蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

六義園、古河庭園、飛鳥の小径・・  (K)

2011-06-29 | 日々雑感、散策、旅行

昨日6月27日、今にも降りそうな梅雨空のもと、駒込駅におりたった。
今日は、「どうせ散歩程度しか出来ないだろう」と2~3年前始めたアラセブン3人の「三歩会」の六月例会。
とは言え、今まで高尾山や伊豆の天城峠など僕にとっては超難所も踏破したし、今回の様に
都内を散策とかマチマチ、気まま勝手。
まずは六義園へ、 どなたも御存じのとうり、六義園は数ある江戸の大名庭園のなかでも傑出している。
何がと言われれば、築山泉水の庭園に紀州和歌浦の景勝をはじめ古今和歌集に詠まれた多くの名景を
随所に配しているからだろう。

中に入れば、いきなり元禄15年、五代将軍徳川綱吉の時代へ。池を回遊しながら、

中の島の妹山、背山や渡月橋など繊細で温和な日本庭園を楽しみました。


途中、日本庭園の雰囲気とはややかけはなれた泰山木の真っ白い花に出会いました。


樹齢何百年の桜の木のふもと、京都の庭を思わせる苔が惜しげもなく・・

いくら梅雨とは言え、東京で・・

駒込駅の前を通り過ぎてすぐの交番の後ろに、

ひっそりと佇むソメイヨシノ桜誕生の地があった。この辺は江戸時代は染井といい、

植木の大生産地であった。(ソメイヨシノは奈良の吉野の産と思っていたが

吉野の桜がこちらへ嫁入りしてきたようだ。)

 

古河庭園へ。

武蔵野台地の斜面を活かした広大な敷地は、明治の元勲、陸奥宗光の別邸であったが、

後に銅山で財をなした古河財閥に移った。西洋と日本の美が調和する名園。

洋館と洋風庭園は、明治から大正にかけて鹿鳴館、ニコライ堂などを手掛け

日本の建築業界に多大な貢献をしたジョサイア・コンドルの設計で異国情緒を満喫させてくれる。

(そういえば昨年暮れの青山のハウスオブ1999の館も大正ロマンがいっぱい漂っていた・・)


日本庭園の中心は心字の池となっていて優雅な風情が心をなごましてくれます。


古河庭園を出てすぐの京浜東北線沿いにある「飛鳥の小径」は、今まで経験したこともない雰囲気。

ロマンチックな「鈴懸けの径」

をはるかにしのぐ小径。1mあまりの細い道がずっと続き、右下には線路、

 

左側には高い垂直の壁、そこに写真の通りアジサイの花が連綿と続いている。

梅雨の月曜日とあって道行く人もほとんど無し、ただ一人おさげの少女とすれ違った。

写真はその小径を振り返って撮った。


そして飛鳥山へと。山といっても東京一の低い標高。

頂上の石碑には標高25mとあった。登山は写真のケーブル「アスカルゴ」(飛鳥とエスカルゴ)に乗ってざっと50m。

写真の右には、はるか眼下に走っている都電が写っている。

頂上は公園になっていて、なぜか古い都電とデゴイチが置いてあった。

うまい具合にちょうど雨が降り出したので、都電の中で遅めの弁当としゃれこんだ。

若い外人のカップルが入ってきたのでシャッターをおしてもらった。



王子駅へ向かう途中に暗渠になった石神井川の上に音無親水公園があり、

和風の木橋やあづまやや水車があった。




同じ日にbonチャンが巣鴨の散策をしていた事をブログで知った。

梅雨の合間のひとときをお互いに散策を楽しんだ事になる。
Beautiful Dreamer





コメント (4)
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