今回は新たな仮説をもとにポタリングしてきました
・三ヶ月(みこぜ)は巫女さんのミコではないか?
・古代道の駅、『茜津』は馬橋・中根長津ではないか?
と云った検証
最新情報というか見落としていて初めて知ったのがここ
道祖神(道陸神)
三日月神社の管轄とは驚いた
近年言葉が訛って『どろ神様』と呼ばれたとある
ミコゼの由来もミコツキが訛ってミコゼといわれる
道祖神とか辻斬りも悪霊退散といった信仰
三ヶ月に限らず松戸市内は村境にはよくある
三日月神社です
神社は三日月なのに町名は三ヵ月
月の三日月は三日で三日月だけど、3か月は三日月にはならない
歴史的には1198年と鎌倉時代に創建され萬満寺より先に建っている
平家の千葉一族にゆかりがある
1751年に三日月村の有志が山形の月山に行ってきたとあるが
上・元禄(1696年)の地図には三ヵ月と書いてミコツキ(イ)となっている
この時点で二木(二ツ木)の枝郷と記されている
下・天保(1835年)にもあるが萬満寺の西側になっている
残念ながら振り仮名がない
呼び名は不明だが字が食い違っている
最初は元々あった呼び名に漢字をあてたのかと思った
そして赤城神社と三日月村と言ったら群馬に関係があるとも推測
それから鬼門の位置とあるので風水が関連し巫女かと思いました
千葉氏の家紋が三日月に星とあるから三日月村と付けたといわれるが
3ヵ月と3日は違い、小金に1月寺があり二ツ木(2月)三ヶ月(3月)と言った具合
本土寺の土、小金の金、二ツ木の木、水主の水と5行思想に基づいた村名にも思い
大日寺の太陽と三日月神社の月が対になっており風水の陰陽師のようだ
中根には『妙見神社』があり、これは千葉氏が信仰している
北極星と北斗七星を崇拝している中国からきたもの
三日月神社の神紋が不明
家紋の三日月が由来ならこっちの紋を使うはず
萬満寺の九曜紋も千葉氏は関連あり東西南北鬼門裏鬼門天門地門と方位を示すとも
大谷口城よりも先にこちらに城があったのだが
鎌倉時代以前は『館』だったと思う
蘇羽鷹神社は萬満寺の鬼門の方角でその間に城があったとされる
鳥に関連がありそうだがこの神社も山形の出羽三山と関係がある
神紋は鳥の羽
館があったと言われている
場所を移し、新作の安房須神社へ
ここに豊臣の小田原攻めの記がある
小田原の北条が落ち、中根城の武士たちは帰農したとある
(秀吉の刀狩りと兵農分離)
安房と言ったら里見氏だと思うのだが国府台合戦と関連があるのか?
名前が気になる
中根にある寺は廣照寺と日蓮宗の寮
廣照寺は真言宗豊山派だけどここも私宅ぽい
東照寺と関連があるのか?
寺は武家屋敷になっていることもおおい
武士がこのエリアに住んでいた
馬橋にある中根寺も不思議
ナカネテラではなくチュウコンジというそうだけどここも私宅ぽい
明治維新後、仏教と神道は切り離された影響なんだろうか?
中根妙見社は区画整理で移動したので当時の物ではない
中根には亀井下という小字名があり、妙見の北辰信仰の玄武(亀)と関連がある
船付もあり津だった気もする
これらが茜津驛の根拠
茜が訛って中根になったってことはないのか?と憶測
幻の茜津驛は貴族政権の物で、武士政権になって滅びたもよう
三ヶ月にあったお城も、千葉氏が九州に行って帰ってきた時には荒廃していた説がある
それは室町時代初期で鎌倉時代には存在していたが誰にやられたのだろうか?
敗者の歴史が残らないだけに推測が難しい
ま、今回は大発見はなかったけど
なかなか充実感はあった