ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

印西道ポタリング1

2022-03-30 | 道中


馬橋から行く『印西道』が古代道ではないか検診

今回は柏の藤心、塚崎まで

その先が『香取の海』だったら陸は通れないはずなので






ここが『馬橋』の地名の由来となった橋

東京の杉並区にも同じ地名が残る

旧水戸街道はここを通っています

昔のメインストリートはこの道






そしてその下を流れているのが『長津川』

名前の由来が今一つ分かっていません

津が付くのだから『港』ではないかと推測

『中根長津町』の地名が残る

(川の河口の方が長津町)






旧水戸街道の萬満寺に向かう途中に

『中根寺』がある

江戸時代に移転してここにあるらしいのだが・・

寺でも個人宅ぽい系

本来は凄い寺院で地名の元でもある






臨済宗大徳寺派法王山萬満寺

鎌倉時代創建で元は真言宗の『大日寺』

戦国時代に臨済宗の萬満寺に改宗


なぜ、低地に建てたのか疑問

裏に高い丘があるのにあえて

街道沿いに意味があるのだろうか

水戸街道もココでクランクする

真っすぐ行けば小金まで坂は少ないのに

道は坂を登って行くルート


萬満寺の前の道に東条と西条の小字名が残る

元は街道ではなく城下町のような集落だったのかもしれない

『城之越』の小字名も残るので何もない土地では無いはず


お城の登場は戦国時代辺り

それ以前は館とか砦

お寺も僧兵がいるように武装されている






このクランクして坂道を上がっていくのが『印西道』でもある

そっちが先か?水戸街道が先なのか?なぞ

(旧水戸街道は鎌倉街道の下ノ道とも言われる)


この坂は『江戸見坂』とも言われ

ここがら下総台地に入る

関東平野はここまで







バス停の所に

『馬橋厳島弁財天』がある

今は小さいが昔は『弁天』という小字名になるほどの神社

(広島の厳島弁財天は平清盛が保護した神社系)






坂を上がると八ヶ崎の交差点

ここに『石碑』がある

旧水戸街道は国道6号と合流する





更に坂を上がっていくのが『印西道』

ここが追分でもあり1里塚もあった場所

一里塚は水戸街道のもの


明治の地図では南側の道に木下道と表記

区画整理で道が一部消える

今回はバス通りを進






桜並木のバス通り

バス停にも昔の字名が残る大事な情報源

バス停には『上ノ台』と付いていて

この辺りに『北道合・南道合』の名が公園に残る


この先道なりに真っすぐ進んでいく

旧道は『子安神社』の方を通る道ですが

明治の地図には神社と寺が載っていない


『地図は嘘をつく』

軍国主義の時代は重要な施設などは載せないようにしているとか

道の大きさなんかも軍事上、曖昧の方がいい

正確な地図は敵に攻略されやすくなる恐れがある







『水砂』って何?この土地の状況を示しているのか?

他にも『吾妻』という小字名が残る

大和ぽいかも

新堀込とか大作とかはお城に関連してそうだけど

野馬追の意味合いもあるので判断は難しい





八坂神社前から一方通行になる

自転車は真っすぐ進める

それが自転車の利点







佐野八坂神社

気になるのは『八坂大神』にしてあること

大神にする意味はなんだろう


『佐野』と『川越』の地名が残る

移住してきた前の地名を付けたらしい

でもこの地域は重要な起点

古代道と交差する地点だからだ


明治の地図には

木下道・手賀沼道・松戸道と書いてあり

印西道とは書かれていない

なぜ?


水戸街道は明治に入って『陸前浜街道』と改名

でも浸透していない

東京というのはこの頃から使われる



つづく




























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印西道ポタリング2

2022-03-26 | 道中
つづき


八坂神社から2又に分かれる

その次に古代道候補と合流する

印西道の一部は古代道でもあったのだ


しかし、ここからのルートが問題

柏の呼塚の方面なのか?藤心の方面なのか?

香取の海をどう渡ったのかがポイントとなる


右側のルートは鎌ヶ谷方面に向かっており

『お鹿狩り』の道である

将軍様一行が五香の『御立場(おたつば)』へ向かう






なんでアメリカ?ホダシ内って?

小金原方面に行く道で区画整理され新しく出来た道

『茂呂神社』へ行く道は消滅

由緒ある神社なんだけど小字名は残っていないのが残念


この道が古代道とは違うとなると

市川・矢切・松戸・馬橋から

流山の東福寺・三輪野山・茂呂神社・諏訪神社・成顕寺から

柏の呼塚から手賀沼(香取の海)を避けて

我孫子を通過していったルートだったのかもしれなくなる


そうなると、本土寺はどの道で行ったのだろうと疑問が残る


印西には金ケ作から五香へ行き鮮魚街道ルートもある

印西の浦部に行くのは1つではないかも










そっちではなく直進する

ホダシの意味は、馬の足にからませて歩けないようにする綱。 ... 手かせ。足かせ。身動きできないように人の手足にからませるもの。 ... 妨げ。さし障り。束縛するもの。

小作とか大作もあるので野馬除けの可能性が高い


アメリカ風のフウは『楓(かえで)』と書く木の名前のこと

他にも『たいわんふう』もある

松戸市には『ハワイ通り』もあるのでまぎわらしい





古代道候補との合流地点

まったくそれらしき雰囲気は無し

うっかりすると通り過ぎてしまう





しかし以前に『軍用線』の通っていた場所

石碑はなくなったが新京成電鉄の前身はこっちの方まで走っていました

なぜこっちの方までひいていたのだろう

この辺に何か重要なモノはあったのだろうか

意外に軍用線と古代道候補とは同じルートを走っていた


地盤がいいのかな?

鉄道は基本的に高低差が少ない道に造る







石碑があるも読めない

地蔵と合体タイプ

大師道?





柏市に入る

この県道51号が官道の可能性もあるけど

藤心、塚崎、印西方面ではない

逆井で分岐する





町の案内板

公園に『右大道』という名がある

公園、橋、バス停には小字名が残っているので要注









庚申塚が多めにある

こういうのがあると古道感が増す

平安時代から庚申信仰はあったらしいけど

これは江戸時代のものらしい

小字名は『庚申塚』







印西道はここから右

逆井駅方面へ

金ケ作の所もそうだけど

神社や寺が無いのは何でだろう

重要な追分にも思うのだが

小金牧だったからか


つづく













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印西道ポタリング3

2022-03-22 | 道中
つづき


印西道は逆井駅から上の方へ進む道

大津川をどう渡るかが問題

『香取の海』が川まであったとすると

印西道は江戸時代の道だった可能性がある


下の方が『明神社』

伊勢神宮の『御厨』とも言われ伊勢の方向に社殿が向いているほど

でも創建が鎌倉時代末なので微妙ではある

川の向こうは島で『茜津』ぽいけど、

大津とかぶるのでまぎわらしい

ここから船で手賀沼を渡ったのか

定かな情報が無い






東武野田線の『逆井駅』を通過

逆井は『さかサイダー』というのが名物

『かしワニ』に『さかサイ』

柏市は動物大国かっ


後日調べたら

『狢台公園(ムジナだい)』とかがあった

増尾はサザエさんのマスオさんを連想してしまう








と、ツッコミながら進むと『馬頭観音』

ウマ

三猿もいる


古地図によると

駅とここの間に『子神社』があるはずなんだけど

宅地化されていた

子とはネズミで大黒様(大国主)祭る

(子神なので子安神社の誤植の可能性も)







また分岐点

左が印西道

右が官道候補

今回は印西道へ






藤心1ー1

石造には『光明真言』と記されている

ざっり言えば、魔除けのお経みたいなものらしい


ここからやや長い下り坂となる




コンビニの所に出る

意外に交通量はある道

平面の地図とはイメージが違う


字名は『一本松』

裏に川が流れる低地

既にここからもう『海』だった可能性がある








大津川まできた

なんもない、昔と似たような風景なのか

平安時代は海だったのかが不明

貝塚はあるのかな?






川幅は狭い

大津川の名ほどではないが

将門は『大井』に都を創ろうとしていたという伝説が残る

大井津だから大津であり琵琶湖の大津京を模倣したとも

大井には『船戸』と『新船戸』の字名がある







『下橋』

北の方が『権現橋』、南は『芦川橋』

ヒントになるような地名が無い










坂を上がると墓地がある

地蔵らしきものもあるが腐敗している


近くには『白幡』の字名があり『源氏』に関連がある系

ちなみに、平家は赤旗






二又があるが左方向

塚崎の一部は区画整理され道が消える

16号の手前の道まで来た

今回はここまで






中学校の横に『風早村道路元標』

荘園制度時代の風早荘の地名が残る

松戸の上本郷にも『風早神社』の名を持つ元館がある

『惣台』の小字で惣領だったともいわれる





『香取の海』の予想図

陸路だけで常陸国へ行くのは無理

(現在地は手賀沼の手の字の左上の窪み辺り)

茜津とは海を渡る港駅にも思える

個人的には島がいくつもあったと推測する

大島という地名があるから大津川から先は島だった思う


今の手賀沼周辺には平将門に関する神社が多々残る

将門の本拠地は『猿島郡』

市川松戸流山野田坂東と陸で繋がっているので

馬で移動しやすいのは分かる

でも、手賀沼周辺は船が無いと移動できないような

馬も船に積んだのかな

それとも馬で渡れるような浅瀬だったのか

・・・昔の馬はポニーみたいに小さい馬だったし・・・

その辺の想像力はいかに

細長い島のような地形は馬の管理がしやすいという

将門の時代から馬を管理していたのだ

小金牧の前身は将門にある




こっちが現在の地形

印の位置が流山の鰭ヶ崎の東福寺

そこから東の真ん中辺が大津川

そこを越えれば陸(島か)


昔の下総国の地形は今とは違う

家康が江戸時代に利根川を銚子にひいて水の流れが変わり
手賀沼と印旛沼も開拓した


地名の『塚』はお墓の意味があるけど山のような高い土地でもある

亀は『水』に関するが島のように丘のような高い土地のことでもあるという


香取の海をどう渡ったのか?

以後調査






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古代道(松戸市内候補)

2022-03-14 | 名所


二十世紀ヶ丘の『いちご公園』に残る標識

松戸方面から大橋を通る道と

市川方面から常盤平(金ケ作)へ向かう道の交差点(辻)

ここが下総国府と常陸国府を結ぶ

『古代東海道』ではないかと推測される






道祖神の猿田彦と月山と湯殿山の石碑があり

秩父と坂東の文字が読める

けどこの辺は区画整理されているので当てにはならない

秩父は武蔵国、坂東は常陸国







北総線の矢切駅の裏道からが

(松戸と市川の市境の道は狭いけど)

ここが『古代東海道』有力候補

20世紀ヶ丘の郵便局辺りまで続く


20世紀ヶ丘は区画整備され道が一旦消える

再び『陣が前』から『南部市場』裏の細い道へと続く

この道は 『御鹿 ( おしし ) 狩 ( がり )』 の時の『御成道』ともいわれる







八柱駅の周辺に『白鬚神社』と『徳蔵院』がある

その近所に【内海道(うちうみどう)】という小字名が

公園に残っている

これがかなりポイントが高い





公園からは徳蔵院が見える位置

春木川・国分川が流れ、この辺まで海だったとも言われる

内海とは『香取の海』を指し、今の東京湾側に対して呼ぶらしい

香取の海は、霞ケ浦と手賀沼と印旛沼を足したくらい大きく

海の入り口には鹿島神宮と香取神宮が祭られている


東京湾は市川の前まで海だったので今とは地形が全く違う

いつ頃変わったのかがまだはっきりしない

その時にルートが変わったのかもしれない

この辺の想像力が難しい









将門の逸話が白鬚神社にあり、将門に襲われたってことは

この日暮村周辺は朝廷の領地だったのではと推測する

徳蔵院も同じ敷地内だったとも言われる

ここも『茜津驛』の候補地

徳蔵院の創建が平安時代なのか戦国時代なのかがあいまい







白鬚神社の西側に
金毘羅様と水神様が祭られていた

『船と水』に関連あり

徳蔵院に移転されて石碑だけ残る

白鬚神社の猿田彦は道の神様


八柱までは『鮮魚街道』と同じルートで

八柱から栗ヶ沢までは御成道と同じ

高木村で馬橋村からの印西道と交わり

逆井、藤心へと進む








下の囲ったのが『白鬚神社と徳蔵院』

上の囲いが『茂呂神社』

少し離れるが茂呂神社は『延喜式神名帳』に「下総国葛飾郡 茂呂神社』と記されている

流山と船橋にもあるが、この道が官道だとすれば本物の可能性が高くなる

小金原エリアも区画整理され昔の道は消える



このルートの問題点は

香取の海を渡るのか?回避したのか?というところ

回避したとなると呼塚の方を通る

海を渡るなら藤心・塚崎から船

手賀沼周辺は島が多かったと推測される

そして大井は将門が独立国を創る計画があったとされる地

岩井には将門神社やゆかりの寺がある

この辺が腑に落ちない所


柏市塚崎の『神明社』が伊勢神宮と関係が深く

『相馬の御厨』ではないかと推測されている

我孫子の湖北に群衛と御厨があり、『於賦(おぶ)驛』の有力候補地となっている

神社の創立が戦国時代らしいので怪しい

ここから水戸街道の方を周って行くのは不自然


やはり香取の海の形はどうだったのか?

ルートはそれに尽きるのかな

以後柏を調査

























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