ライズ外伝

仕事以外の趣味のコーナーです。
主にお出かけが多いです。
ポタリングしてます。

2021年まとめ

2021-12-30 | その他
今年も緊急事態宣言がありやっと解除された状況

まだ人が多い所には行かないのが原則

あ、今年は自転車を新調したんだった

一年が早いせいか記憶も曖昧に


忘れないように今年のまとめ




『足立区一周』

足立区は23区で3番目に大きい街

コンデションが善かったので何とか走れました

足立区の境界線もほぼ川なのでいいです








『墨田区一周』

一回目はカメラの電池切れで時計も落としてしまいました

なんか相性が悪いような

墨田区は浦安市と同じく町は狭いけど行くまでに体力がいります

なんとか行ける距離


オリンピック開催年だったのでオリンピック前





『茨城県の坂東市』

平将門で有名な街です

行に電動アシストのおじいさんと並走する感じに

運河の辺りから抜かれたのですが芽吹き大橋でまた逢いました

そこそこな距離はあったんですけど

アシストは凄いですね

距離的には関宿位あり大変でした







10年ぶりの『山手線一周』

すっかり逆回りを忘れていました

10年経つと街も大分変っていました

特に渋谷は印象的でした

新駅の高輪ゲートウェイ駅もでき山手線は30駅に

なるべく前回通らない道を選び走りました




これで一周シリーズはほぼ完了

琵琶湖一周、霞ケ浦一周もありますがどうでしょう

来年はリンリン街道と古東海道を計画中です

では




















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2021山手線一周(上野駅~ )

2021-12-07 | 道中


10年ぶりに自転車で山手線を一周

今回は内回りを重点に走りました

電車だと1周34.5k(一時間)らしいのですが

自分のメーターだと約50kといったところ

今年はオリンピックもあったせいか

駅周辺はは大分整備されたいました

新駅が一つ増え30駅

一駅平均1.2k、最短は0.5k

いずれ品川にリニアの駅ができる予定

そんな山手線






自宅から22k走ってきてからのスタートとなります



台東区の上野駅から出発

天気とコンデションは最高です

上野駅前辺りまでは関東平野

ここから西は武蔵野台地になります



左回りで進む



駅前には岩倉高校があります

鉄道の学校です

でも北上野はバイク街でもあります







なるべく線路沿いを走ります

『凌雲橋(新坂跨線橋)』の坂を登ります

橋の下は飲み屋街







【鶯谷駅(1912年開業)大正4】

小さい駅ですが駅舎がちゃんとあります

1970年に新築されたもよう





坂を下り線路沿いに進む


「元三島神社」です

元はこの場所ではないが1281年ぐらいからの発祥

瀬戸内海の大三島に浮かぶ大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の分霊を勧請して創建(創建時は三島神社)と伝わる古社です。







基本的に鶯谷はホテル街です

住所は根岸

もともとは上野駅に近い立地ということで、集団就職や出稼ぎで上京してきた人々への低価格旅館がルーツとのこと

時代と共に変化し今に至る







『善性寺と隼人稲荷』

気になって寄ってみたら1487年の創建

江戸時代より古い神社仏閣は気になります

当時の寺の前は川だったようです


次へ進む



【日暮里駅(1905年開業)明治】

太田道灌の銅像があります

舎人ライナーが出来て再開発

元々は「繊維問屋街と駄菓子問屋街」として発展







モミジ坂を登ると駅舎ポイ屋根があります

駅名は日暮の里から命名

元々は新堀村でニイボリがニッポリに訛ったとも言われる

隣の「天王寺」は鎌倉後期の創業







上野駅からこの辺まで台地に沿って線路がひかれています

こちらの入り口も綺麗になっていました

人気の「谷根千巡り」はここから









「下御隠居橋」を下るとまたモミジ坂に戻り一周

鶯谷から日暮里の間は隠居になった人達の住処地だったようです

将軍橋など将軍ともゆかりがある地









踏切を渡り西日暮里へ

この辺で有名なのは開成中高校

千代田線沿線に住めば

開成→東大→霞が関を一本で通えます

常磐線と小田急線が相互乗り入れ







【西日暮里駅(1971年開業)昭和46 】

日暮里駅の西というよりは北の方が近い

当たり前だが、日が沈むのは西

高輪ゲートウェイ駅が出来るまで山手線で一番新しかった駅

地下鉄のホームは上りと下りが2層になっていて別別なのが特徴








この辺から内側の坂道を登ります

きついので押して歩く

新幹線と同じ高さに








荒川区から北区へ

高台を走る

電車は下を走る


洗濯物がすぐ乾くのが荒川区(あら乾く)

部活動をしないで家に帰るのが北区(帰宅)



山手線の最北端駅

田端へつづく










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山手線一周サイクリング(田端駅~)

2021-12-06 | 道中


細かい話をすると

品川・田端間(新宿経由)を山手線といい

田端・東京間は東北線、

東京・品川間は東海道線

と分かれているようです

『線路名称』と『運転系統』による山手線があるのです




北区


【田端駅(1896年開業)明治29】

坂の下になります

田の端、

この辺まで台地の縁際








江戸坂を下ると駅に到着

線路多すぎ、どれが何だかさっぱり

この辺りは芸術家や文豪が多く住んでいた街とのこと


また登ります




山手線はカーブします

他は赤羽方面へ

内側の方が進みやすい








山手線唯一の踏切と言われる

『第2中里踏切』は渡らず内側を進む

似たような路線の『湘南新宿ライン』は代々木の踏切を走る



坂を下る



【駒込駅(1910年開業)明治43】

最初は『妙義駅』でした


駒込駅から豊島区

ソメイヨシノの発祥の地


坂を登る

駅のポストが桜色で、駅音はさくらさくら





本郷通があり、その下を南北線が走る




切通しの下を電車が走る

武蔵野台地のアップダウンが始まる

17号の中山道に出る








【巣鴨駅(1903年開業)明治36】

明治24年に高岩寺の『とげぬき地蔵尊』が移転

『お年寄りの原宿』のキャッチフレーズで有名

由来は、川にカモの巣が多かったから巣鴨

どの川だ


巣鴨村は大きいく広かった




江戸橋
.
なんとなく江戸ブランド使い過ぎ

日本橋の隣に江戸橋は古くから存在する


なんとなく橋を渡ってしまう

反対側を走る





子安天満宮に寄る

坂を下り高架下をくぐり

内側に戻る


ごちゃごちゃ進むと

大塚駅?大塚駅前駅、都電の駅





隣へ



【大塚駅(1903年開業)明治36】

大正から昭和にかけて『大塚花柳界』として栄える

見逃したが、天祖神社は鎌倉時代末の元亨年間(1321~4)に、領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神さまをお迎えしておまつりしたのが最初とされる










駅前の再開発が済んだが本来の大塚は

駅名である「大塚」の由来は、当初の駅建設予定地からさらに南へ行ったところにかつてあった古墳(あるいはやぐら台の跡ともいわれる)とされています。ここが、地元の人たちから「大塚」と呼ばれていました。場所は現在の東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅の近く、貞静(ていせい)学園のあたりにあったようです。塚は高さ1.5mほどだったといいますが、昭和の初めに壊され、現在は学園沿いの道路に「大塚跡」の史跡標示があるだけです。

とのこと







路面を走るから路面電車

東京で唯一の路面電車

通称『東京さくらトラム(都電荒川線)』








赤レンガと言ったら明治時代なイメージ

関東大震災、東日本大震災を乗り越え今に至る

どこから17k?


上野からは10k位

山手線の0kスポットは品川駅

単純に一周34.5kなら半分位な距離

15駅先は





次へ進む




民家をすりぬけ池袋六差路

住宅街があったが高級感はない

けど間違いなく一等地








お腹が空いたので休憩

自宅からは35kくらい

結構走った





池袋につづく




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山手線一周サイクリング(池袋駅~)

2021-12-05 | 道中


昼飯を食べ回復

あと3分の2

気力充分








【池袋駅(1902年開業)明治35】

池袋は東が西武で西が東武

個人的にJR駅のイメージは薄い

埼玉県民と同様に練馬区民の都心の玄関は池袋駅










元々池袋は計画には入っていなかった駅らしい

巣鴨か大塚から目白に行く予定でした

池袋駅がカーブの膨らんだ位置にあるのはそのため

どうも巣鴨プリズン(現サンシャイン60)が動かせず迂回したもよう

刑務所が動かせない理由の一つに

地下に何かがあるらしい


池袋は戦後に栄た町

「空手バカ一代」の一話にも登場したように

焼野原からの再出発





西武池袋線は元は武蔵野鉄道といい砂利などを運んでいた

練馬区に鉄道がひかれたのは松戸市よりも遅い

昔は鉄道をひくのを反対する人が多かったようです


鉄道は人を乗せる「旅客」と物を運ぶ「貨物」に分かれていたようです

今も貨物専用レーンがあり貨物専用の駅も残っています

電車としての認識は人が乗っている方であり

貨物列車はなんか別物のような認識でありました

しかし寝台電車などを引っ張るのは貨物列車と同じだと知ると

貨物列車の認識が変わりました





目白通りに出ると



【目白駅(1885年開業)明治18】

学習院大学が駅前にある

目白と目黒があるんだから目青や目赤が有ると思ったら

本当にありました

江戸五色不動尊の一つで各街道ごとに配置して結界を張っていたのです

今は移転してなくなったが駅名の由来は寺の名前だそうです








大学の横の坂道を下る

電車が上を走るくらい降る

起伏が激しい所に鉄道を通した



新目白通りを越える







神田川を渡る

低い所は元田園地帯が多い

また坂を登る


目白高田馬場間が一番高い高架とされる



早稲田通りに出る



【高田馬場駅(1910年開業)明治43】

ビックボックスは未だ健在

駅が少し綺麗になったがJRの文字が駅名の所に無い








また更に坂を登る

目白・高田馬場間が高低差が激しいエリアといわれる

少し下ると諏訪通に出る







西武新宿線と並走

ライオンズ限定車両

西武線は黄色が少なくなってきた







【新大久保駅(1914年開業)大正3】

新ではない方の駅は中央線にある

窪と谷と沢の違いが気になるが

この辺はそうでもないような









職安通り

ガード下のアートが気になる

日本の鉄道内の落書きもひどいけど

世界はもっとひどいのに驚いた

さすがに絵の上には描かないモノなのか








西武新宿駅

JRの駅から離れている

昔はマイシティの所に入る予定があったみたいだけど

いまだ大きな動きはない

歌舞伎町に近いのはこっち



この辺で上野から20kくらい



旧青梅街道に出る



【新宿駅(1885年開業)明治18】

懐かしいアルタ前

なんとなく雰囲気が変わったような

気が付けば、マイシティではなくルミネエストになっていた

新宿の西口の方は私鉄のイメージが強い

恐らく西武が東口に入ったら池袋みたくなるのではないだろうか








でもJRは南の高島屋の方でもいいのでは?

甲州街道も通り正面はそっちかも

最近はバスターミナルが南口に出来た


すぐ隣は渋谷区





あっという間に



【代々木駅(1906年開業)明治36】

この周辺に踏切が2つある

新宿湘南ラインが走る

この辺の立体な感じはいいロケーション


山手線も埼京線も湘南ラインもだいたい同じ所を走っているんだから

同じようなモノに思うんだけど、通っている場所が違うと同じではないんだという認識

線とライン・・・同じだけど字は違う





原宿へつづく..



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山手線一周サイクリング(代々木駅~)

2021-12-04 | 道中


今回は駅周りも一周しようと思ったが

簡単な駅だけにしました

前半は坂を登り頑張ったけど

後半は辛くなりました


駅には表と裏があると言われるが

高架下に出入り口があると

中央口だけが必ず表ではないような?

開けている側が表なんでしょうか?

定義は不明です




渋谷区代々木


代々木駅の正面はこの西口

個人的にはこのNTTドコモタワーは好きです

新宿だと思ってたけど、代々木にあり渋谷区の管轄






狭い道だけど「青山街道踏切」の名がついていた

246の青山通りとは別と思うが

国立競技場に行く道








一旦明治通りに出て再び線路の方に

一旦下りまた登る

明治通りは割と平坦だが

原宿周辺の道は路線から離れる



坂を上がると



『宮廷ホーム』

お召し列車が出る駅

正式には「原宿駅側部乗降場」とよばれる

なぜこんな所にあるのかというと、大正天皇の病状悪化のためでした。 東京駅での乗降だと人目に付くため、目立たずに乗降できるようにと当地に造られたらしい




最近は使われていないもよう

1925年に完成

八王子にもあったが廃止され現在はここだけ残る


上野から25kくらい


坂を下り



【原宿駅(1906年開業)明治39】

最近駅舎をリニューアル、昔の駅舎は解体され移築

臨時改札口もある


竹下通りは活気が戻りつつある

昔の竹の子族の竹はこの竹下の竹からとか

ブティック竹の子の名からとか

竹の子のような重なった服のデザインからだとか諸説あるらしい


『原宿の歩行者天国』、略してホコ天(代々木公園の方)

80年代は原宿のホコ天で踊っていた人が時代の最先端とされ

その後渋谷に移る、その前は銀座と六本木

チーマーとかみゆき族、野獣会など歴史に名が残る


坂を上がると


新築の駅舎(2020年)

この駅も50年後くらいには懐かしい駅となるんだろうか

今の日本は木造ではなくガラス張りが主流なような

ヨーロッパが石の街なら、日本はガラスの街に成りつつある




表参道通りに出る



五輪橋を渡る

ファイヤー通りの方が楽そうだけど内側に移動

代々木体育館などは昔の東京オリンピックの時に作られた

それを記念しての橋の名

その昔はワシントンハイツと言って

在日米軍の施設なのでした(その跡地に選手村)





坂を下り、明治通りへ

明治通りには地下鉄の副都心線が通っている

明治通りは、東京初の環状道路となる「環状5号線」

環状線は8号まである







宮下公園

『MIYASHITA PARK』としてリニューアル

コロナが治まったらゆっくり散策したいです









昔の『のんべい横丁』も残っていました

外人も安心して飲める日本は凄い

日本人でも入りずらい店が開国された感じ







【渋谷駅(1885年開業)明治18】

『渋谷ヒカリエ』と『渋谷スカイ』

まだ完全には完成されていないが再開発中

駅も色々と改装して大忙し

109とかJRよりも東急のイメージが強い街


低い土地なのに更にタクシーは地下を通るようになる計画


地下鉄が高架を走るのは珍しい光景である







ハチ公口へ

スクランブル交差点は相変わらずの人混み

人数は分散されないものなのか

新宿、池袋と違い東西が行き来しやすい





「忠犬ハチ公像」をおさえる

待ち合わせと言ったら『ハチ公前』が昔の定番

最近は待ち合わせ場所ってあるのかな?

駅前の『掲示板』も懐かしい思い出







246(大山街道)を越えて、渋谷川へ

上野から渋谷まで坂道無でこれるルートがこの渋谷川沿い

海の方は『古川』と表記され首都高に隠れて見落としやすい







線路沿いを走る

海外の方が線路の敷地内の落書きが多い

文字が読めないので意味が分からないんだけど

何の意味合いがあるのだろうか?






【恵比寿駅(1906年開業)明治39】

元々は貨物駅(ビール出荷専用)として1901年に『ゑびす停車所場』として先に出来る

5年後に旅客駅にもなる

元々はビール工場がありました

このヱビスビールのエビスという商標が駅名と地名になるのは珍しいケース

(昔の住所は目黒村三田)(駅開設当時の地名は「下渋谷」)


現在の商品名のローマ字表記は「YEBISU」とYが付いている





恵比寿駅のシンボルマークは『エビス像』

街の街灯がビールジョッキ

エビスビールはサッポロ系列でドイツの醸造法が元

サッポロビール工場は千葉県に移転

サッポロビールなのに東京に工場とかややこしい流れ


大坂には「今宮戎駅」があり

兵庫駅には「西宮戎駅(にしのみやえびすえき)」があるが関連はなさそう

ちなみに岡山県はエビスジーンズが有名











目黒へつづく


















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山手線一周サイクリング(恵比寿駅~)

2021-12-03 | 道中


代々木駅から恵比寿駅まで渋谷区

駅名あるあるは、駅名と地名が一致しない事

駅名で地域を特定するのは危険です






坂道を登ると『恵比寿ガーデンプレイス』

渋谷区と目黒区の境界線に出来た複合施設

元々のビール工場はここでした

駅から離れた高台

工場地が垢ぬけたシャレた街並みに変身






また坂を下る

右手のボールの有る建物が気になった

自動車学校でした

日の丸といえば日の丸かも






山手線に踏切はないが新宿湘南ラインにはある

何だろう?本数の問題なのか?

開かずの踏切でなければたいした問題ではないのかも





目黒通りを越えると



【目黒駅(1885年開業)明治18】

駅は地上1階だがホームは地下4階

住所は品川区上大崎


昔は東京競馬場の前身『目黒競馬場』のあった町

第1回東京優駿大競走(ダービー)は、1932年(昭和7年)にこの目黒競馬場で開催された


エビスビール工場が隣だったとすると

今の府中の競馬場の隣にサントリービール工場があるのは偶然ではないのか??

中山競馬場にはサッポロビール工場(離れすぎ)、船橋競馬の方が近い

横浜の麒麟ビール工場は?

ビールと競馬の関係はいかに









花房山通りを下る

結構長い

前回はここを自転車を押して登った


国道一号を越えると



【五反田駅(1911年開業)明治44】

駅が出来たのは新しい方の部類に入る

東口は江戸時代から続く高級住宅地


国道一号は中原街道で「古東海道」ともいわれる




山手線の『田』の付く駅名は4つ

田園調布もそうだけど、田圃が高級一等地の街になるなんて

ま、考えてみれば昔はお米がお金になったんだから

水田地帯はお金が実っているようなものなのかも


池上線のホームは一段と高い場所にある




隣の大崎に行くには目黒川を越えなくてはならない

目黒川沿いは桜が有名

目黒川を越えると住所は品川区大崎







大崎五反田は『大崎副都心計画』があるので

これからも発展するらしい


昔の大崎は『居木橋(いるき)』という地名

ソニーなど有名な工業系会社がこの辺に募る








【大崎駅(1901年開業)明治34】

大崎は山手線の最南端駅

山手線の始発駅が大崎駅とされるのは運転手がここで替わるから

山手線の始発は品川駅で終点は田端駅なのは、路線名称の定義だとそうなるから

運転名称の山手線とのは違う


実際には、池袋始発上野東京方面行きが4時25分発で一番早い

大崎駅は渋谷新宿方面行きは4時28分、品川東京方面は4時30分発

終電も大崎行きと池袋行きがありそこが終点

大崎と池袋に車両センターがあるからである








この辺が難所

地下道もあるが『山手通り』を走る

地図に載っていない道があるかと探したが無かった






『居木橋』

下に目黒川が流れる

ここから『御殿山通り』を走りたかったがミスる

地図のイメージと違う








山手線の外側へ

航空写真で見ると白い壁の向こうに大きい穴がある

リニアモータカーがここを通るらしい







この辺には元々『東海寺』があり『墓地』が残る

なんとここには、鉄道の父『井上勝』のお墓があるのだ

偶然に寄っただけにちょっと感動

東京駅の前に井上さんの銅像がある



隣の『春雨寺(しゅんぬじ)』は珍しい呼び名

通称は『はるさめてら』

東海寺の境内の寺だったが今に至る


この辺も古東海道が通っていたと思われるが情報なし

二本榎道から池上道に続くのが鎌倉時代の東海道と言われるが・・・






品川へつづく
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山手線一周サイクリング(品川駅~)

2021-12-02 | 名所


品川から上野辺りまでは平坦な地形

山手線は初めから環状線になる構想は無かったらしい

ロンドン・パリ・ドイツ・イタリアなどのヨーロッパの鉄道は

日本みたいにターミナル駅が環状線で繋がっていない

日本の鉄道包囲網は素晴らしい








日本橋まで8k

出発から35k

第一京浜を進む





『新八山橋』

予定では内側を走るはずだったんですけどしくじり

日が暮れてきたので少し急ぐ



青い京浜急行を初めて見た



【品川駅(1872年開業)明治5】

仮運転だと新橋より先に運行したことになる

山手線としての『0kポイント』はこの品川駅にある


品川駅の不思議は地下鉄が乗り入れていない事

ターミナル駅は必ず通っているが大江戸線もない

唯一の京浜急行はここから地下を走り成田へ向かう

いずれリニアの始発駅になるが地下鉄が今まで乗り入れされていない

なんか理由があるんだろうか?新幹線も止まる大きい駅なのに

地下になんか秘密があるのだろうか?

品川駅だけど港区

品川駅の南にあるのに北品川駅






品川~高輪は再開発中

『品川車両センター』を整理してスペースを造った土地

品川田町間は標高ゼロメートル地域







【高輪ゲートウェイ駅】

山手線で一番新しい30番目の駅

2020年に暫定開業で2024年に本開業予定

(駅前はまだ工事中)








ここがゲートウェイの由来の『高輪大木戸』

関所じゃないけど夜には門を閉めていたようです

治安は守られるが自由がないような






前から気になっていた『御田八幡宮』に寄る

「和銅二年(709)東国鎮護の神として鎮祀され延喜式内稗田神社と伝えられる」とあるようにかなり古い

今は旧東海道に面しているが、その昔はこの裏の古東海道の方にあったとされる








【田町駅(1909年開業)明治42】

慶応大学とラーメン次郎が有名

森永のビルがありエンゼルなんちゃらが多い









再び第一京浜を走り線路沿いへ向かう

日が落ちて撮影が難しくなる

この時期は日没が早い









こっちのエリアは線路の反対側に移動するの難しい

線路が低くトンネル通路も低い

品川からほぼ平坦

昔の東海道本線より向こうは海でした









ここで気になる寺を発見

『法伝寺』慶長七年(1602年)開創

江戸三大毘沙門天の一つで『虎』の狛犬があります

虎の狛犬は希少です

増上寺が近いせいか寺が多いエリア










首都高の下に川があるがこれが古川であり『渋谷川』

川沿いに進めば坂なしで渋谷まで行けます

地図だと首都高に隠れていて気が付きません





線路沿いに進むと


【浜松町駅(1909年開業)明治42】

駅のホームに『小便小僧』がいるのが特徴

モノレール乗り場であり、東京タワーの最寄り駅

港区








駅周辺は再開発中

勘違いしていたが、海側にあるのが浜離宮と思っていたら

『芝離宮』でした









新橋のイタリア街を走る

イタリアのトスカーナ地方がモチーフ

石畳はお洒落だが揺れる









その昔、SLの転車台があった場所

ここで方向転換して戻る

プラットホームの駅でのSL機関車は前後向きを変えなくてはならない










【新橋駅】

出発してから42k

東口に駅舎があり正面はこっち側


ここの説明は難しい

最初の新橋駅は汐留の方

こっちは新しくできた駅

でも最初の名は『烏森駅』

その後に改称され『新橋駅』となる


1872年に新橋横浜間が日本初の鉄道路線とされるけど

ここの場所ではない

東京駅が出来るまで東海道本線のターミナル駅であった



有楽町駅へつづく








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山手線一周サイクリング(新橋駅~上野駅)

2021-12-01 | 道中


品川区3駅、港区5駅、千代田区4駅、台東区3駅

荒川区2駅、北区1駅、豊島区5駅、新宿区3駅

渋谷区4駅、目黒区0、文京区0

中央区にもJR山手線の駅がない

東京駅は千代田区







【新橋駅(1909年開業)明治42】

最初は『烏森駅』の名称で、今も『烏森口』の改札口に名が残る

駅舎も大正時代にはあったが関東大震災で損傷するも修復して復興

色々とあり1970年に撤去された


SL広場の蒸気機関車は「C11 292」でサンタさんが乗っていた

SLのCとかDの意味は動輪の数がA=1、B=2、C=3,D=4、E=5・・・で

このC11系はCだから動輪が3つ(計6つ)からできている車両

車輪の数を観れば何系か分かり、アルファベットで動輪数が分かる

SLの語源は、英語の Steam Locomotive です。この頭文字をとって[SL]なのです。Steam [蒸気] Locomotive [機関車]と直訳

SLは『スチームローコモーティブ』







赤レンガの高架線が今も残る

新橋から神田くらいまで

中央線の萬世橋の方までもつづく






【有楽町駅(1909開業)明治42】

東京駅のように駅舎が昔からあるのかと思いきや

高架下自体が駅舎のようなモノ

高架下に店があるのは同じ利用法


鉄道の敷地内は固定資産税が安いらしい

駅前の方がべらぼうに高い

特に銀座は超一等地として有名






オリンピックを見込んでガード下の飲食店は整備された

しかしオリンピックに観光客はコレず

残念

この雰囲気は日本らしく思える


街のイルミネーションが始まった




【東京駅(1914年開業)大正3】

現日本の首都東京の中央駅

2012年にリニューアル?リノベーション?


国鉄の民営化によりJR東日本とJR東海に分かれる

武蔵野線と京葉線の東京駅は有楽町駅にも近い

そこには成田新幹線が出来る計画があったがボツとなる


新幹線に乗るには八重洲口の方が近い

プロのタクシーの運転手なら『東京駅まで』と言われたら何口か聞かなくても

方言やスタイルを察して適した乗り口に運んでくれるものらしいが・・・


女性が関西弁で『東京駅まで、急いでんねん』と言われたら新幹線に乗る確率は高いらしいんだけど

なぜか丸の内側で降ろされたらしい

理由をきいたら『お洒落で綺麗だったから』だそうで、どうも丸の内のOLと間違えられたらしい

ありえなさそうだけど運転手さんはちゃんと『丸の内口でよろしいですか』と確認をしたとのこと

その女性客は『イエス』と返事したらしいのだが(少し切れ気味に)

なんと『八重洲』と言ったのが『Yes』に聞こえたらしい

怒りたかったけどちょっと嬉しい出来事だったようです














丸の内のイルミネーションをちょっと観光

ここはいつでも観れるのですぐ退散


首都高の下には内堀に日本橋川が流れる

新常盤橋の横に新しい橋が出来たのを忘れていた


鎌倉橋から渡る


山手線が3階建てに高層化された

常磐線が品川まで乗り入れるようになった







【神田駅(1919年開業)大正8】

赤レンガの残った駅が古いのかと思っていたが

大正時代に入ってから

最初は秋葉原の方ではなく万世橋の方を走っていた(中央線)








神田から秋葉原には神田川が流れ線路沿いは走れないはずが

歩道橋を発見、押して歩いて渡る

「神田ふれあい橋」







【秋葉原(1925年開業)大正14】

元々は貨物駅としては上野とつながっていた

佐久間河岸があり青果市場もあり物流の起点でもあったのだ

家電やオタクの街と思っていたけど戦後の話

江戸時代には秋葉原の地名はない

秋葉神社は火防の神様









駅の反対側に行く

総武線と山手線の駅はどっちがどうなんだか分からない

近年はTXが乗り入れして街ががらりと変わりました






上野神田間が高架されたのは1925年

その時に秋葉原と神田がつながる

廻る緑の山手線誕生の瞬間


それまではのノ字運行

最初から環状線にする計画ではなかったようですがどうなんでしょう


『鉄道結界説』はあったと思います

中央線が直線ではなく曲線で山手線の円をカットするように走ると

『太極図』の形になる


でもいたるところで鉄道反対運動があったとなると偶然なのかも

しかし戦前の日本の国民にそんな力はあったのかな?

そこがしっくりこない


でもこの「のノ字」運行に意味があり

江戸城のお堀は「のノ字」

丸の内線も「のノ字」

大江戸線も「のノ字」

「のノ字」はぐるぐる回れば大きく広がり発展してゆくイメージ

『の』は『6』にも似てる


しかし、関東大震災で状況が変わり環状線となる

その後東京大空襲、地下鉄サリン事件が起こった程度

首都は結界によって護られる


大江戸線が環状線に成らなかった理由も腑に落ちない

666の結界とも・・・








【御徒町駅(1925年開業)大正14年】

1925年に上野神田間が繋がって山手線は環状線となる

その時に誕生した駅

それまでの上野新橋間は「東京馬車鉄道」で乗り入れていた


東京馬車鉄道会社は、明治一五年六月二五日開業以来、明治三六年電車に転換するまでの約二〇年間、新橋・上野・浅草を結ぶ東京の目抜き通りで営業を続けた


それが後の都電こと『路面電車』となる










アメ横

今はアジアの台所といったところ

日本らしくもアリの国際的いや多国的

ルーツは戦後の『闇市』にある

近年だと朝ドラ【あまちゃん】のロケ地でもあった

だいぶ忘れ去られてきてますが・・・






上野駅到着


【上野駅(1883年開業)明治16】


約50k、6時間40分到着

公園口の方が山手線に近いのですが

山の上なので登らず


上野駅は『東北の玄関』

千葉県民の玄関でもある

日本初の地下鉄は上野浅草間の銀座線



達成感より自宅まであと23kがまだ気の抜けない状況

あと2時間はかかるといった心境

10年ぶりでも走れた

品川大崎間が心残り

でも満足


おつかれさまでした

















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