AI故人が、いつでも生前の姿で会話できるとなれば、仏壇やお墓の存在
そのものもその存在意義が問われるかもしれませんし、ひょっとしたら、たとえば
納骨堂に代わって「納霊堂?」みたいなところで、故人と自由な会話をするような
お参りをする時代が来るとも限らないのですね。 そのような時代には、現在の
仏壇やお墓のイメージが変わっているかもしれません。

        デジタル納骨堂イメージ
        (ネット画像より)

 もしこのようなデジタル納骨堂やデジタルお墓が出来たとすれば、それらをネッ
トワークで自宅のPCやスマホで、あるいは自宅でなくてもこれらの端末で可能と
なれば、今までの仏壇やお墓のイメージまで変わってくるのかもしれません。

 今後どのようになって行くのでしょうか?

 

 

 

Mannequin (1987) / Starship - Nothing's Gonna Stop Us Now (Music Video)

 

 

 

 


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2 コメント

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デジタル個人と歴史もの (竹井誠)
2023-08-12 14:40:03
全ての歴史小説や歴史番組では、死後に誰か(作者)がその人に「話させたり」「行動させたり」することは当たり前になされています。にもかかわらず、それが死者を冒涜いているとか、権利や尊厳、人格といったものが疑問視されろことはほとんどないですよね。これとデジタル個人との違いはどこにあるのでしょうかね?
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コメントありがとうございます。 (bon)
2023-08-13 18:31:17
竹井誠さん、コメントありがとうございます。
そうですね! 仰る通りです。
ハッキリとは分かりませんが、小説や歴史ドラマなどは、作者や役者が明確になっていて、故人が話すのは、作者がセリフとして言わしめていることが、前提として理解されているからでしょうか。
これに対して、AI死者は、故人とそっくりな容姿、声などで話したり動作をするとき、その前提がないままであるために本人であるように錯覚して違和感を覚えるのかもしれないと・・。そして事実ではないようなことを、本人(AI死者)にさせるところに問題の認識があるように思えますね。
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