ライズ外伝

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足立区考察

2023-10-02 | 名所




足立区には奥州へ向かう

源氏の通ったとされる地が残る

「白旗」の付く地名は源氏の白い旗に由来する






「竹ノ塚」周辺なんだけど古墳群があり

古くから人々が生存している地域

大和朝廷に制圧され武蔵国となる






馬と船の埴輪から交通手段が連想される

竹塚・伊興の周辺は古代から重要な地だったと思われる

毛長川は今より広い河だったもよう





弁天池かと思っていたけど

「円墳」とのこと

現存するいのはこの公園だけで宅地開拓で消滅


竪穴式住居などはここより北西の伊興遺跡公園に保存されている

(今回はそちらに行けなかった)




それと




足立区の北東に位置する

「花畑大鷲神社」

日本武尊がこの地に寄って後に祭られるようになる

源氏も寄ったとされるので平安時代には存在している

(酉の市が有名で浅草大鷲神社のより古いといわれる)


扇子の家紋は「源義経」が使っていた

北区の平塚神社と同じ

義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号されました。


(浅草の鷲神社の家紋は月星で千葉氏が使う平家系なが気になるところ)






入口の提灯が個性的

なんと「成田山新勝寺」も奉納していた

足立区と成田を結ぶ関係は否めない


西新井大師と新勝寺を結ぶルートにこの神社は通ったのか?

参道が長かったら流山道沿いとなる

(流山の東福寺も流山道から離れているが成田山の石碑がある)


綾瀬川と毛長川と伝右川の分岐点なので水運の要地

「宿」の地名が残っているので重要なのは間違いなさそう





それから



足立区ではないが隣の八潮市の

「大曾根八幡神社」

一説では新羅三郎が寄ったとされるので大鷲神社からつながる

白旗と八幡は源氏にゆかりがある




個人的に八幡宮の八は「鳩」の形が本格派系に思える

旧町名も「八幡村」だからここが中心地だが

江戸時代は「大原」という地名が宿だったので大曾根との

関連が気になる

八幡村大原字大曾根だったのかな??

(八幡村は明治にできたもよう)






余談だけどこの神社の彫刻は素晴らしい

柴又の帝釈天くらい細かく彫られている

今まで見たことのない動物もいるのが見どころ



同じく八潮に



「八条八幡神社」は室町時代創建

源氏のゆかりは記されていないが八幡は源氏系

古くは「下妻街道」が通っており八条にも宿があった

ここから流山行くルートが流山道候補





アド街でも4位に紹介されたが

明治時代の彫刻が重要文化財として市内初となる

中川沿いにあるので水運も発展したと思われる




なぜ江戸時代に水戸街道を通らずこのルートなのかは

『関所』を通らないメリットがある

江戸川にはいくつもの『渡し』がある

もちろんその時代にはまだ『橋』はない


江戸時代以前はどうだったのか?

陸路より水路の方が主だったのではないかと思う


奈良平安時代に古代官道が整備され

鎌倉時代も鎌倉街道が整備されたが

関東は家康が来てから道が整備され江戸が開けるようになる


幕末には新撰組を追って流山に集結したルートはいかに

新撰組も綾瀬・松戸から流山へのルートが定かではない

道の考察は面白い




















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