ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

プレ鮮魚(なま)街道ポタリング

2018-01-22 | 松戸




鮮魚と書いて「なま」

銚子から江戸に魚を運ぶルートとして松戸は重要な拠点

魚は最も腐りやすいので早く運ぶ必要がある

利根川の布佐と江戸川の松戸を結ぶ陸路を鮮魚街道と名付けられた

その道を馬の背に籠を乗せ魚を運んでいたのです

(銚子から布佐まで船、布佐から松戸まで馬、松戸から江戸の日本橋まで船)

今回はこの馬で運んだルートを走ります





松戸の河岸はここだけでなく他に3軒くらいあったようです

でも名残があるのはここだけ

ここからスタート




橋を渡り旧水戸街道へ

昔から川が氾濫すると2.3日は通れなくといわれるがどうだったんだろうか?

川と坂が少ないルートがなま道と予想する





旧水戸街道から常磐線を越えるには歩道橋を渡る

根本交差点からから岩瀬に行くルートもあるが坂がきつい

安全な道を選ぶ




旧水戸街道の名残はある

雷電神社前を通る

旧道には神社がだいたいある




旧水戸街道はここまで

竹ヶ花から南花島へ6号線を越える

途中に材木屋さんがあったが江戸時代の木は物凄く重要

木は燃料になり、家にも、橋にも、船にもなる優れもの

木をいかに確保し運び出するか重大なことだったのだ




永松寺を過ぎた辺りから最初の坂になる

風早神社前あたりが頂上になり下総台地に入る

この上本郷の風早神社は鎌倉時代の前からあり

荘園制度時代の中心地だった



そこを道なりに進むとスーパーに庚申塚がある

松戸ヘルスランドとあるが銭湯で昭和40年創業

ここは松戸新田で台地にある田圃は珍しい




八柱周辺は難しい

八坂神社を曲がるのだが、さくら通りの入り口は右の方へ行くのが正解

間違って大きい道を行ってしまった





結果的には281号を通るのだか

古和清水も道なりではなく左の道が正解

この先けっこう間違いの道を通ってしまった




そのお陰か大仏ヘッドが見れました

現代の人気スポット

五香の地下道を通り十字路に出る




この辺から道が狭くなったり広くなったりする(車に注意)

五香と六実の数字は明治維新後に開拓された村の順番

なんと開拓は失敗に終わったとあるからビックリ




この辺でランチ

ここは「やっぱ寿司でしょ!」なんだけど

〆にすし屋なのに「クリームスープパスタ」




食事するにはこのエリアが一番充実している

火の見下はなぜか曲がり六実駅にでる

東武野田線は柏方面へはここから単線となる



ここまで松戸市

この先から下り坂になる

また道を間違えた、正解は右の道

(でもこの先飛行場があるので迂回しなくてはならない)




川があり橋を越えると上り坂

下総航空基地にあたる

本当はこのフェンスの向こうが本線

今回は右から行く


つづく






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プレ鮮魚(なま)街道ポタリング(続)

2018-01-20 | 道中

つづき




佐津間の交差点から鎌ヶ谷市

航空基地は柏市と鎌ヶ谷市で共有

飛行機は習志野から飛んでくるのが多い







直線が長い(桜の季節は良さそう)

意外に車が通る

突き当りのパン屋さんに立ち寄る




この辺は軽井沢

柏市もこの辺まで伸びている変則地

元は沼南町




基地のレーダーはかっこいい

ようやく本線にでる

左に鮮魚街道常夜灯の記念碑があるのだが見落とす




やっと280号になり白井市に入る

この辺も厳密にいうと広い道が本線ではない

また間違えて走り続ける




16号の折立まできた

この交差点じゃなく後ろの方の交差点の道が正解

そのまま行ってしまった




途中で進路変更

河原子街道で戻る

白井の工業団地にきてコンビニで確認

こっちだったのか




方向音痴なのに地図を持たない

工業地帯かららしき道になってきた

印西市に入る



木下街道に出る

白井で木下街道まで行ったけど引き返してよかった

このちょっと先は千葉ニュータウンがある




木の下と書いて「きおろし」と読む

庚申前の石碑の文字が赤いのが気になった

ここは月山の信仰でさっきの阿夫利神社も大山の信仰

この先から下り坂となる




坂の下は松山下公園

亀成の橋を渡り発作

布佐には発作からも行けるが真っすぐ進




道路標識を見ると木下街道はこの辺で終点

だけど利根川に出ないと終点ではない

ここまで来たら木下河岸を目指した




狭い街中を抜ける

車の通りが激しい

川沿いを行けば利根川に出ると思った




木下河岸はもっと右の方だった

てっきりここが昔の港かと思った

実際にここから手賀沼に行くルートもあるらしい




そしてついにゴール

木下河岸跡

3時間ちょっとだったけど普通に行けば2時間ちょっとで行けそうだ

距離は寄り道してしまったのであてにならないが40kは走った




帰りは木下駅周辺を散策し

手賀沼経由で戻りました

水運で栄えた木下の町も鉄道の発展とともに衰退

成田線と言えば

昭和30年代から40年代の行商のおばちゃんが有名に

地元では「カラス部隊」なんて呼ばれていたようです


次回はリベンジ

タイトルにプレを付けたのは精密度が悪かったから

予行練習や下見といったレベルとなった

今度は布佐河岸から納屋河岸まで行ってみようと思う







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