ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

足立区一周サイクリング1

2021-03-19 | 道中



2年ぶりの一周シリーズ

『足立区』です

東京23区で3番目に大きい町

基本的には川に囲まれた平坦地

新車に乗り変えての第一弾




スタートは中川橋を越えたアリオ亀有近くのエリアから

葛飾区と足立区の境界線を走ります

中川沿いが整備されました

(右回りコース)



『古隅田川』を走ります

今は暗渠になっていましたが昔は大きい川だったようです

中川から綾瀬川までつながっています





今は『東和』ですが昔は『蒲原』

古代の驛と宿があったといわれます

古代官道の水運はこっちだったと思えます


下総国府と武蔵国府を繋ぐ道は『水路』

更級日記もこっちのルートだと仮説




昔は北三谷、今は東綾瀬

『軍資金伝説』のある地域

江戸時代の初期に軍資金を積んだ船が沈没したみたいです

(この辺りで小雨が降りだす)





綾瀬です、昔は普賢寺町

東京に『上千葉』?

普賢寺は1180年創建の葛西氏の領地とされるが

その前は千葉氏の城があったとか?

今は葛飾区堀切だが昔の葛飾区は下総国で足立区は武蔵国






古墨田川の後半は水が見えてきます

江戸時代になり整備されるようになったのですが

それ以前はどうだったのか気になります

足立の語源が『葦が立っている』だとすると

物凄い湿地帯だったとも思えます






『水戸橋(みとはし)』を渡ります(にごりません)

このでミスったのが本当は小菅刑務所の方へ行くのですが
ここから南下してしまいました><;


水戸街道も古隅田川もココに繋がっていると
この辺は重要ポイントな地域だったのでは?とうかがえます








『正覚寺』です

日本初の公立小学校の地

幻の『小菅県』の県庁所在地となると

この辺はやはり重要だったんだと思えます





『堀切橋』から荒川綾瀬川を渡ります

荒川放水路は明治になってから人工的に造った川

足立区の地形が変わりました

(北千住・小台・新田が孤島に)





土手沿いを『堀切駅』へ

自転車を担いで歩道橋を渡る

このエリアは大変

だけどここがあの『金八先生』の街

聖地です




続く

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足立区一周サイクリング2

2021-03-17 | 道中
つづき(隅田川編)


旧桜中学には寄らず『隅田川』を目指す

今の隅田川と古隅田川が繋がっていたのかは不明

埼玉の春日部の方にもあるからややこしい


『旧』と『古』の使い分けはいかに







金八先生の舞台は足立区の端っこ

北千住と言えば北千住だと思うが

最寄り駅は『堀切駅』

牛田駅や関屋駅も近い

堀切は葛飾区なイメージだけど・・・堀切橋は今とは違う場所に架けられていた

堀切は『お城』に使うイメージだけど、城があったかは情報がない・・・石浜城?か


(余談だが、幻の『中千住駅』のと『西千住駅』を知っている人は少ない)





足立区側を走ろうとしたらメンテナンス中で通れず

橋を渡り荒川区側を走る

川津サクラが咲いていてこっちの方が走りやすい




南千住から『千住大橋』を渡る

市場飯を食べようと思ったが混んでいたのでパス

一時間ちょっとでここまで来る




『橋戸稲荷神社』に寄る

926年創建とかなり古い

狐さんが獅子のようなスタイルが個性的




土手を上がって走るもすぐに降りる

サイクリングロードではない

このエリアは川沿いを走れない





京成電鉄をアンダーパス

この辺りで千代田線が北千住駅から上りと下りに分裂されまた一つになるも

町屋駅から上下になるのが不思議

用地買収の問題だけではないような気がする


Tk大学

昔は『オバケ煙突』があった場所

石碑は見つけられなかった






荒川と隅田川に挟まれた所を走る

荒川の堤防の方が高いが自転車は走れない

足立区小台





Ak商業高

足立区なのに荒川の高校?

宮城という地名も気になる

(向いの北区には豊島の名がある)




首都高速

足立区は高速道路が充実している

橋も本数が多いから車の便がよさそう






また荒川と隅田川に挟まれた道を抜ける

一旦北区に入りまた足立区

新田(しんでん)という名だが雰囲気はいいエリア







再び荒川と隅田川の狭間に出る

荒川が区界でいいと思うけど隅田川が境界

三河嶋ってこの川に囲まれた3つの島みたいに思う




隅田川はこの辺まで、荒川と合流し『新河岸川』と分離して川越の方へ

岩淵の水門が見える

川沿いだけでここまで来れる

荒川が無ければこのまま北上するんだけど鹿浜橋に戻る

出発して3時間弱位

足立区の西の果てまで来た

折り返し地点なイメージ



つづく


余談だが

下総国府と武蔵国府を繋ぐルートは古隅田川と隅田川に思う

『豊島驛』の推測地が北区の清光寺と平塚神社とと言われている

王子の石神井川から更に内陸へ行ける

官道と水運は分けて考えた方がいいかも











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足立区一周サイクリング3

2021-03-15 | 道中
つづき(西側編)

隣は北区で赤羽駅が近い、結構走った

実はここの前に北区の豊島エリアへ行きました

北区に豊島があるのは豊島氏の城ががあったからとされます

『清光寺』というのがあって『豊島清光』にちなんでいて

源頼朝の鎌倉幕府創立にも貢献していたとも言われる豊島一族

古代官道の『豊島驛』はこの辺にあったと推測されています

近所には『豊島馬場遺跡』が古墳時代からあるので

隅田川は重要な川だったと思えます(海だったとも)







鹿浜橋へ

新田とは『鹿浜新田』の名残

「鹿(シシ)」の語源は危険な獣の総称、「浜(ハマ)」は水を含んだ土地の事。 この辺りは獣が住む湿地で、後に「シシ」が「シカ」に変化して「鹿浜(シカハマ)」になった説が有力です。

鹿島、鹿児島、男鹿などのイメージと合う気がする












鹿浜橋は環七が出来た時に架けられた

環七でここまで最短コースでこれます

足立区は国道4号と環状7号で4等分になる事に気づく




橋を渡り土手沿いに走ると『都市農業公園』

ここで『ランチ』


ここの桜は『荒川の五色桜』といいアメリカのワシントンに贈った有名な桜

残念ながらこの辺の桜は枯れしまったらしい

そこで贈ったワシントンの桜をまた分けてもらったのだ

『里帰りの桜』として今咲いているとのこと

(これは春にもう一度来たい)





毛長川を目指す

ここからが難関ポイント

川口市との境界線を走る

首都高の下が境界だが単純ではない

堺は『新芝川』沿いでもよさそうだけど

元は同じ武蔵国だったのに埼玉と東京に分けられた





持っていた地図の距離感が合わず苦戦

東領家からなかなか抜け出せず

埼玉の言う『ほぼ東京』はこういうこと

埼玉都民

千葉県はしっかりと江戸川で遮断されている







左にカーブした川辺りから境界線復活

厳密にいうと違うけど

新芝川は新しく掘られた川


加賀があったり入谷があったりと

足立ぽくない




桜が綺麗

境界線の看板があった

毛長川はここから北へ

(難しいので割愛)




毛長川到着

後は川沿いを中川まで走るのみ

さっきの所を除けば足立区は川に囲まれた街

(川口市に江戸の町名)



ところがこの毛長川、工事が多くサイクリングロードはない

埼玉と東京を上手く行き来しないと攻略できない

経験が必要






相撲部屋を発見

足立区に2つも相撲部屋があるとは知らなかった

女子プロレスはちょっと前に発見した




この辺りにはもうしくじっているんですけど

舎人エリアは川の向こう側にもあったのでした

間違わなければ相撲部屋は通らなかったかもです






清掃工場が見えてきた

埼玉県側に川の由来の『毛長神社』がある

かつては入間川の流路だったといわれます


舎人ライナーは足立区までしか通っていない

日暮里~見沼代親水公園間(9.7km・13駅)を運行(平成二〇年開通)

舎人ライナーの先の舎人四丁目が東京都の最北端となる




またしてもしくじり

清掃工場の入り口に入ってしまった

引き返せばよかったけど何とかなると進も

『東武伊勢崎線』が遮る







結局は歩道橋を押して渡る

清掃工場の周りには学校とマンションが隣接

竹ノ塚エリア

(煙突のカラーリングがスターウォーズに出てきたロボに似てる)








国道四号、日光街道

ここも横断が難しい

橋を渡るも工事中だった(迂回)






埼玉にも東京のつく会社があった

草加市は煎餅が有名だけど『シラコバト』が有名(翔んで埼玉)

小鳩のヒヨコ??




花畑(はなはた)エリア

お花畑みたいでいいイメージ

昔は『花又村』


近所に花畑大鷲神社があり日本武尊を祭っている

平安時代後期に源氏が寄るなどして古くからある

大鷲と書いて大鳥と読む







埼玉県側を走ってきたが東京の飛び地もある

花畑8丁目がこっちにあるんだけど忘れてしまった

(ここは2番目に北に位置する)

後半は3ヵ所しくじった

家に帰り編集時に気づく

この先までが毛長川



つづく







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足立区一周サイクリング4

2021-03-13 | 道中
つづき(中川編)




毛長川の由来は女の人の長い髪が流れずに浮いていたとのこと

それを拾って祭ったのが毛長神社

草加市にあります


源氏の白旗のように「花また綾に」光った。そこで村を「花又」

傍らの川を「綾瀬」と名づけたという。

柴又、猿ヶ又、花又など又の付く地名に気づく








川の三差路?三つ又?

ここから綾瀬川

川向うは八潮市




川沿いの道は整備されていない

所々公園になりつつある

川津サクラ植林中





一般道を走る

道は狭く車の量は多い

でもこの道が県境に忠実





不動院に寄る

1054年と平安時代創建

大鷲神社と同じくらい古く新羅三郎(源 義光)と縁がある

(綾瀬川は奥州に行くのに使う水運かも)





内匠橋を渡る

地図では首都高が邪魔でで川の判別が難しい

桁川へ向かう





川沿いは遊歩道で自転車は無理

埼玉側を走った方がよかったが

こっちの通りは神社が並んでいる.





神明天祖神社・南蔵院

神明・新明という町名だけど

昔は久左衛門新田






稲荷神社と六木諏訪神社

真っ赤なお稲荷さんは個性的

諏訪神社は狛犬(獅子)がカワイイ

牡丹があるから唐獅





六木の水車広場

昔のこの辺は水車のある家が多かったのかな?

戦国時代に六騎の武士が土着し、この地を開拓したことから、当初は「六騎村」と称していた。

7人の侍ではなかったが、単なる農村地帯ではなかったのかも





中川に出る

実は前に足立区を走ろうとしたんだけど
.
花畑運河と桁川を間違って走ってしまい途中で気づき辞めました

一日がかりのコースなのでこのミスは大きい





ゴルフ練習場の名がロッキーかと思ったらロッキ(-がない)

この辺りの地名は『六木』(昔は六ッ木)

あ~『ろくき』だからか~と思ったら『むつぎ』と読む

他にも『6月』もあり『6町』もあったりと足立区は666


船宿があった

ここから海に出るのはけっこうありそう

近所の人は楽でいいのかも





飯塚橋

こっちの方が松戸から近いかも

飯塚橋はわりと新しい橋です


中川の上流は『古利根川』と古地図に記されてる

古隅田川に古利根川

古代の川のルートはいかに




常磐線

こち亀の話によると新宿村は水運で栄えていたので鉄道をひくのを反対していた

亀有村が駅を誘致したら亀有の方が開けたという経緯

水運の時代は終わった







中川橋が見えたらゴール

4時ころ到着、ざっくり6時間位

中川橋は葛飾区だけど中川町は足立区

昔は長右衛門新田


日立製作工場や日本紙工場など大きい工場が中川沿いにあったようです

鉄橋から中川橋までに貸しボート乗り場があったとも




川沿いを走ったせいか足立区のイメージは

工場と団地が多いといった感じです

中学もナンバーズ系が16中まであるんだから凄い


足立区と言ったら『ビートたけし』

最近は『みやぞん』かな

では

















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