ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

松戸市戦国城址跡ポタリング(中部上)

2009-08-30 | 松戸


今回は松戸市の中部の上エリアをポタリングしました。

新松戸の郷土資料館に昔の立体地形があったので

開拓前の状態がわかりました。

戦国時代の城は、台地の上に作るのが基本です。

これを平山城タイプといいます。

松戸市の半分以上は下総台地でできています。

都市開拓で削られてしまった台地もあり

昔とは変ってしまったと所もありますが

そのまんまみたいな所もあり、見所満載です。


本城はどこになったのか?入り口(虎口)はどこだったのか?

どっからどこまで縄張りをはっていたのか?見晴らしはいいのか?

そんなことを妄想しながらのポタリングが楽しいのです。



まずは新松戸のほうから


            『小金城』の大谷口です。

こちらの上に『本城』があったとされます。

本城は城柵の中心にあったほうが攻めずらいと思うのですが

なぜこっちにあるのかが謎です。


城に本城(本店)のほか支城(支店)・又支城があるといわれ

松戸市にある城は、この小金城(開花城)が本城で

他が支城として機能しているようです。






城跡の低い所を走り、幸谷方面へ


           常磐線下のトンネルです。

赤レンガが鉄道開発当時の面影を残しています。

自転車で6号線にでる時はここを通ったほうが

山一個分省略できます。?

*対面信号になっているので、のんびりしていると大変なことになりますので要注意を^^



そして右側の幸谷方面へ


             『幸谷城』です。

マツキヨ本社前の坂を上がりきったT路地のところなんですけど

本城はどこなのか不明です。

マツキヨ本社裏の山も見事なのですが、関さんの森もいいような?

新松戸駅前の山は「見張り台」には最適のようで。

幸せの谷と書いて「幸谷」

谷よりは山って感じなところですけど

埋蔵金が眠っているんじゃないでしょうか??



それから小金宿へ


この辺は、江戸時代には「小金宿」として栄えていましたけど

戦国時代以前はどうだったのでしょうか?

東漸寺は崖の上にあり防御力はありそうな感じです。

下総なのに、上総町があるのも気になる所です。

江戸時代は天領地だったのに、唯一「田中藩」が存在した街。

松戸市になりましたが、小金市になってもいい歴史はあります。




ここから6号バイパスをわたり、久保平賀へ


              『行人台城』です。

その昔、合戦があったお城です。

写真は「安立寺」なんですけど、ここが一番高い高台になっていました。

「根木内城」と向かい合う感じの城跡です。

ここは字名の地名が城名になっています。



ここから、小金原団地の方へ


             『栗ヶ沢城』です。

高城氏が下総にきて最初に造ったお城とされています。

本城がどこにあったかは正確にははかりませんが

栗ヶ沢公園が一番高かったのでこの辺かもと。?


細長い地形で貝塚などがあり、かなり古い地域ではあります。

南北に走る道はそうでもないのですが

東西に走る道はアップダウンが激しい、特徴的な地形です。


ここから八ヶ崎方面へ


           『馬橋竜房山城』です。

八ヶ崎小学校から松戸三中、そして6号線へむけて高台になっています。

八ヶ崎は広いので本丸の場所は特定できませんが

複雑で面白い地形であります。

竜房台という地名も面白いです。

あとこの辺は、新井千軒という字名があり、人はかなり住んでいたようです。


八ヶ崎エリアは貝塚などがあり、先住民が住んでいて

お城があった感がただようのですが情報が少なすぎます。

基本的に、湧水や川の近くでないと住むのは大変のようです。

水不足も大変ですが、尿や便の処理なんかも戦の時には

かなり大変のようなので城造りには大事なポイントになっています。




ここから6号線へ


             『馬橋三ヶ月城』です。

萬満寺の裏に「城山」と呼ばれる高台があったそうなのですが

今は坂道になってしまい、6号線沿いが一番高くなっています。

三ヶ月とかいてミコゼ。

月の家紋から付けた地名だとか。

見方によっては三日月にみえるかも。??

ホームセンターと蘇羽鷹神社の裏が崖っぷちとなっており

それらしい感じもします。

蘇羽鷹神社を鬼門(北東)とし、万満寺を表鬼門(西南)を結んだ中間

くらいに本城があったと推測されます。

「上(かみ)の台」や「城山」という字名も城のあった証拠となります。

あとこの辺には、二ツ木向台遺跡があり

先住民の集落地でもあったようです。

集落の砦レベルから柵→城へ進化していくのを想像するのも

城跡めぐりの楽しみでもあります。


続く











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松戸市戦国城址跡ポタリング(北部)

2009-08-11 | 松戸


今回は小金地区にある城跡を中心にポタリングしてきました。

松戸にあったお城はなんと17以上あると言われています。

今年の夏は「城址めぐりポタリング」です。

順番は実際とは異なりますが、周辺をくまなく走ってきました。


まずは小金城址駅の大金平からスタートです。



           「中金杉城」です。

わかりづらいですが、大金平からの景色です。

広徳寺や大金平消防署の後ろが高台となっております。

高台の上からの景色は辺りを見回せるほどの絶景です。

この中金杉4丁目一帯がお城だったようです。


坂川沿いに時計周りで北上していきます。


            「幸田城」です。

この辺は区画整理が入り、城の場所を特定するのが難しいですが

貝塚や遺跡や湧水などがあり、先住民が集落を創っていたようです。

写真の右側のグリーンベルトの坂を上がったあたりかもです。?

とりあえず幸田1~5丁目は台地の上にあり、城つくりには最適です。

ちなみに幸田(こうで)と読みます。

田圃は坂川沿いにあり、台地の方は畑になっています。


続いて、運転免許センターへ向かいます。



             「前ヶ崎城」です。

流山市になりますが、小金城の支城となっています。

高城氏の勢力はかなり広いようです。

ここから6号線まで小高い山脈?土手?のようになっていて

自転車でも走っていけるいい所です。

この山の上から小金エリアを一望できます。

他にも、「名都借城」や「増尾城」などもあります。


常磐線を越え、国道6号線にでます。



            「根木内城」です。

高城氏が2番目に住んだと言われる城です。

松戸市ではここと小金城址が歴史公園になっています。

その他は認定されていない城のようです?

なんとここまでは大きな坂を登らなくても川沿いに走ってこられます。

この城の横を流れる川は富士川といいます。


ここから北小金駅の北口エリアに戻ります。



6号線から北小金駅に行く途中は坂を登って交番があるんですけど

駅はこの山を削った所にある感じになっています。

個人的にはこの辺りにもお城があったと思うのですが(八坂神社跡地?)

なかでもこの写真の遺跡が怪しいと思うのです。

近くに崖っぷちみたいのもあるので。

残念ながら「東平賀城」とは言われていないようです。

貝塚はあるんですけどね・・・・・


そして本土寺へ



            「平賀氏屋敷」です。

お城じゃないでしょ!って思いでしょうが、

中世では豪族の屋敷やお寺の敷地も

お城のような役割をしていたそうです。

砦みたいなのでも、館と城の部類に入るようです。

寺の裏も崖になっていてお城のような場所にあります。

東斬寺の裏も崖になってこちらもお城みたいなんですけど・・・

情報がありません。


参道の前の坂を下ります。



向かって右側が「向台館」です。

城ではなく館って字を使っています。

こっち側は「大金平急傾斜地崩壊危険区域」となっており

お城造りには絶好の地形のようです。

でももしかしたらここではなく、交番の方の小金きよしヶ丘かもしれません。

向台という字名があるのでここは?ってことで。




そして小学校の方へ



            「殿平賀城」です。

殿平賀小学校の裏の丘の上にあり土地開発で削られてしまったようです。

この上からの景色もなかなかいいです。

上の公園には開拓の碑があり、殿の付く地名は城の名残を感じさせます。


大谷口歴史公園から大勝院へと。



           「小金城」です。

本城は坂を上がったこの辺だったようです。

このお城がこの東葛飾エリアを支配していた本城です。

豊臣秀吉に滅ぼされて終ってしまいましたが、昔は凄かったのです。

江戸時代になると徳川の天領地となり宿場町として栄えていったようです。






こんな感じで北小金エリアを廻ってきたのですが

各町内ごとに一城はある感じで吃驚です。

街の境界線も城の縄張りが基準だったりして。

他にも「行人台城」というのも久保平賀にあるのですが

次回ってことで。





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