最近届いた会報に、一高寮歌「嗚呼玉杯」についての記事がありました。
B6版 6ページにわたる記事ですが、ちょっとだけご紹介しておきたいと思い、
ブログアップします。蓼科パティオのファイアーストームで、声張り上げる時
チョット想い出すかも・・・。
作詞者、矢野勘治は、私立日本中学で、作曲家楠正一と同級であった。矢野は飛び級で一足先に一高に入学し正岡子規の門弟となりました。
矢野勘治の原文は、「玉の杯 花浮かべ 緑の酒に 月宿し・・」だったそうで、
それを一高東寮で口ずさんだ楠正一に、「調子軟弱に過ぐ」といわれ、二人で相談し
♫「嗚呼玉杯に 花受けて 緑酒に月の 影宿し」と改めたと・・・。
歌の続き、「治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て 向ヶ岡にそそりたつ 五寮の健児意気高し」♫
ここで、「玉杯」と「緑酒」がこの歌詞の解釈を分ける重要なキーワードになっているという。この2語が、「栄華の巷」にかかるのか「五寮の健児」にかかるのかで、解釈が変わってくる。玉杯は立派な杯、緑酒は贅沢で美味しい酒のことで、中国の古典でよく使われる言葉で、華美で贅沢な様を表現している。贅沢をして酔っているのは日清戦争後の好景気に沸いている俗世間の人々なのか、志の高い一高生なのか?
一高は「勤倹尚武」をモットーとし、寮内は禁酒だったことを考えると・・・。
「平和で豊かな日々」と勘違いしている世間の人々を見下し、自分たちはそうではいけない、世の中に流されずにしっかりと生きて行こうと、この国を背負って行くエリートとしての心意気が伝わってくる・・・。
詩の意味とメロディーも呼応しているという。「花を受ける」で一気にメロディーは上昇し、花を受ける玉杯を高々と掲げる様子が表現され、反対に「治安の夢に」で、一気に最低音まで下がり、この夢が堕落であることを示している。「向ヶ岡に」は、高音から始まり「そそりたつ」で最高音まで上がる・・・。
そんな内容部分がありましたので、要約をご紹介しました。
それでは、しみじみと・・・